金色の螺旋

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終章

二.王を継ぐ者
 茗と聖安の二大国にとって、記憶を呼び起こすだけでも恐ろしい終わりと始まりの日。珠帝と恵帝が同時に喪われた日――
 あの日、自陣の天幕内において燈雅が目を醒ました時には、全てが終わっていた。珠帝に殺意を向けた麗蘭を止めようとしたところまでは覚えていた。しかし其処で意識が途絶え、後は人伝に聞いたこと以外分からない。同席していながら途中で締め出されたのは、彼にとって酷く屈辱的な失敗だった。
 会談が始まり半刻も経たぬうちに、茗側も聖安側も、それぞれが異変に気付き始めて大騒ぎに為っていたという。金竜が出て来たと思えば黒い竜が現れ、余りの邪気に神人も只人も皆動けなく為った。暫くして暗雲が晴れ穢れが引き、両軍が会談の場へ近付いてみると、在ったはずの天幕は影も形も無くなっていた。
 二頭の竜はおらず、珠帝の姿も消えていた。荒らされた地に残っていたのは、多量の血を流して倒れている恵帝の亡骸と、母を抱く麗蘭公主。加えて少し離れた場所で正体を失くしていた燈雅皇子と、灰色の空を見上げて立ち尽くす昊天君だった。
 兵を連れ駆け付けて来た瑛睡公は、冷え切った恵帝の遺体と共に、憔悴した麗蘭を連れ帰った。茗の指揮官である将軍もやって来て、気絶したままの燈雅を陣へ連れて行くよう部下に命じたが、何が有ったのか全く掴めずにいた。人間の理解の範疇を遙かに超えた、最悪の不幸に見舞われたということ以外は。
 茗の将軍が居合わせた昊天君に説明を依頼すると、話さぬ理由も無いためか、自分が見聞きした事実を大掴みに伝えてきた。彼が語ったのは恐るべき内容で、珠帝が恵帝を刺し、行方知れずだった青竜上将軍が乱入すると、彼をも殺めたというのだ。その後金竜が解き放たれたが、追って現れた邪神に珠帝諸共滅ぼされてしまった――と。
 其の話を聞いて、燈雅は継母より強く指示されていた最後の命令を思い出す。未だ身体の自由が利かぬうちに、従軍していた臣下たちを己の天幕に呼び付けた。命じられた通り、『狂乱した珠帝』が何をして滅びたのか、自分の回復と真実の解明を待っていた彼らに話して聞かせたのだ。
「皆も知る通り、珠帝陛下はご乱心召されていました。聖安との交渉が上手く運ばぬと見るや剣を抜き、事も有ろうに恵帝陛下を手に掛けたのです」
「其の後は私の知るところではありませんが、昊天君が話した通りでしょう。陛下に天の裁きが下され、守ろうとして現れた青竜上将軍をも狂気ゆえに殺めた。其の後金竜が復活し、黒の邪神までもが降臨した。禍つ神は金竜だけでなく、人でありながら非天と並ぶ悪と為った陛下を喰らい、糧としたのです」
 燈雅の口から話された事の次第に、殆どの武官や文官は疑いを持たなかった。敵とはいえ高貴な出自の昊天君も、燈雅の証言と重なる話をしている。会談の跡地で見付かった大剣も、青竜上将軍が現れた証拠と為る。何より、あれ程の粛清が吹き荒れた直後では、偉大なる女王が発狂した末死んだという最期を皆信じざるを得なかった。
 それぞれ君主を亡くしたことで、茗と聖安は帝位継承権者である燈雅と麗蘭の名の下に暫定的な不可侵協定を結んだ。互いに崩御した女帝の葬儀を行い次の国主を定め、改めて会談のやり直しをすることで合意したのだ。
 圭惺に集っていた同盟国の兵も含め、両軍は一旦解散と為り引き上げた。其れに伴い燈雅は帝都洛栄へ帰り、麗蘭たちも紫瑤へと帰って行った。
 都へ帰還した燈雅が先ず行ったのは、珠帝と英雄である青竜上将軍の葬儀の準備。同時に、珠帝に依って投獄、流刑にされた官吏たちの恩赦と復権である。
 特に後者については、あの珠帝が燈雅へ秘密裏に命じていた処置だ。彼女の思惑通り、一度虐げられて燈雅に依って救われた有能な臣下たちは、彼に感謝し本物の忠誠を誓ってくれた。
 皇太子と雖も、長子でない点や母の身分などから、燈雅の有する帝位継承権は盤石とは言えなかった。だが珠帝亡き後、彼が宮廷を纏め上げ、彼女の国葬を取り仕切るのは至極自然なことと為った。国主と大将軍の突然の訃報や過日の弾圧で宮中が荒れている中、誰しもが無用な帝位争いは避けたかったのだから。
