金色の螺旋

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第一章 真実の名

十.公主としての使命
 母との再会の後、麗蘭は陽彩楼にある一室に通された。恵帝が戻って来る彼女のために用意させたという部屋で、当面の間は此処が居室となるらしい。
「本来なら公主さまには離れにお宮を御用意するのですが、暫くは此方で許して下さい、との陛下からの御託けでございます」
 恭しく告げた其の女性は女官長の明祥(めいしょう)だった。長年女官として皇族に仕え、今では陽彩楼を取り仕切る年配の女性である。
 年の頃は恵帝や風友よりも一回り程は歳上に見え、女官とはいえ貴族の出身ということもあり所作が洗練されている。
「陛下からお聞きしているのやもしれませぬが、当分はわたくしが一人で姫君のお世話をさせて頂きます。何なりとお申し付け下さいませ」
 丁寧に頭を下げる明祥に、麗蘭も釣られて礼をする。
「ありがとう。宜しくお願いします」
 いきなり姫と呼ばれることも、世話役の女官が付いてくれることも、何もかもが想像の範疇を大きく超えており麗蘭は戸惑いを隠せない。今の場面でも果たして礼などすべきものなのかどうか判断に困った程、急な環境変化に付いていけるか不安になる。
「……暫くは不慣れなことも多いと思いますが、どうかご心配なさらずに伸び伸びとなさって下さい。わたくしも微力ながら、精一杯お仕え致します」
 麗蘭の心中を慮り優し気に微笑む明祥の人柄に、彼女は少しばかり安堵し感謝した。落ち着いていて温かい雰囲気を持つ明祥に対し、母である恵帝に似た印象を抱いたのだ。
「其方にお召し物を用意してございます。お着替えになられましたら前室にお越し下さい。蒼稀上校がお会いになりたいとのことです」
 明祥は台の上に置かれた着物を指し示す。見たところ絹製であろう、上質な赤い着物だった。
「上校が?……分かりました」
 皇宮まで案内してくれた、蒼い髪の少年のことを思い出す。
――そういえば……彼は私のことを知っていたのだろうか? 
「では、わたくしは一度下がらせて頂きます。何かございましたらお呼び下さい」
 女官が主の命なく部屋を離れることは、余りない。着替えを誰かに手伝わせたり、見せたりしたことのない麗蘭に対する明祥の配慮だった。
 広い部屋に独りきりになると、着物の肩を落としながら辺りを見回す。天蓋付の大きな寝台や、机や椅子、屏風や櫃など全て紫檀で出来ており、山水や花鳥が彫られた見事な物が揃っている。広さにしても、自分だけが暮らす部屋には余り有る。
「こんな所に暮らすのか……本当に夢のような話だな」
 つい先程、女帝本人から娘だと告げられ公主であると明かされ、其れを受け入れることにしたものの、実感が湧かないというのが正直な心境だった。だがこうして女官が付いたり立派な部屋に住むとなったり、此れまでの暮らしとの具体的な違いが見えてくると、漸く現実とはっきり考えることが出来るようになる。
「此の着物にしても……私などには勿体ない位だ」
 紅の布地に四君子文様が刺繍された着物に、見事な金の帯。普段袖の短い着物に袴姿という格好をしているため、此のような女性らしい着物を着るのは生まれて初めてかもしれない。自分の美しい容姿を大して自覚していない麗蘭は、分不相応とまで感じていた。
――とにかく、急ぐか。上校を待たせてはいけない。
 公主である自分がそんな気遣いなどする必要はないなどと思いもせずに、急いで身支度を始めたのだった。




