金色の螺旋

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第十章 落暉の女王

六.紫蘭を想う
 珪楽を出発した麗蘭と蘢は、人目に付く街道を避けつつ『恭月塔』が在るという『彩霞湖』へと歩みを進めていた。
 珪楽村で手に入れた茗人の衣服を纏い、旅の剣士を装っていた二人だが、肌の色など純粋な聖安人の特徴は隠せない。また、本人たちに自覚は薄いものの、眉目秀麗な彼らが並ぶと何もせずとも目立ってしまう。
 其れでも幸いなことに、取り立てて大きな問題は起きなかった。不自然なのは、日に幾度かの妖による襲撃だった。聖安とは異なり、妖が滅多に出ないことで有名な茗で、である。
 正午頃、森の中の水辺で休憩を取っていた彼らは、朝から二度目と為る妖の強襲を受けた。瞬く間に倒し切り、穢れた血を剣から懐紙で拭った蘢は、射抜いた妖に近付き見下ろしていた麗蘭に声を掛けた。
「何か変なものでも感じた?」
「いや……白林や妖山の時のように、黒の力に操られているのではないかと思ってな。だが、違うようだ」
 醜い妖の死骸から矢を引き抜き、血の付いた矢尻も調べる。神力を大量に消費する隠神術を続けつつ、短時間で息一つ切らさずに十以上もの妖を仕留めた麗蘭を見て、蘢は改めて感嘆した。
「気を隠すのに随分と慣れてきたね」
 率直な感想を述べた蘢に、麗蘭が首を縦に振った。
「神力の量が増えたことも有るが、以前よりも扱い易く為った気がするのだ。此れも、天陽の力だろうか」
 隠神術を巧みに駆使している麗蘭の気を、下等な妖がそう簡単に察知出来るとは思えない。彼女だけを意図的に狙っている訳ではないとすれば、妖の数が増え遭遇する確率が高く為っているということだ。
「茗にも妖が出るなんて、普通じゃないね。此れも金竜の影響かな?」
 金竜が現れてからというもの、大地から発せられる気が乱れているのは、邪気に鋭い麗蘭だけでなく蘢も感じ取っていた。
「ああ。しかし不可解なのは、帝都に近付くにつれて一層気が不安定に為っていることだ。金竜を封じた青竜が都に居て、制御出来ていないのか……或いは」
「黒神が都に居るかもしれない……そうだよね? 此処からでは、黒の気か否か不明瞭だけど、気が乱れる理由としては十分だ」
 蘢の質問に重々しく頷くと、彼女は弓矢を背負って歩き出す。
「……行こう。日が暮れる前に、先に進んでおこう」
 良くないとは分かっているが、黒神のことは出来るだけ思考の外にやっておきたかった。瑠璃を使って何をさせているのか、いずれは突き止めねばならないが、今は只一向恭月塔を目指し、蘭麗を助け出すことに専念したかった。


