金色の螺旋

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第十章 落暉の女王

二十二.君主会談
 二大国の君主会談は、泰明平原の中央に設えられた天幕内において、定刻通りに開始された。過ぐる日に行われた瑛睡と燈雅の会談と同じく、聖安と茗の両軍が決められた距離を取り天幕を囲むようにして、五十余名ずつ配置されていた。
 周囲を固める聖安軍を率いる瑛睡に、自ら従軍した魁斗。騎乗して並ぶ二人は葡萄色の幕屋を注視し、反対側に配された茗軍の動きにも目を光らせていた。
 薄群青を基調とした齊胸襦裙を纏い、太陽色の髪を編んだ麗蘭と、長く垂らした髪に合わせた黄金の深衣を身に付け、歩揺冠を頭に乗せた恵帝。正装した二人は眩いばかりに臈長けていて、輿から下りる際に従者たちが見惚れて動きが遅れた程だった。
 会談の場には、麗蘭たち出席者しか立ち入れぬことに為っている。互いに護衛も付けず、一切の武装は禁じられているため丸腰で入る。
 麗蘭は、使い慣れた剣や弓を持てないという一抹の心配を抱いていたが、条件は敵とて同じ。そう思うと、僅かではあるが安心も得られた。
 慣例通り、開催を打診した恵帝と麗蘭が先に幕内へ入り、珠帝と燈雅を迎える。席に着いていた恵帝たちは、珠帝たちが現れると立ち上がり、形式通りに上座を案内した。
「ご臨席を賜り、感謝申し上げます。珠帝陛下にはご無沙汰しております。此の者は、第一公主麗蘭でございます」
 恵帝に紹介された麗蘭は、一歩進み出て珠帝と燈雅に向け立礼する。
「以後、お見知りおきを」
 聖安側の挨拶が終わると、次は茗側の番と為る。
「恵帝陛下とは九年振りか。麗蘭公主とは……つい先日恭月塔でお会いしたな」
 形の良い眦を細めた珠帝は、横目で麗蘭を見る。やがて視線を恵帝へ戻すと、彼女に倣い立ったままで頭を下げた。
「お目に掛かれて光栄の至り」
 続いて傍の燈雅を前へ出させ、麗蘭たちに紹介する。
「此れは我が国の皇子、燈雅と申す。今は青竜上将軍に代わり、茗の全軍の指揮を任せておる」
「お初にお目もじ致します」
――此の男が、燈雅か。
 初めて会う茗の皇太子は、麗蘭の目からも只者ではないことが直ぐに見て取れた。精悍で堂々としており、如何にも公子然とした雅やかな気を纏っている。神力も大きく、神人としても優れているのだろう。
 挨拶が済むと、恵帝が珠帝と燈雅に席を勧める。先ず珠帝が腰掛け、燈雅が座り、次いで恵帝、麗蘭とそれぞれの席に着いた。
「本日ご参集いただいたのは、現在停戦状態と為っている此度の戦につき、今後如何してゆくかをご相談したいため。事前にお伝えしている通り、我が国は休戦、和睦を申し入れます」
 恵帝が論題を述べ、他の三人は其れを静聴する。発議者が背景説明を含めた問題提起を行い、其の後議論に入るのが公式な会談の流れだった。
「過日、圭惺に『金の竜』が現れ、貴国の陣営に被害を与えたと報告を受けました。八年前に初めて現れた際も貴国は甚大な損害を被ったと聞き及んでおります」
 鈴を振るような声で淀み無く話す恵帝は、珠帝と目を合わせて逸らさない。自身が話している最中も、相手の心の機微を捉えようとしているためだ。反対に、自分の考えは読み取らせまいと、小さな表情の変化も漏らさない。
「金竜は我が国にとっても強大な脅威。願わくは、貴国と手を取り合い、共に戦いたく存じます――以上が、わたくし共からのご提案とお願いでございます」
 発案が終わり、今度は珠帝に発言権が渡る。そう間を置かずして珠帝の口から飛び出したのは、誰もが望まぬ答えだった。
「休戦する積もりは無い。共闘など以ての外だ」
 寸分の躊躇いも無く言い放たれた珠帝の言葉は、緊迫した空間をより一層凍り付かせる。
「周知のことかと思うが、我が茗の悲願は人界統一。貴国との戦いを制し、貴国及び属国を手に入れるのが不可欠。其れは金竜が現れようと変わらぬ。先日我が軍が受けた被害など、茗軍全体から見れば大したことは無い。戦の続行は今すぐにでも可能」
 一言も聞き逃すまいと傾聴する麗蘭の胸中では、嫌な予感が膨れ上がってゆく。再三和睦を勧めてきた燈雅も、敵の手前顔色こそ変えないものの、珠帝を止めたくても止められないもどかしさを抑えていた。
 国内で長い時間協議してきた恵帝とは違い、珠帝は全くと言って良い程話し合いを行ってこなかった。同席する燈雅が尋ねても、悪いようにはしないとだけ答えて明言を避けていた。
 恐らく彼には知らせぬよう戦争続行の案を枢府に流し、三公に認めさせて形だけ整えたのだろう。先日の粛清により、現在宮廷には珠帝に反対する者は居ないのだから、尚更容易だったはずだ。
「貴国はそちらに御座す姫君を遣わし、我が国の領土に侵入した挙句、『友好の証』として『お預かり』していた蘭麗公主を武力で奪い返した。そんな状況で今更協力などと言われても、同調致しかねる」
――よくもぬけぬけと。
 此方を一瞥し、平然と言ってのける珠帝に、麗蘭は我知らず奥歯を噛む。もし帯剣が許されていたら、また剣を抜いてしまっていたかもしれない。