 正式に登極する前から、若き燈雅が直面した課題は他にも多く在った。そんな彼を最も近くで支えたのは、珠帝に彼の側近として仕えるよう命じられた元大御史、元四神の紫暗である。
――月日は過ぎゆき、あの運命の日から半月が経った。





 二十年もの間其の地位に在り、茗を史上他に類を見ない人界一の強国とした女帝・珠玉。美しい肉体と誇り高い魂を黒神に屠られ、骸すら残さずに逝ったという。
 最後の数ヶ月は乱心し、帝国中を混乱させる大弾圧を行い、あまつさえ他国の女帝を手に掛けるという暴挙に出たため、死後廃位せよと声を上げる者も少なからずいた。
 世嗣の燈雅皇子は、彼女の暴政や残酷な振る舞いを公然と非難したが、廃帝にするという意見には断固反対した。金竜への恐怖から血迷い己を失くしたとはいえ、数々の苦難より国を守った大女帝を歴史上から抹殺するなど言語道断。大功に相応しい国を挙げての葬儀を執り行うべきだと主張した。
 結果、珠帝は廃位されることなく歴代の皇帝が眠る陵墓に並んで葬られ、廟号も贈られた。遺体が無いため、埋葬されたのは唯一遺された歩揺冠を始めとする副葬品、自ら殉葬を望んだ数十人の臣や武人、女官たちのみである。
 珠帝は即位して直ぐ、己が殺した夫の広大な墓の隣に、ささやかな陵墓を造らせていた。其の行為を先帝への冒涜だと見なす者もいた。しかし燈雅を含む極一部の者からすれば――彼女が真に夫を愛し、夫の前では死後も慎ましくありたかったこと、夫を逝かせてからは常に死の覚悟を決めていたことを示していた。
 即位の儀を数日後に控えた夕刻、燈雅は独りで珠玉の陵墓を訪れていた。丘の上に建立された朱色の瓦屋根の建物は、広い敷地を有し宮殿の如き佇まいが有る。他の皇帝たちのものよりは地味であり、彼女の功を考えれば控えめ過ぎるとはいえ、其れでも荘厳な御陵だ。
 即位式と言っても、正式な儀は珠帝の喪が明ける一年後に行われる。仮初に過ぎないとはいえ、彼に与えられる権力としては正統な式の前後でほぼ変わりはない。
 高台まで長い階段を上り、中に入ると今度は暫く下りてゆく。表門から墓室に辿り着くまで、ゆっくり歩くと四半刻近く掛かってしまう。やっとのことで最下層へ到着すると、真白い石造りの墓室が見える。意外にも、一人だけ先客が居た。
「紫暗、来ていたのですね」
 公子の姿を見付けると、紫暗は其の場に跪いて礼を執る。
「珠帝陛下に、何を伝えていたのですか」
 興味本位で尋ねると、寡黙な男は本当か嘘か良く分からない返答をした。
「ご冥福をお祈りし、貴方さまの御代をお守りくださいとお願い申し上げました」
 臆面も無く言われ、燈雅は思わず苦笑を漏らしそうに為った。一つ目は未だしも、二つ目については真偽が分からない。実際は『厄介ごと』から早く解放されるために、燈雅の失脚や早世を望んでいる可能性も多分に有る。
 以前より、此の紫暗とは反りが合わないと思ってきた。燈雅に『四神』のような腹心が居ないことを案じた珠帝が、側近として付けてくれたのだと察してはいた。彼の武力も、大御史として長年暗躍した力量を認めてもいる。されど、考え方が似ていて懇意にしていた緑鷹とは異なり、自分と紫暗とは性格が違い過ぎるのだ。
……しかし燈雅は、左様な心情はおくびにも出さなかった。
「私は……ご報告しに参ったのです。万事、あの方の望まれた通りに動いてきたことを」
 そう言って懐から一通の文を取り出し、紫暗に差し出す。中身を見るよう促され、紫暗が丁寧に開くと、珠帝の筆跡で書かれた燈雅宛の勅書だった。
「『朱雀――紅燐を頼む』」
 紫暗は、懐紙に一行だけで認められた文を読み上げる。頷いた燈雅は、紫暗に背を向け継母の墓室の方を見た。
「陛下はご自身の死を予感されていました。私は様々な示唆を受けましたが、はっきりとした御言葉で直接残されたのは此の文に書かれたものだけです」
 かつて珠帝が側に置き、皇宮の内朝にも良く出入りしていた四神の朱雀。数える程ではあるが、燈雅も直接話したことが有る。
