金色の螺旋

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第十章 落暉の女王

二十七.嫉妬
 燃える火の輪に譬えられ、二十年もの歳月を女王として生きた女、珠玉。彼女には、王として持つべき総てが備わっていた。
 愛を得て、其の偉大さを噛み締めながらも投げ捨てて、野望の果てに王座を手に入れた。富、美貌、力、名誉――人が手に入れることを許された有りと凡ゆるものを手にした彼女は、妬みという感情を知らなかった。おおよそ九年前の、あの日を迎えるまでは。
 珠玉が嫉妬を覚えた最初で最後の女は、敵国の王妃だった。高貴な生まれと美しさと、多少の聡明さ以外には取るに足らぬ、他愛の無い小娘。王の寵愛を受け後宮でぬくぬくと生きるだけで、珠玉から見れば大した女ではない。
 人界統一の夢を叶えるため、珠玉はあの女の国に侵攻した。猛攻により敵国は壊滅寸前と為り、あの女の夫である王も戦死したが、珠玉の国も疲弊して戦を続けられなく為っていた。
 考えあぐねているところに、あの女の娘を捕らえたという報せが入った。会ってみれば未だ十にも満たぬ幼い娘で、母親にそっくりな面差しをしている。何十人もの兵に囲まれても涙一つ零さず凛然として、珠玉から目を逸らさずに見詰めてくる。
――死んで生まれた妾の娘も、生きておれば此れくらいの歳に為っていたであろうか。
 其の娘と会った時、珠玉の頭にとある酷悪な計略が浮かんだ。母であるあの女を呼び出し、『取引』を持ち掛ける。あの女の反応に、とても興味が有った。只の女なら泣き崩れて決められぬであろうし、珠玉と同じ王に為る素質が僅かでも在れば全く顔色を変えずに乗るだろう。結果は、後者だった。
 そして母が決断を下す間、娘は小揺るぎもしなかった。幼さゆえに状況を解せなかったわけではない。国のため、母に依って生贄に捧げられたのだと理解したうえで、粛々と受け入れたのだ。
 あの女に対し、珠玉が初めて嫉妬の念を抱いたのは、其の時だった。籠の中に閉じ込めた娘に会いに行く度、黒い塊の如き醜い想いは増殖してゆく。娘が成長し母に似てゆくのを認める度、娘の中に在る気高さを感じる度、珠玉の心の底深くへと沈殿してゆく。
 何時しか其れが巨大な闇と化して手に負えなく為り、珠玉を呑み込んでいた。後戻り出来なく為った決定的瞬間は、あの女にもう一人の娘が居ると知った時。其の二人めの娘が、珠玉には決して持てない特別な力と使命を背負っていると知った時だ。
 認め合い、助け合うことなど、最初から不可能だった。王の器を持つ珠玉といえど、所詮は一人の人間に過ぎない。己れが決して手に入れられぬ物を持つ他人を羨み、自身の脆弱さを嫌悪する凡庸な女――身の程を思い知らされ、ますますあの女を許せなく為った。
 珠玉があの女ではなく邪神に助けを乞うたのは、実に詰まらぬ理由からだった。



