金色の螺旋

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第十章 落暉の女王

十六.黒幕
 謁見の後、麗蘭は優花と同じく恵帝に同行して来たという師、風友の室を訪ねた。
「風友さま、麗蘭にございます」
「ああ、入りなさい」
 許可を得て入室すると、中央に脚の短い卓と椅子が置かれており、傍らに風友が立っていた。長衣の上に半臂を身に着け、下方で一つに纏めた長い髪を背に垂らしている師の姿は、孤校に居た頃と同じである。
「ご挨拶に伺うのが遅れ、申し訳ありません」
 浮き立つ気持ちを出し過ぎぬよう注意しながら、居住まいを正して深々と頭を下げる。
「気にしなくて良い。恵帝陛下にいち早くお目通りするのが当然であるし、長の旅で疲れているだろう」
 柔らかく笑んだ風友は、麗蘭を労り席を勧め、自身も向かいに腰を掛けた。麗蘭は、彼女が変わらず自分を門生として扱っていることに安心し、感謝した。屹度、麗蘭が望んでいると分かった上でそうしてくれているのだろう。
「しかし……驚きました。優花だけでなく、風友さまもお出でに為っていたとは」
「恵帝陛下の命でお供仕った。陛下の行幸に、丞相翠峡をはじめ宮中の反対が強かったので、護衛役として私が選ばれたのだろう」
 そうした事実は、風友が将軍職を辞し都を出て十六年経つというのに、未だに彼女に寄せられる信頼が揺るぎないことを示していた。禁軍の上将軍と為った二十代後半には、あの青竜と剣腕を並べ評される実力を有していたため、其れから間もない全盛期における引退が名声を伝説的なものにしたのだ。
 軍を退いて久しい今、風友の戦力は衰えたが、麗蘭は一度として此の師に剣で勝てたことが無い。彼女を護りとして付けたからこそ、恵帝も危険を冒せたのだろう。
「優花は私が白林へ赴くのを知り、自分も行きたいと言い出した。白林までは飛んだことが在るから平気だと言い張って聞かなかった。あの子は聞き分けの良い子だが、稀にああしてどの子よりも頑固に為る」
「……分かります」
 数か月前、優花と共に風友の孤校で暮らしていた日々を思い出し、麗蘭はあの頃を酷く懐かしんだ。大して時は経っていないはずだが、他愛の無い日常が幾年も前のことのように感じられた。
「他の子供たちを麓の寺に預けて陛下をお連れし、何とか白林に着いてみれば、今度はおまえたちを迎えに恭月塔へ行くと言って譲らなかった。昊天君が一緒だからこそ許可したが、無理をさせたことを悔いている」
 白林城に帰って直ぐ、優花は人型に戻り風友の隣に借りている自室で眠り続けている。折角再会したのに未だ言葉も交わせていない。
「優花と魁斗が来てくれなければ、私も蘢も蘭麗も、如何為っていたか分かりません。私は何時も、仲間に助けられているばかりです」
 仲間との絆を誇り、手を取り高め合う幸せを噛み締めて話す麗蘭を見て、風友は驚くのと同時にじんわりとした喜びを覚えた。
「詳しい話を聞かずとも分かる。おまえは此度の旅を通じて貴く得難いものを得たのだな。本当に……良くやった」
「……ありがとうございます」
 尊敬してやまない師に褒められ、麗蘭は面映ゆそうに頷く。頬を緩ませた風友は、彼女の手に握られた一振りの剣に視線を落とした。
「神剣、天陽か」
「はい。珪楽の地で、歴代の神巫女たちと剣が課した試練を越え、受け継ぐことが出来ました」
 差し出された天陽を受け取ると、風友は半分ほど鞘から引き抜いて確かめる。現れた刀身は白く光り、蓄えられた神力が存在を主張していた。
「千五百年前より存在している剣とは思えぬ程の、美しい輝き。刀身の材質も、鉄のような石のような……見たことの無いものだ」
 興味深い眼差しで暫し注視した後、再び鞘に納めて麗蘭に返した。
「琅華山で対峙した妖王いわく、此れが開光の条件の一つとのことです」
「開光の条件――か」
 光龍の転生である麗蘭を託されてから十六年間、風友は孤校で子供たちを育てる側ら天治界に伝わる神話や伝承、民話の類を研究し、天や非天についてのあらゆる見聞を広めてきた。しかし肝心の開光に関しては、何一つ手掛かりが見付からなかった。
「其れが一体どんな物なのか、記録には残っておらぬ。そもそも、妖王の言葉を何処まで信じて良いのかは分からぬが」
 妖王と言えば、二年ほど前に阿宋山に現れて麗蘭を脅かした異形たちの主君。そんな敵の言葉とはいえ、他に情報が無いうちは無視出来ない。そして実際に、神剣を手にした麗蘭の神気が高まっているのは風友の目にも明らかだ。
「此の旅で痛感いたしました。開光しなければ、私は光龍としての使命を果たせませぬ。青竜や金竜にも、そして瑠璃にも太刀打ち出来ません。当然、黒神にも」
 覚悟を決めた厳粛な声で断言する麗蘭は、大きく息を吐いた。
「黒神が、茗に加担しているようです」
 自らが、そして仲間たちが見聞きしてきた様々な事実から、麗蘭は確信していた。
「此の白林で西の城壁が崩され、妖が放たれた件。あれは、瑠璃の所業かと」
 昔、一時ではあるが孤校で接したことの有る黒巫女の名を聞き、風友は眉を顰めた。巧みな気の操作で己の正体を隠した瑠璃は、彼女をも欺いて孤校に入り込んだのだ。