 青竜同様行方が分からなく為っていたが、あの会談の後、珠帝の寝室の一つに居たところを発見された。
「あのように美しく強い女人が廃人同然に為るなど、実に憐れなこと。彼女は私が引き取ることにします」
 意外過ぎる申し出だった所為か、紫暗が幾らか訝しげな顔をした。
「引き取るとは――娶るということでしょうか」
「聞けば、彼女は没落した貴族の出とのこと。側室として後宮に入れ、何時か心を取り戻す日まで、手元に置いてやります……あのような状態の女を抱きはしません。形だけですよ」
 燈雅に他意は無かった。珠帝の遺言を本気で守ろうとするなら、他人に任せるよりも自分の後宮が一番安心で都合が良い。
 元来情の薄い燈雅が、他人のために其処までするのは実に珍しい。洞察力に優れた紫暗は、彼が骨を折る理由を即座に推察し遠回しに言い当てた。
「……やはり、陛下は最期まで王であらせられたのですね」
 国政を乱し、果ては恵帝や青竜を殺めたと聞いて尚、紫暗は珠帝が正気だと信じていた。帰って来た燈雅が公の場で彼女を批判し出しておかしいと思っていたものの、やはり彼女の遺志を継ごうとしているのを目の当たりにし、確信を強められた。
「ところで、あの姫は……麗蘭公主は、何時登極するのですか」
 突として尋ねられ、紫暗は些か驚かされた。燈雅は再び向きを変え、跪礼したままの紫暗へと視線を下ろしている。
「定まっていないようです。長い間存在を隠していましたので、宮廷内で足固めをしてからではないかと」
 第一子継承を固持する聖安では通常帝位争いが起こらないが、今回は事情が異なる。つい先日まで蘭麗公主を一の姫としていたため、もし蘭麗が自身の継承権を主張し支持者を集めたりすれば、内乱に為りかねない。本人の意思が無くとも、周囲に担ぎ上げられる可能性も無くはない――だが紫暗は、蘭麗が左様なことを望むはずも、許すはずもないことを良く知っていた。
「泰明平原で会った時は、彼女の神巫女の力に完敗しました。次は王として戦い勝たねばなりません」
 潔く敗北を受け入れた燈雅の声には、不退転の決意が籠められていた。彼の表情からは特有の毒気が抜けており、不思議と健全さすら見えた。
「聖安との戦は、如何されるお積もりですか」
「未だ決めかねているところです。脅威だった金竜は消え、かつて珠帝陛下の悲願であった人界統一を進めるのに障害は無くなりました。只……」
 珠帝と恵帝が身罷り、休戦に向けた話し合いは振り出しに戻った。今後二大国の進む道を決めてゆくのは燈雅と麗蘭に為るだろう。
「いずれにせよ、近いうちにあの公主と会えるでしょう。其の際に決めます」
 特定の女に惹かれ再会を期待するなど、何年振りだろうか。捻じ伏せられた相手であるにも拘わらず、心が躍るのは何故なのだろうか。
「とにかく今は、酒でも飲みたい気分です。直、日も落ちる。後程一緒に如何ですか」
「……は」
 紫暗を見下ろすと、嫌そうな顔はしていないが歓迎しているようにも見えない。どちらにせよ、主である次期皇帝の誘いを断るなど出来はしまい。
 昔緑鷹から聞かされたのだが――紫暗は下戸なのだそうだ。燈雅が知っていて態と誘ったのは言うまでもない。
「では、先に戻っていて下さい。貴方の邸へ迎えを遣らせます」
「畏まりました」
 冷めた声で応えた紫暗は、一礼すると足音も立てずに去ってゆく。独り切りと為った燈雅は、珠帝の棺が在る方へ身体を向けた。
 此処に『埋葬』されているとはいえ、青竜と同様珠帝の遺骸は無い。彼女が死んだというのも伝聞で知ったに過ぎず、正直燈雅には未だに実感が湧いていない。
「貴女は本物の火輪と為り、茗を守り永久の時を燦然と燃え続けている――そう信じてみても良いでしょうか」
 問うて直ぐ、自嘲して否定する。そんな意気地の無いことを言っては、屹度珠帝に呆れられてしまう。
「此れからは、私が茗を守ります。どうか安らかに――珠帝陛下」
 焔の女傑は己の命を捧げ、燈雅という後継者に王たる覚悟を授けた。揺るがぬ信念は、彼に続く何人もの王へと受け継がれてゆくことと為る。
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