金色の螺旋

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第十章 落暉の女王

十五.集結
 再び集った麗蘭と仲間たちは、茗より奪い返した蘭麗姫を伴って白林へと舞い戻る。大鷲の姿を取った優花が四人を乗せて、城塞近くまで飛空して来た。
 城の周りに張られている結界のため、変化したままの優花では城壁に近付けない。麗蘭たちは、所々に据え付けられた松明の炎を頼りに下りる場所を探そうとしたが、優花が先に何かを見付けたらしく、ある一点に向け迷わず一直線に下降して行った。
 此の暗闇で、此の距離からでは未だ見えないが、覚えの有る気を感じた麗蘭も遅れて気付いた。彼女たちにとっては忘れるはずの無い神気だ。
「もしや……風友さま?」
 より低いところまで来ると、麗蘭が想像した通りの人物が灯を手に待っていた。麗蘭の師であり育ての母でもある、璋風友だった。
 優花が地上に下り、其の背に乗っていた麗蘭たちも順に降り立つ。赤い炎に照らされた風友が四人の姿を確認し、先ずは魁斗に頭を下げた。
「昊天君。無事に皆さまをお連れくださりありがとうございます」
「優花が居てくれたから、何とか間に合った。許可してくれた風友殿にも感謝する」
 魁斗と言葉を交わした後、風友は彼の隣に居た蘭麗に一礼した。
「ご無沙汰しております、蘭麗公主。元将軍の風友と申します。お会いできて嬉しゅうございます」
「憶えています。皇宮でお会いしたことがありますね」
 二、三度だが、恵帝を訪ねて来た風友を蘭麗も見たことがあった。穏やかだが底知れぬ力を隠した高名な元将軍は、幼かった姫にもかなり印象深い存在だった。
「蒼稀上校、そなたの噂は良く聞いている。此度の大役もご苦労であった」
「身に余るお言葉、光栄です」
 後方にいた蘢も歩み出て、胸に手を当てて礼をする。直接風友と見えるのは初めてであったが、噂に名高い璋元上将軍を知らぬ者など禁軍には居ない。出た言葉は謙遜ではなく、本心からのものだ。
……そして、風友が最後に声を掛けたのは麗蘭だった。
「久しいな、麗蘭」
 暗がりで顔がぼんやりとしか見えないが、懐かしく優しげな声色から、風友が微笑んでいるのが分かる。
「ご無沙汰しております」
 忘れもしない、十六の生辰の日――風友は麗蘭に「母が生きている」という真実を伝え、紫瑤へと送り出した。彼女とは其の翌日に阿宋山で別れて以来、暫く振りの再会と為った。
「良く帰って来た。積もる話も有るが、とにかく今は休め。改めて、いろいろと聞かせてくれ」
「承知」
 まさか風友に出迎えてもらえるとは思っておらず、目頭が熱く為る。嬉しさに浸りたいところを堪えた麗蘭は、背後に居た優花の方を見た。
「風友さま。私は優花を連れて行きます。どうか、先に皆を中へ」
 道中麗蘭は、変化を維持する優花の気が弱まってゆくのを案じていた。彩霞湖を発ち数刻の間、休み無く飛び続け、妖力を使い果たし掛けているのだろう。
 麗蘭の申し出に、風友は手にしていた包みを持ち上げて首を横に振る。其れは、優花が人型に戻った時の為の衣服だった。
「優花は私が連れて行こう。おまえは皆さま方と共に城へ入り、早く休むが良い」
「……忝うございます」
 師の心遣いに恐縮しつつも謝意を表し、頷く麗蘭。風友は一同の顔を見渡しながら、一番近い城門を手で指し示した。
「明日の朝、恵帝陛下が皆さまとお会いになりたいそうです。今宵はお休みになられますよう」
 そう告げて会釈し、風友は優花の許へ歩いて行く。彼女の背を一撫ですると、灯と着物を手にしたまま軽い身のこなしで飛び乗った。師を乗せた優花は、心なしか弱々しく羽を広げ、闇を掻き分け低めの高度で飛び去って行った。
「お言葉に甘えて、俺たちは先に城へ入ろう」
 優花が此の場で変化を解かぬ理由を知っていたのは麗蘭のみ。しかし魁斗も薄々勘付いていたらしく、敢えて触れないようにして皆に声を掛けた。
「蘭麗、おまえは俺が抱えて行く。足を痛めているだろう」