「蘢……蒼稀上校は、珪楽における玄武との戦いの最中、彼に加勢した瑠璃に攻撃されたそうです。私自身も、琅華山で妨害を受けました」
『そういうおまえが、堪らなく嫌いなのだ……麗蘭』
 妖獣の妖気で意識を失い掛けていた中、確かに耳にした瑠璃らしき女の声。四年程前に姿を消して以来、未だ直接対面したことは無いが、妖霧の森であの声を聴いた際や白林で矢を射掛けられた時は、はっきりと存在を感じたのを覚えている。
 腕を組み、黙って耳を傾けていた風友は、重々しく口を開いた。
「断片的な話を聞いたうえでの私の勘だが……奈雷が施した金竜の封印が解かれた八年前より今に至るまで、全て黒神が糸を引いていたのではないだろうか」
 風友の所感は、麗蘭が薄っすらと考えていたものと似ていた。だが黒の神が影響を及ぼしている期間が、其れ程長いとは思っていなかった。
「我が国との停戦後、人界統一を推し進めていた珠帝は、茗を脅かした彼の怪物から国を守るために全国力を傾けた。青竜が金竜を封じた後は、其れまで他国に仕掛けていた多くの侵略行為を中断して復興に注力した」
 ある時を境に珠帝の対外政策が消極化したが、聖安との停戦協定を結んで落ち着いたことや、長い大戦で疲弊したことなどが主な理由として挙げられていた。
 金竜のことも一因として言われていたものの、主因とは考えられていなかった。彼の人外の脅威については茗が徹底して情報統制を敷いているため、事の詳細が外部に漏れなかった所為もあろう。
「以降、珠帝は人界統一に消極的に為った。また進んで侵攻していた時期も有るには有ったが、他国に弱みを知られぬための誤魔化しとも取れる」
 珠玉に関する話の中で、「国を守るため」「弱み」などという言葉が出てきたことに、麗蘭は若干の違和感を抱く。王であれば国を死守するのは当然だが、あの女傑に限ってはそぐわないと感じたのだ。
「其の後、何らかの形で黒神と接触し其れがきっかけと為って、再び我が国との開戦に踏み切った――一部私の憶測が入っているが、こんなところではないか」
「風友さまは、発端と為った八年前の金竜解放は黒神の仕業だと……そうお考えなのですね」
 其の質問に、風友は頷いて答えた。
「天帝陛下に依って封じられたはずの黒神がおまえの前に現れたのが、約九年前。私の知る限り、復活後の黒神が表舞台に出てきたのは其れが初めてだ」
「確かに、金竜復活の時期と重なります」
 黒神との邂逅を金竜の話と繋げて考えたことが無かったため、風友の指摘にはたと膝を打つ。
「其れだけではなく、先日青竜の封印が解かれたのも黒神の意図やもしれぬ。自らが金竜を解き放っておきながら、珠帝に力を貸しているのか――或いは、脅しを掛けているとも考えられる。飽くまで想像に過ぎぬがな」
 如何に鋭く、非天に関して一方ならぬ知識の有る風友の推察といえど、十分な根拠は無い。彼女は黒の神と直接見えたことは無く、珠帝とも久しく会っていないうえに人柄を深く知っているわけでもない。
「おまえは珠帝と会い、話したのだろう。其の際、何か気付いたことは?」
 黒の気に誘われて、頂上へと続く螺旋階段を一段ずつ上り、着いた先に待ち受けていた宿敵と対決したあの時――麗蘭はまざまざと残る記憶を呼び起こし、師への回答を探した。
「恭月塔では、最上階に至るまでは黒神の気配を感じましたが、いざ珠帝と対峙してみれば……黒の気は疎か、何の気も感じられなく為りました」
「珠帝本人の気もか?」
「はい、おかしいとは思いました。以前、魁斗が自分の気を完全に消していましたが、彼は特別だと思っておりましたので……」
 一度麗蘭から目を逸らし、風友は腕を組んで俯いた。
「其の通りだ。諜者として長年訓練を受けているか、半神や神巫女でもない限り、そんな芸当は到底出来ぬ。先の大戦で珠帝を数度だけ見たことが有るが、其処まで特殊な神人とも思えなかった」
 推考に拍車が掛かり、風友の中ではほぼ結論が固まっていた。
「何らかの大いなる存在が珠帝に力を与え、人間離れした業を可能ならしめているのだろう」
「珠帝は黒神から譲り受けた力で私を誘き寄せ、相見える際には故意に気を消していた――」
 考えもしなかった可能性を示され、麗蘭は改めて師の慧眼に敬服する。
「見えぬのは、黒神と珠帝の関係と彼らの思惑だ。其処が判然としないうちに、恵帝陛下とおまえがあちらに接触するのは極めて危険だが……陛下の強いご意向である以上、会談は仕方あるまい」
 其の口振りからも、風友が恵帝の白林来訪を反対していたであろうことが窺える。隠遁同然の彼女を強引に駆り出させたのだから、恵帝の意志は余程固いのだろう。
「麗蘭。常に警戒を怠らず、恵帝陛下をお守りするのだ。おまえにとっても我が国にとっても、此れからが本当の始まりなのだから」
 麗蘭を見据える風友は、落ち着いた調子を保ちながらも確かに語気を強める。
「承知しました」
 迷い無く即答したが、麗蘭の胸中には得も言われぬ気掛かりが存していた。母と共に挑む珠帝との『戦い』に、暗い影が差すのを明確に感じていた。
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