「――依って、茗は貴国の申し入れを拒否する」
 珠帝の口上が終わり、場は沈黙に包まれる。暫くすると、恵帝が再び話し始めた。
「遺憾ながら、陛下が人界統一のお考えを持ち続けると仰るのなら、わたくし共も総力を挙げて阻止させていただく所存です。公主をお返しいただいたのも、其の準備のため」
 先程の珠帝による挑発的な発言にも動じず、断固とした口調で応戦する。
「しかし、状況は変わりました。金竜が出現した今、率先して人界を守るべき我ら二大国が敵対し合ったままでは、そう遠くないうちに全てが滅ぼされてしまいます。ご英明な陛下になら、お分かりいただけるかと存じますが」
 眉一つ動かさずに述べつつ、恵帝は此の展開に驚いていた。敵ながら君主としての珠帝を認めていたこともあり、此処まで言わねばならないとは思っていなかったのだ。
 そして珠帝は、恵帝の淡い期待を更に裏切り続けた。
「麗蘭公主は御承知のように、復活した金竜は青竜上将軍が御している。今後あれが生きているうちは現れることは無い。実際に、あの時以来今日まで一度も出現していない」
「お言葉ですが、陛下。人の身に共存させるのに、金竜の力は余りに膨大。幾ら青竜上将軍とて、何時制御し切れなくなるか分かりませぬ」
 憤りを封じて息苦しい緊張を隠し、麗蘭が口を挟む。
「心配はご無用。あれはかつて、己が命のあるうちは奴を逃さぬと誓った。最高の神人の威信をかけ今暫くは持ち堪えるだろう。戦は其の間に済ませれば良い」
 無茶な理屈だと、麗蘭は眉根を顰める。彼女だけでなく、金竜と対峙した燈雅も同意見だったが、珠帝を良く知る彼は加えて疑問を抱く。誰よりも金竜の恐ろしさを体感している珠帝が、金竜の力を甘く見積もる愚行を犯すなど、本来なら有り得ないはずだ。
「無条件での停戦には断じて応じぬ。が、取引には応じても良い」
 持参し机上に置いていた扇を手に取り、珠帝はおもむろに広げて口元を隠す。麗蘭の側からは珠帝がどんな顔をしているか見えないが、紅色の双眸には愉しげな色を湛えていた。
「九年前は、蘭麗公主。此度は何をいただけるのか、楽しみなことだ」
 其の一言に、麗蘭はぞっとする。此の恐ろしい女は、あの悲劇を今一度繰り返させようとしているのかと、身の毛のよだつ思いがする。
「陛下、あの時のような取引はもう致しませぬ。貴女がたにも、わたくし共にも、『犠牲』を作らずに済む道を探りたいのです」
 母の答えに少しの迷いも無かったため、ほっと安堵の吐息をついた。そもそも今の戦況で、珠帝が聖安に対し一方的に何かを要求してくること自体が不自然である。
「困ったな、平行線で話が進まぬ。こういうのは如何か?」
 扇で鼻より下を覆ったまま、珠帝は隣の燈雅へと目線を動かした。
「此の燈雅は、妾とは血が繋がらぬ先帝の息子で、妾自ら後継と定めている。既に後宮には側室たちを何人か娶っておるが、世継ぎを産む妃は何人居ても良い」
 恵帝や麗蘭のみならず、話題に出された燈雅本人も、突然の発言に珠帝の意図が掴めない。
「お二人の公主のうちどちらかを、燈雅にくださらぬか。但し、正妃の座は差し上げられぬ。聖安の姫を我が茗の女帝に据えることなど、万に一つも有ってはならぬのでな。燈雅、おまえは如何思う?」
 突飛な求めに対し、全員が呆然とさせられた。考えを述べるよう命じられた燈雅は、首を傾げたく為るのを堪え、内心を全く出さずに無難な答えを返した。
「麗蘭公主のような美姫を迎えられるとあらば、男として此れ以上の至福はございませぬ」
 彼には、継母が何故こんな無意味な戯れ事をするのか分からなかった。宿敵の公主を娶るなど、太陽が西から昇るのと等しい程有り得ぬ話だ。おまけに女帝の娘を側妻として迎えるというのは、聖安にとって露骨で甚だしい侮辱である。
 麗蘭の方も、酷い嘲りだとますます苛立ちを感じたが、涼しげに自分を見詰める燈雅の『世辞』に不覚にも肩が跳ねる。
「……其れは願ってもないお話。長い争いの歴史に終止符を打ち、親交を深める切っ掛けとなりましょう」
 非礼極まりないと怒っても良いところを、恵帝は意に介する様子も無く微笑して受け流す。
「珠帝陛下。本日のところは此れくらいに致しましょう。続きは、また明日に」
「そう致そう」
 着地点が一向に見えぬうちに、恵帝は初日を終了させた。今日、此のまま続けたとしても、落としどころを見出せずに時が過ぎゆくのみと判断したのだ。
 当初の予想とは異なり、余りにも短時間で終わってしまったので、麗蘭は拍子抜けするのと同時に不安に駆られた。此の調子で、本当に和睦など実現するのだろうか。こうして時間を消費している間にも青竜の命は削られ、金竜が放たれてしまうのではないか――と。
 厳しい面持ちの恵帝と麗蘭が見送る中、珠帝と燈雅は退席した。続きは明日此処で、今日と同じ時刻に開始されることと為っていた。
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