 本人からは聞いていなかったが、魁斗は彼女の不自然な歩き方を見逃していなかった。蘭麗が断ろうとする前に、膝と背を持ち上げて横抱きしてしまう。
「あ、ありがとうございます……」
 突然のことに顔が熱く為り、蘭麗は礼の一つも儘ならない。其の様子を見ていた麗蘭は、何故だか胸奥がざわめくのを感じたものの、気にしないようにして蘢に肩を貸した。
「蘢、私たちも行こう」
「ああ。済まない」
 飛んでいる時、眠っておくよう勧められた蘢だったが、痛みもあり目が冴えたままで休めずにいた。流石の彼も、限界を疾うに通り越している。麗蘭と同じく、前方を行く魁斗たちが気には為ったが、此の状況で自分が蘭麗を手助けすることは出来ないので仕方が無い。
――かくして、麗蘭たちに下された蘭麗奪還の使命は果たされた。それぞれの想いが交錯し捩れてはいたが、宿の下に結び付けられた者たちが、漸く此処に集ったのだ。
 

 白林に帰還し、一夜明けた早暁。深く深く――夢の底へと沈むように眠っていた麗蘭は、何時もよりやや遅めの卯の刻に目覚めて身支度を始めた。
 割り当てられた客室は、華美ではないが一人で使うには大きく立派な造りだ。昨晩倒れ込んだ寝台はとても寝心地が良く、身体の疲れも相俟って気を抜けば昼近くまで寝てしまいそうだった。
 室の中央には大きな御簾が垂れており、今麗蘭が居る奥側は外から見えぬように為っている。
「お早うございます、公主殿下」
 小さな物音を聞き付けた女官が、御簾の向こうから声を掛けてくる。
「あ、ああ。お早う」
 不意に「公主」と呼び掛けられて、自分のことだと気付かず直ぐに反応出来なかった。極力音を立てぬよう注意して動いたというのに、剣士でもない只の女官にしては鋭過ぎるのではないか。
「お召し替えでございますか。お手伝いさせていただきます」
「いや、いい。其れより喉が渇いたので、白湯を持ってきてくれないか」
 阿宋山から都紫瑤に赴き、旅立つまで皇宮で暮らしていた間も、着替えを人に手伝ってもらうのは如何しても慣れなかった。かと言って何も頼まないのも悪いので、代わりの指示を出して立ち去らせる。
 気配が消え、念の為御簾の隙間から誰も居なくなったことを確認すると、麗蘭は大きな溜め息を吐いた。
 こうした扱いが待っているのは想像に難くなかったが、こんな早朝から女官が付きっ切りとまでは思っていなかった。
「……また、窮屈な暮らしが始まるのか」
 贅沢な不満だと思いながらもぽつりと漏らし、女官が戻る前に急いで着替えを済ませようとする。用意された衣裳は都で着せられていたのと似た華やかな着物で、色取りどりの深衣を重ねて着る重く動きにくいものだった。
 結局一人では時間が掛かり過ぎるので、戻って来た女官に髪結いも含めて任せることにした。着替えを終えて食事を取り、恵帝との謁見の定刻まで室内に居て、気も漫ろに過ごしたのだった。



 黒巫女瑠璃に依って、白林の西側を守る城壁が大破されてから数週間。麗蘭たちの働きで琅華山の妖の脅威は去ったが、壁の修復は未だ未だ終わりそうにない。前線の圭惺に近いため、茗との戦が始まってからは街中が一段と緊迫した空気に包まれている。
 城主である白林総督・采州侯梨啓は、現在圭惺に居り不在。留守を預かるのは州侯を補佐する州三官である。聖安軍の大将である瑛睡上将軍も、梨啓と共に前線で指揮を執っていた。
 恵帝との謁見は、白林城城主の広間にて行われることに為っている。約束の時間が近付き、広間の前室には麗蘭と魁斗、蘢、そして蘭麗が集まって来た。
 旅装とはまるで違う格好をした魁斗を見るなり、麗蘭は心底驚かされた。縹色の深衣を纏い、貴人らしく身形を整えた様は、男振りの良さを一層際立たせていたのだ。
 帰国してから一夜明け、膝を突き合わせた四人の顔には、それぞれが抱く想いが表れている。旅の目的を果たした達成感や、ますます一致団結して茗に立ち向かうという気概――そして、此の先に直面する戦いへの憂心など、様々な心情が入り混じっていた。