「珠帝陛下。今日は互いに、上面だけでない立ち入ったお話をさせていただきたく思います。時が無いのは、貴国もわたくし共も同じはず」
 昨日と同様の場所時刻、同様の顔触れで開かれた二日めの会談は、恵帝の斯様な言葉から始まった。
「……良かろう。では、恵帝陛下のお心内をお聞かせ願おうか」
 珠帝が了承すると、恵帝が大きく頷いた。
「もう、御存知でしょう。此の麗蘭は、天帝が下した神巫女光龍の化身。『わたくしたちの』敵、金竜を倒す力を秘めています」
 今更言うまでもない、珠帝にとっても燈雅にとっても既知の事実である。
「恵帝陛下には恐れ入ったわ。麗蘭公主を妾から守るため野に逃がし、次いで生まれた蘭麗公主を囮とするとは。妾には実子が無いが、居たとすれば左様な決断が出来たかどうか」
 悪意と軽蔑を内包する珠帝の厭味にも動じず、恵帝は傍らの麗蘭を横目で見つつ続ける。
「我が娘ながら、強く成長いたしました。千五百年前金竜を封じた神巫女の如く、非天と闘う先鋒と為り、人々の希望と為りましょう」
 自分を語る母の言葉に、麗蘭は胸の鼓動が高まるのを感じる。
「人と非天の聖戦には、茗も聖安も関係ありませぬ。麗蘭の力も、全ての人間のために与えられているに違いないのですから」
「恵帝陛下は、公主の力を我が茗にもお貸しくださると……そう仰るのか」
 疑念混じりの驚嘆を向ける珠帝に、恵帝は真摯な瞳で答える。
「無論でございます。天帝が遣わした巫女は、我が国だけのものではないと考えておりますゆえ」
 そうした恵帝の姿勢は、彼女の持つ高潔な信仰心に依るものだ。天帝を尊崇する信念は、神を拝さぬ珠帝の其れとは対照的なものだった。
「珠帝陛下、恐れながらお訊きしとうございます」
 母と珠帝の問答が一段落して、麗蘭も真正面から問い掛ける。
「何なりと」
 許可が下りると、臆すること無く核心に切り込む。
「蘭麗より伺いました。陛下が黒の神と関わりを持っておられると」
 微かな笑みを浮かべ、珠帝は否定も肯定もせずに麗蘭の言葉を促す。
「貴女程の方であればお分かりでしょう。黒神の力は貴女に害を為し、いずれ御命すら危うくさせる。今なら未だ、間に合うかもしれませぬ」
「妹御を奪い、そなたの人生を狂わせた妾の身を案じてくださるのか。流石、神巫女殿は慈悲深い方よのう」
 皮肉の篭った返答に、麗蘭は怒り出したく為るのを何とか耐えた。
――案じたくて案じているのではない。
 叶うのならば、今直ぐにでも意趣を晴らすために恨みの言葉を言い連ねたい。蘭麗と自分が受けた仕打ちが如何に酷いものであったか、ほんの一欠片でも珠帝に思い知らせたい。
「黒神は、我ら人間を救ってくれる善神ではありませぬ。人を玩弄し、破滅させて愉しむ恐ろしい邪神。金竜を解き放ったのも、奴の仕業かもしれないのです」
 極力冷静に為ろうと努めながら話す麗蘭だったが、其の声は様々な思いに溢れて今にも震え出しそうだ。
「恭月塔でお会いした際、貴女は守りたいものがあると仰った。我らが手を取り合えば、邪神の手など借りずとも、屹度果たせます」
 未来の為政者として、人界の平穏を守る神巫女としての麗蘭は、珠帝と手を結ぶべきという母の意向に賛していた。
 ゆえに、本心を偽り斯様な話をしているのではない。だが胸中の何処かでは、納得仕切れていない部分も存していた。
 何時しか目を閉じていた珠帝は、麗蘭の訴えが終わると再び彼女を直視する。珠帝の見目好い顔に先程までの笑みは無く、空虚さに満たされ一層真意の見えぬ面持ちと為っていた。
「麗蘭公主――そなたの力で、今度こそ彼の竜を滅せられるか。我が国を……我が国の英雄を、助けてくださるか」
 虚ろでありながら、珠帝の双眸は確かに麗蘭を捉えて離さなかった。一切の誤魔化しを許さぬ厳しい目で、麗蘭を見極めようとしているかのようだ。
『そなたらは力を持ちながら、金竜に依って人界に齎される大いなる悲劇を許した』
 恭月塔で、珠帝に冷たく指摘されたのを思い出す。此の先『大いなる悲劇』を引き起こしては、青竜を死なせずに人界を救おうとした自分と魁斗の決断が、珠帝の言う『醜悪な偽善』に為ってしまう。
「やってみせましょう」
 決然とした麗蘭の答えには、己が使命への挑戦と珠帝への対抗心の両方が表れている。
 珠帝と麗蘭が見合ったまま動かずにいる間、傍観していた燈雅は幼い公主に見入っていた。
 大人の男ですら気圧される珠帝の王気を前にして、全く怯えている様子が無いのにも感心したが、何よりも其の魂の純粋さに惹かれた。深紫の双眸にも、澄んだ精神より紡ぎ出される一言一言にも、麗姿より立ち上る神気にも、一点の澱みも見受けられない。公子として生まれ育った燈雅も、こんな皇族を見たのは初めてだった。
――此の娘の持つ人としての資質なのか、神巫女としての天性なのか。
 自問したが、答えは出ない。気に為って仕方がない。此の少女の過去から未来へ至る、全貌を見てみたい。普段の燈雅が抱くものとは違った形の欲望が、沸沸と湧いてくる。
 程無くして、突如珠帝が席を立った。広々とした幕屋の奥へと歩き、皆に背を向けたまま立ち尽くす。彼女に続いて恵帝も立ち上がると、珠帝へ更なる呼び掛けを続ける。
「『わたくしたちの争い』は、全てが済んでからでも良いではありませんか。しがらみは忘れ、国を守るのです」
『わたくしたちの争い』という表現には、聖安と茗の戦いという意味合いだけでなく、恵帝と珠帝の戦いという意味が色濃く表れている。
 二人の女帝は、其の座に就く前より何かと比較され、対立を繰り返してきた。恵帝は、意図せず生まれた対抗心が積極的な協力関係を阻んでいると指摘したのだ。
 珠帝の返答が無く、暫し静寂が流れた。他の三人が固唾を呑んで待つ間、彼女が如何様な表情をしているのか見えない。
「恵帝陛下。そなたには耐えられても、妾には耐えられぬことが有る」
 やっと発せられた声は、付け入る隙も無い程冷たく低く、其れでいて微弱なる震えを帯びていた。
 恵帝の声も麗蘭の声も、恐らくは燈雅の声すらも、珠帝の心には響かない。彼女はこの会談に臨むよりも、再戦の宣戦布告をするよりもずっと前から、たった一つの結末に向けて疾走することを固く決心していたのだから。
「天帝の神巫女よ。我が茗のため、死んでいただく」
 振り返った珠帝の右手には、大きな黒石の剣が握られていた。麗蘭を見据える彼女の両眼は炯炯と燃え、口端に歪んだ笑みを描いていた。
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