金色の螺旋

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終章

三.断ち切れぬ螺旋
 燈凰宮の正殿に存する謁見の間、翔龍の間には、早朝より宮廷中の群臣たちが集められていた。
 序列に従って縦横に並んだ臣下たちは、間も無く行われる朝議を今か今かと待ち侘びている。やや、異様なのは、一人残らず真っ白な喪服を着ている点だ。彼らを集めた金碧障壁画の間は、奇しくも恵帝と麗蘭が再会した場所――金色に煌めく螺旋状の運命が、再び回り始めた場所だった。
 前室入りした麗蘭と蘭麗も、それぞれ純白の喪服を纏っている。数ヶ月前、茗へ旅立つ麗蘭を見送った女官長の明祥や、丞相の翠峡、瑛睡公が側に控え、同じく喪服を身に付け揃って刻限を待っていた。
 最後の打ち合わせをしている際に、麗蘭は隣に端坐する蘭麗の肩が震えているのに気付く。
「蘭麗、大丈夫か」
「はい、姉上」
 姉に気を遣わせまいと口角を上げるが、強張ってしまい上手くいかない。見兼ねた麗蘭は彼女の手を握り、正面の丞相に尋ねた。
「未だ時間は有るな?」
「……は。僅かであれば」
 続いて明祥と瑛睡にも目配せすると、二人とも静かに頷く。麗蘭は妹と一緒に立ち上がり、直ぐ戻ると言い置いて廊下に出た。
 少し奥へ歩き、人の居ない空き部屋に入る。蘭麗と膝を突き合わせて畳の上に座り、両手を伸ばし今一度妹の右手を包み込む。大きく開かれた窓からは神聖なる旭日が差し、晴れ渡る青空に昇った日輪が姉妹を穏やかに見下ろしていた。
「落ち着かないのか」
「ごめんなさい、ご心配をおかけして」
 目を逸らして謝る蘭麗に、麗蘭は首を横に振った。
「迷いは何だ? 嫌でなければ教えてくれ」
 蘭麗は逡巡したが、やがて吶吶と答えた。
「皆の前に出るのが……恐ろしいのです。其の……色々なことが」
 麗蘭を気遣い、敢えて明言は避けた。長年宮廷を離れていた自分が、皆に受け入れられるかどうか不安などと知られては――母の死を止められなかった罪悪感に潰れ、皆の前に出ることすら恐いなどと知られては、姉はますます苦しむだろう。
「そうか。気付いていると思うが、私も同じだ。今直ぐ此処から逃げ出してしまいたい程だ」
 苦笑した麗蘭も、蘭麗と同じ訳ではっきりとは語らなかった。あの時側にいながら母をみすみす死なせたこと――第一公主として知られていた蘭麗ではなく、自分こそが次の女帝だと、此れより自ら宣言せねばならぬことが、堪らなく恐い。
 あの会談の日から半月程が経った。茗との決着は先延ばしに為り、現実を受け入れられぬまま恵帝の葬儀が終わった。
 母を守り切れず、開光し黒神と対峙しながら戦うことすら出来なかった失態について、麗蘭は蘭麗や仲間たちに対し一度だけ謝罪したことが有った。しかし、後で其れは失敗だったと悔やんだ。彼らもまた、それぞれが恵帝の死に対して並々ならぬ責任を感じていたからだ。哀切と後悔を前にして罪の重さに違いなど無く、麗蘭の謝意は却って皆の苦しみを深めることと為った。
 珠帝との対決は、うやむやに為ったまま着かず終いと為った。彼女が死んでしまった以上、真実を問い質すことも、蘭麗の運命を狂わせ母を手に掛けた罪を償わせることも出来ない。青竜についても同様で、金竜を縛し続けていた理由など、訊きたいことも訊けぬまま逝ってしまった。遣り切れぬ想いが残ったが、もはや如何しようもない。
 只、開光仕掛けて我を失った時、力に任せて珠帝を傷付けずに済んだことは、安心している。其れは間違い無く、麗蘭が望む形ではない。
 悲しみ、黒神への憎悪、己自身への怒りに苛まれた麗蘭には、気が触れてしまえば良いのにという願いまで芽生え始めた。正直なところ、こうして蘭麗と顔を合わせるのも辛い。彼女が、支えてくれる臣下たちが、本当は自分に失望し憎んでいるのではないかと思うと消えてしまいたくなる。