 疲れ知らずの魁斗はともかくとして、麗蘭と蘢は長旅と度重なる戦闘で疲労を溜め込んでいた。特に蘢は、玄武、白虎と立て続けに戦っており、青竜から受けた深手もあって正に満身創痍。医官から暫くは剣を置くようにと忠告を受ける程だった。
 女帝への目通りを待つ間、魁斗は麗蘭たちと離れて行動していた時の出来事や茗との戦況を手短に話して聞かせた。
 珪楽より琅華山に向かった彼が、山を越えて白林に戻ると、茗との戦は一時休戦状態と為っていた。瑛睡上将軍と茗の燈雅公子との間で合意がなされ、両軍共に一切の戦闘を禁じられていた。
 茗側の関所である両虎関を武力で抑え、麗蘭たちが戻る道を作る積もりだった魁斗は、不安を抱えつつ圭惺へと急いだ。本陣に着いて直ぐに瑛睡に会い話をしたが、案の定軍は動かせないと言われてしまった。
 幾度か説得を試みたものの、事情が事情であるため、両虎関のことは諦めざるを得なかった。もちろん、瑛睡も代替案を考えてくれたが簡単には見出せない。こう為ってしまっては、聖安が表立って茗を刺激する行動は取れなかった。
 そんな折に、麗蘭の師であり元上将軍の風友が、恵帝と一緒に白林へ来たという報せが届く。瑛睡は自身の知己である風友に知恵を借りてはどうかと提案し、魁斗は其れを受け入れて白林に戻った。
 城へ着いてみると予想外にも、恵帝と風友だけでなく優花の姿も有った。大鷲に変化し二人を運んできたのだという。魁斗から麗蘭たちのことを知らされた優花は、妖力を消耗していたにも拘らず同行を申し出たらしい。
 其の話を聞いて、麗蘭は改めて親友に感謝した。元より優花は、風友や麗蘭以外の前で変化することを極端に恥ずかしがっていた。恵帝はまだしも、自ら魁斗を乗せて皆を助けに来てくれたのは、相当な勇気が要ったに違いない。
 麗蘭と蘢の方も、蘭麗と会うまでの話をそれぞれが掻い摘んで話した。一通り話し終えた辺りで、やって来た官吏に広間へ入るよう告げられた。
――遂に、此の時がきた。
 出立して二月も経っていないのに、何年も旅していた気がするのは何故だろうか。其れでも麗蘭は、燈凰宮を出発した日のことは克明に覚えている。
 神剣の継承を通じ、光龍としての自分を受け入れることは出来た。強い信念を持って臨み、大切なものを守り抜く決意を新たにした。
 認め合い、信じ合える仲間との絆が、何と貴重で素晴らしいものか。共に戦える同志が、如何に頼もしいものか。己が心で感じることが出来た。悲願であった蘭麗奪還を果たし、誰一人欠けること無く戻って来られた。
――陛下……母上に、今の私は如何映るのだろうか。
 神剣を手にし、光龍としては一歩前進したと思いたい。だが公主としては、隣に並ぶ蘭麗と比べれば遥かに見劣りするだろう。
――蘭麗とも……早く話をしなければ。
 気取られぬよう、さり気なく妹の方を見やる。公主に相応しい上等な襦裙を着て、髪を結って簪を挿した姿は、昨日の蘭麗よりも更に美しい。
 言い表しにくいぎこちなさが有り、結局蘭麗とはまともに話せていない。もしかすると、彼女の方も話し掛け辛いのかもしれぬ。曲がりなりにも姉なのだから、自分が先ずきっかけを作らねばなるまい。
 立ち止まって思案している麗蘭に気付き、室を出ようとしていた魁斗が振り返った。
「麗蘭、如何かしたのか?」
 はっとすると、彼女は慌てて首を横に振る。
「いや、何でもない。行こう」
――有りのままの私を見ていただくしかない。母上にも……蘭麗にも。
 覚悟を決めて、麗蘭は歩き出した。



 城主の間は、広々とした飾り気の無い大間であった。大きな磚を敷き詰めた床の上に諸臣の椅子が並べられ、最奥に采州侯の座が置かれている。後は両脇に照明が在るだけで、装飾の類は何も見当たらず無駄が無い。
 今、此の寂しくも壮重な広間には、厳かな面持ちで入って来た麗蘭たちと、壇上に在る城主の座に坐す一人の女性しか居ない。繊麗で儚げな彼の女君主は、無機質な要塞には似つかわしくない。
「皆、良くぞご無事で」