 陽が沈み始め、麗蘭たちは森の中で偶々見付けた小さな廃堂で夜を明かすことにした。非常に古く、中は湿気が酷かったが、昨夜は野宿だったこともあり、屋根が有るだけでも有り難く思える。
 三つしかない畳室の中から、万一敵に襲われたとしても逃げ易い一室を選び、真ん中に向かい合って腰を下ろす。残っていた蝋燭に火を点けると、漸く落ち着くことが出来た。
「今日も、無事に終えられそうだね。此の分だとあと少しで『彩霞湖』の側まで行けそうだ」
 蘢は魅那から譲り受けた茗の地図を広げて、麗蘭と共に覗き込む。今日進んだ道程を確認すると、順調に目的地に近付けているように見える。
「妖共はともかくとして、茗側の妨害が無いところを見ると、誘き寄せられているとしか思えぬ」
 珪楽を出て二日経ったが、途中仕方な立ち寄った町でも兵が見張っている様子などはなかった。此処まで反応が無いと、全く気にされていないか掌で踊らされているかのどちらかであろうが、麗蘭も蘢もかなりの率で後者だろうと踏んでいた。
「嫌な言い方に為るけれど、今の茗にとっては蘭麗姫よりも君の方が利用価値が大きい」
 頷いて同意すると、麗蘭は腕を組みますます表情を硬くした。
「罠であろうと、姫を助け出す以外に道は無い。此の旅の目的であるし、其れに……」
 言い掛けて躊躇うが、結局打ち明けることにして先を続ける。共に蘭麗を助けに向かう蘢には、言っておきたいと思ったからだ。
「琅華山で、蘭麗姫と会ったという話をしたな? あの時は言わなかったが……私は姫に拒絶されてしまった。当然といえば、当然だ」
 彼女の告白が意外だったのか、蘢は微かに驚いた顔をする。
『今更私を助けに来て、ご自分の居場所を手に入れたいだけなのでしょう? 家臣たちに、民たちに、公主だと認められたいだけなのでしょう?』
 妖山での出来事から短い間に様々なことが起きたが、あの言葉が麗蘭の頭から消えた日は無い。
「姫が私を恨んでいるのではと思うと、胸が痛い。だが、やはり……如何しようもなく会いたい。不思議なものだな」
 夢境ではなく現実の世界で妹と再会し、自分が疎まれていることが明らかと為った時、耐えられるかどうかは分からない。だが、姫に対する決意はずっと変わらない。
「先ずは姫を助け出し、此の想いを伝えたい。罪を背負い贖罪してゆくのは、其れからだと思っている」
 黙ったまま麗蘭の話を聞いていた蘢は、深々と頷く。先程の彼女と同じく何かを言いたげな様子で迷っていたが、やがて心を決め、ゆっくりと話し出した。
「今まで、話していなかったことだけど……僕は昔、蘭麗姫にお会いしたことがあるんだ」
「……そうなのか? 其れは初めて聞いた」
 思ってもみなかった発言に、麗蘭は目を丸くする。
「十年近く前、子供の頃の話だよ。姫が人質として茗に幽閉される少し前のことだ」
 子供の頃と聞いて、兒加で號錘や玉英が教えてくれた蘢の過去を思い出す。
「茗との戦で両親と故郷を失くし、憎しみに駆られていた時期があった――激しい怒りのためだけに強さを追い求めていた、虚しい日々だった」
 戦で孤児に為ったという話は聞いていたが、何時でも冷静で物柔らかな蘢にそうした時期があったとは、余り想像出来ない。 
「そんな折りに、偶然姫とお会いした。ほんの僅かな時間ではあったけれど、麗しい御姿や清廉なお心に触れて、僕は……全てを失って以来、初めて幸せを感じたんだ」
 神聖なる存在を崇め平伏す時の畏敬と、姫君に憧れる純粋な思慕。麗蘭は蘢の蒼蒼とした瞳に、飾り気の無い少年の心を見た。 
「もし本当に、姫が君を拒む程追い込まれているのだとしたら……助けに為りたい。子供だった僕を救ってくれたのは、間違いなく彼の方だから」
 珪楽での最後の晩、魁斗と三人で誰が恭月塔へ向かうかを話している時、蘢が強い態度で自身が行くと言い張った理由が、麗蘭にも明白に分かった。
「おまえと蘭麗姫の間には、そんな繋がりが在ったのだな」
「姫の方は、僕の事など憶えていらっしゃらないだろうけどね。其れでも構わない」
 其処まで言うと、蘢は麗蘭の顔を真っ直ぐに見詰めた。
「君と共に戦い、国のために尽くす。そして、蘭麗姫をお救いする。僕にとって、どちらも為し遂げねばならぬ『宿』だ。そう、信じている」
 彼の双眸の奥に見えるのは、野心や欲望といった濁りものの含まれていない、清澄で気高い意志。麗蘭は仲間の至誠な魂を感じ、喜びに顔を綻ばせた。
「蘢、ありがとう。おまえが姫のことをそんなに考えているとは。如何してなのか……自分のことのように、とても嬉しい」
「其れは、君が良き姉君だからだよ」
 心に甦る姫君の姿を思い浮かべ、麗蘭の傍らに並べた。何の根拠も無いが、此の二人は屹度素晴らしい姉妹に為る予感がする。
「そうなのだろうか。だが、確かに言い知れぬ繋がりを感じている」
 其の繋がりがあるからこそ、離れていても信じられる。蘭麗姫が生きているであろうことも、何かに戸惑っていることも。
 自らの胸に手を当てて、麗蘭は目を閉じた。紫瑤を発つ日、心奥に響いた蘭麗の悲痛な叫びが呼び起こされる。
『来てはいけません、姉上』
――済まぬな、蘭麗。拒否されても憎まれても、私はそなたに会いたいのだ。
 心の底で妹に詫びると、再び顔を上げて蘢に尋ねた。
「恭月塔に姫が居ると言ったのは、玄武だったな?」
「うん。だから、定かではない。でも強敵が居るのは確かな気がする――恭月塔には『虎』が居ると、奴が言っていたから」
――そして、こうも言っていた。僕は『虎』に噛み殺されるだろう、と。
 玄武の言葉を思い起こし黙ってしまった蘢に、麗蘭が聞き返した。 
「虎……?」
「単純に考えれば、四神の一である『白虎』だろうね」
 虎、と呼ばれる茗側の武人で、直ぐに名前が出てくるのは其れしかない。
「五年位までは将官として禁軍に居て、将軍昇進の話を受けずに御史部へ移った。今は大御史として、国内外の監視や珠帝の対抗勢力の粛正を担っている」
 過去の大戦でも、青竜や玄武程ではないが、未だ若かったにも拘わらず他国にまで活躍が知れ渡ったという。蘢自身は、瑛睡をはじめとする上官たちや、士官学校時代の仲間に噂を聞いた程度だった。
「武人としてどんな使い手なのかは、良く知られていない。ひょっとしたら、玄武より強敵かもしれない。確かに言えるのは……過去、蘭麗姫を探しに茗に入り、生きて帰った聖安人は居ないという事実だけ」
 強さにおいて玄武を超える可能性が有ると聞き、麗蘭は思わず身体を硬直させた。天陽を得たことで自分は力を高めたが、蘢は依然として本調子ではないのだ。
「誰が待っていようと、敵は僕が倒す。麗蘭は少しでも早く蘭麗姫を探して、お救いして欲しい」
 蘢の声は何時に無く力強かったが、厳しい冷たさを帯びていた。其れは、彼が蘭麗救出に全てを懸けていることを示している。
「ああ、分かった」
 そう答えはしたが、麗蘭にも敵を倒す気概は十分に有った。蘭麗の未来を取り戻すため、姉妹として共に歩むため――彼女にも戦うべき理由が有るのだから。
 話を終えた二人は、途中立ち寄った町で手に入れた食料を用いて簡単な食事をした。朝までに何かが起きた際の対処について打ち合わせた後、蘢が直ぐ隣の室に移り、早めに眠りに就いた。
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