 其れでも――前に進まねばならない。其の決心は、姉妹が共通して抱く強き意志。だからこそこうして、今日という日に手を取り合って挑むのだ。
「姉上。私たちの名前が似ている理由をご存知ですか?」
 不意に訊かれ、麗蘭は考えてから頭を振る。固く為っていた顔を僅かに綻ばせ、蘭麗は続きを話し出した。
「幼き日……未だ都にいた頃に、母上が私に教えてくださいました。私には只一人の姉上がいること。姉上と私の名には、揺るぎ無い絆が隠されていると」
「名に、絆が?」
 頷いた蘭麗は、麗蘭の右手を取って掌を上に向ける。人差し指で姉の名を書き、続けて自分の名を書くと、今度は眦に涙を溜めつつ優しげに笑んだ。
「離れて生きる私たち姉妹に、父上と母上がくださった確かな絆。名前に同じ字を入れることで、離れ離れに為った貴女と私を繋げてくださったのです」
 其れは麗蘭にとって思いも及ばぬ話だった。蘭麗には決して言えないが、『麗蘭』の存在を表に出さぬため、万一の時混同させやすい名を付けたのではないかと想像していたのだ。
「『蘭麗』と……『麗蘭』か」
 改めて口に出してみると、妹との距離がより一層近付いた気がする。蘭麗の姉に為れるのかと案じていたことなど、馬鹿馬鹿しい杞憂に思えてくる。
 掛け替えのない人――十六年を経て漸く再会し、ずっと近くに居たいと思っていた人を、永遠に喪った。一方で、無力な己を呪い責め続けるのではなく、共に彼の人を懐かしみ寂しさを分かち合える妹と出会えた。今日より先は、妹の名を呼ぶ度其の恩恵に感じ入ることだろう。
「そろそろ参りましょう、皆が待っています。貴女が私の姉上で、次の女帝と為る御方なのだと、皆に堂々と伝えましょう」
 可憐な微笑に、麗蘭もつられて頬を緩める。
「ありがとう……蘭麗。そなたを落ち着かせる積もりが、私の方が励まされてしまったな」
 たとえ一人の時であっても滅多に泣かない麗蘭だが、涙が込み上げて溢れ出しそうに為っていた。一筋でも流れれば、慣れないのを我慢している化粧が台無しに為ってしまう。此の後人前に出るのに目が腫れて見苦しく為ってしまう。
 目を瞑って落涙を防ぎ、麗蘭は蘭麗の後首へと両手を回して抱き締める。妹の顔を見ていると、涙を流さぬよう耐え切る自信が無かった。そして其れ以上に、ほんの少しでも長く触れ合っていたかった。彼女をより近くに感じていたかった。
「共に、走り出そう。そなたの手を二度と離しはしないし、離させはしない」
 此れは今、自分を抱き締め返してくれている蘭麗だけに向けた言葉ではない。側に居て助けてくれる同志たちへの宣誓であり、戦い倒さねばならない敵への挑戦でもある。
「はい……はい、姉上」
 覚悟を据えた麗蘭の粛然たる誓約に、蘭麗も首肯した。祖国に帰還するため犠牲と為った全ての者への贖罪のためにも、命の限り姉を支え続ける。聖安の女王にして、人界の守護者でもある姉を助けることこそ、自分が此処に帰って来た理由なのだと、改めて決意を噛み締める。
 蘭麗の同調に勇気付けられた麗蘭は、妹の胸から顔を離して再び前を見た。月白色の瞳を濡らした妹に熱い眼差しを向け、更に力強い言葉を重ねた。
「大切な者たちを信じ抜き、今度こそ守り抜こう。私たちは屹度、其のために生を受け――出会うべくして出会ったのだから」
 開光の宿は、成った。如何に己を責め、悔やもうとも、後戻りは出来ない。次なる『為すべきこと』は、手にした力で自ら見出し、自ら決めた方法で完遂せねばならない。天の神々にも、己が治める国の民たちにも恥じることの無い、正しき道を歩む――其れこそが、最期の瞬間まで『使命を果たせ』と叫んでいた母の願いであろうから。





第一部「金色の螺旋」 完
第二部へ続く
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