 淡い金糸の髪に、若草色の双眸をした絶佳の花――麗蘭と蘭麗の母であり、聖安の国主である恵帝は、立ち上がり腕を広げて四人を迎える。彼女の下、麗蘭たちは横に並んで膝を折った。
「恵帝陛下、御無沙汰しております。戻りましてございます」
 高揚する気持ちを抑え付けた麗蘭が、良く響く声で言う。
「お帰りなさい、麗蘭。皆もお顔を上げてくださいませ」
 久し振りに間近で見る母は、送り出してくれた時と同様恵愛に満ち満ちて、優しかった。彼女も感情を高めているからか、白い頬は薄らと紅に染まり、目尻には涙が光っている。
 女帝は四人の面を順に見ると、端に居たもう一人の娘を見付けて両手で口元を覆う。
「蘭麗……!」
 夢境では幾度も会っていたとはいえ、九年振りの母との再会に、蘭麗も感に堪えないという表情で応える。
「お久しゅうございます。恵帝陛下」
 礼儀を弁え陛下と呼ぶが、長く胸を焦がし続けた込み上げる想いに耐え切れず、もう一度呼び直す。
「母上。生きてまたお目に掛かれて……未だ夢の中に居るようです」
 此の場で母の許に飛び込んで行き再会の喜びを分かち合いたい。しかし、蘭麗に備わる気高さが決してそうさせなかった。姉である麗蘭と臣下である蘢、そして友好国の王子である魁斗の前でそんな行動を取るのは、彼女の誇りが許さない。
 加えて、母の真意に対する漠たる恐れもまた、無意識下のうちに蘭麗の心身を縛っていた。其れはかつて『黒の少年』に依って植え付けられたものだったが、彼女自身は其のことをすっかり忘れていた。
 そして恵帝もまた、蘭麗と同様に取り乱そうとはしなかった。隣の魁斗に視線を移し、今度は彼に会釈した。
「昊天の君。娘たちを助けていただいたこと、ありがとう存じます」
「大恩に報いたまでのことです」
 普段は誰に対しても同じ態度で接する魁斗が、恵帝相手には此の上無い敬意を見せている。相手が国主であるということ以上に、本当に並々ならぬ恩義を感じているのだろう。
「蘢。『四神』たちとの戦いをはじめ、そなたの活躍は度々耳にしておりましたよ。いずれ、然るべき褒賞を与えましょう」
「有り難き幸せにございます」
 全員に言葉を掛け終えると、恵帝は深く首を垂れた。
「大義でした。心よりお礼を申し上げます――国主というより、聖安を愛する者として。そして母として」
 態態最後に言い添えたのは、王である彼女が一人の人として謝すため。民の前で王が頭を下げるなど、本来なら有り得ぬことだ。
「わたくしは、珠玉に和議を申し入れるために参りました」
 其の言は、麗蘭にとっては意外だが恵帝の行幸の理由としては得心のいくものだった。
「金竜が目覚めた今、人間同士でいがみ合っている場合ではありません。出来ることならば手を取り合い、共に立ち向かわねば。さもなくば、我らは皆――滅びの道を辿ることと為るでしょう」
 金竜との戦いは、数々の妖異を相手取って来た麗蘭が今まで経験したことの無い激烈なものだった。あの禍物を前にしては、聖安も茗もない。屹度、誰しもが至る考えだろう。
「麗蘭」
 名を呼ばれ、麗蘭は今一度背筋を伸ばして母を真直ぐに見詰める。
「珠玉との会談の折には、貴女にも同席していただきます。此の国の女帝と為るべき正統な帝位継承者、第一公主として」
「御意」
 強く返答したが、女帝の言葉に麗蘭の心中は震え、激しい動揺が波打ち始めていた。
――珠玉と、あの女と戦う。公主として……!
 恵帝の命は、帝位を継ぐ者として生を受けながら民として育てられた麗蘭を、いよいよ公主として世に知らしめるというものだった。己の宿が、再び激しく回り出そうとするのが途轍もなく怖い一方で、勇気もまた奮い起こされる。彼女に流れる聖安の皇族としての血が騒ぐのか、神巫女として悪を認めぬ魂が昂るのか――どちらかなのか、或いは両方なのかは分からない。何れにせよ、運命の時は間違い無く近付きつつあったのだ。
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