「待たせて済まない」
 着慣れない重い着物を引き摺りながら、麗蘭は前室に入った。着物は何とか着られたものの、髪は明祥を呼んで結ってもらい簪を差した。何時もは高く一つに紐で結んでいるだけなので、きちんとした結い方を知らないのだ。
 椅子に腰掛けて待っていた蘢は、麗蘭が入るなりすっと立ち上がって一礼した。
「改めまして、ご機嫌麗しゅう公主殿下」
 畏まって挨拶され、想定はしていたもののやはり戸惑ってしまう。
「上校、こんなことを頼んでいいのか良く分からないのだが……今は他に誰も居ないし、先刻のように気安く話してくれないか?」
 困ったように頼む麗蘭に、蘢は悪戯っぽく頷く。
「……お許し頂けるのなら」
 麗蘭は肩を撫で下ろし、蘢に座るよう促すと自分も向かいの椅子に腰掛けた。
「……其の代わりと言っては何だけれど、出来れば僕のことも名前で呼んでくれると嬉しいな。歳も然程変わらないようだし」
 微笑む蘢に、麗蘭も硬くなっていた表情を和らげる。同じ年頃の友が増えたようで嬉しくなったのだ。
「蘢、その……おまえは知っていたのか? 私が公主であることを」
 問い掛けに対し、蘢は首肯して答える。
「辰に行く前から、光龍が紫瑤を訪れることは陛下に聞いて知っていた。また其の光龍が……亡くなったとされていた公主だということも」
 知っていたのにも拘らず、麗蘭にはまるで知らないかのように接していた。其れは、風友が麗蘭に真実を直接伝えなかったのと同じような理由だった。
「君自身は知らなかったんだね。半ば強引に皇宮に連れて来たりして、もし非礼だったと思っているのなら謝るけれど……」
 麗蘭は慌てて首を横に振る。
「そんな必要はない。おまえに連れて来てもらったお陰で……無事目的を達することが出来た。もし一人だったら、未だに陛下にお会いすることすら出来ていなかっただろう」
 今となっては、あの時蘢と会えたことが本当にありがたかった。蘢は自分の神気を感じて会いに来たと言っていたが、もしかすると光龍を探していたのかもしれない。
「さっきも言ったけれど、今日は此の後翼真殿で凱旋軍の祝勝会があるんだ。でも君は此の陽彩楼から出ずに、出来るだけ皆に姿を見せないようにしなければならない」
 ほんの一刻程前、別れる時に恵帝は同じことを済まなそうに言っていた。
「……仕方ないんだ。君が公主として戻って来たことを未だ臣下達に広めるべきではない。特に茗には決着がつくまで……隠し通さなければならないしね」
 彼の言う通りだった。麗蘭としても、急に公主だと公表されるよりは其の方がありがたい。
「それで、今後のことを話すのに……ご多忙な陛下に代わって僕が遣わされて来たというわけだ」
 蘢は立ち上がると、傍らにある花瓶に活けられた白百合を何気なく手に取った。
「……僕は近々、陛下の命令で茗に向かうことになっている。囚われの蘭麗姫を救うために」
 其の言葉に麗蘭は驚いた。旅籠の女中が、確か其のようなことを言っていたのではなかったか。
「目的は二つある。一つは……蘭麗姫という大きな弱点を握られたままの此の現状を打破すること。此処十数年来、我が国も軍備を整え同盟国との結び付きを強めて来た……今こそ、姫を取り返す好機」
 美しい花弁に指先で触れながら、蘢は強い口調で言い切る。
「そしてもう一つの目的は、最近の茗の不審な動きを探ることだ。簡単に言ってしまえばね」
「不審な動き……?」
 其れが何を意味するのか、麗蘭には解りかねた。蘢は花を戻し再び彼女の前に腰掛けると、真っ直ぐに彼女の目を見る。
「あちらに送り込んでいる密使の言では、此の数か月珠帝の周囲がおかしいらしい。何でも、人ならざる者の気配があるとか」
――人ならざる者。
 其れは、此の世界では神とか妖とか、魔族と言った者たちを指す言葉だ。
「珠玉は此れまで、忠実な臣下である“四神”の進言のみを聞き入れ、決して神官や巫女などの霊的な存在に頼ろうとしたことがなかった。此れは君主には珍しい例なのだけれど」
 其のことについては麗蘭も良く知っていた。
恵帝をはじめ歴代の諸国王が“光龍”を尊い者として扱ったように、此の世界において神は誰からでも崇拝される対象。しかし珠玉は皇宮に神殿を置かず、神に仕える者を尽く宮殿から追い出した。彼女が信頼しているのは戦場において武功を上げた“四神”と呼ばれる四人の将軍のみだという。
「其れが、最近は自分の部屋の直ぐ傍に居室を与えて……ある巫女を住まわせているらしい」
 無論、麗蘭は珠帝を直接知っているわけではない。だが耳にして来た噂や恵帝の話などからして、急に信心深く神を崇め始め、巫女を重用するような人物には思えなかった。
「其の巫女というのは……?」
 蘢は小さく溜息を吐くと、先を続ける。
「宮殿の女官や従僕が噂しているのをうちの密使が聞いただけという話だから、信憑性は薄いのだけれど……何でも黒衣を纏った妙齢の美女で、只の巫女ではなく黒巫女だそうだよ」
 黒巫女というと、天帝や其の他天上の神々ではなく追放された邪神に仕える巫女を指す。
――黒巫女……か。
 其の話を聞き、麗蘭はある少女のことを思い出す。かつてたった一人だけ会ったことのある黒巫女は、自分の姉であり大切な友であった存在だ。
――瑠璃。
 天帝に仕える自分が神巫女なら、瑠璃は黒の神巫女ということになろう。ふと彼女のことが思い浮かんだものの、仮に珠玉の近くにいるのが瑠璃となると、厄介なこと此の上ない。何故なら彼女の背後には、麗蘭の最大の敵が潜んでいるに違いないからだ。
「もしかして、心当たりでもある?」
 何かを考え込んでいた麗蘭に蘢が尋ねる。
「……いや、何でもない」
 黒巫女だというだけでは瑠璃だと断定出来ない。黒龍神の封印が解けてからというもの、彼に仕えると称する黒巫女が増えているという話も聞く。
「……もし其の女が本当に黒巫女で、邪神に仕えている身だとすると……珠玉が其の後ろ盾を得たという可能性もある。最悪の場合、神を敵に回すことも在り得るわけだ。そうなると非常に厄介になる」
 神は本来、下界には干渉しない。しかし天帝に叛逆した邪神ならば、戯れに人と関わりを持ち下界を乱すことも稀にあるという。
「そこで、陛下は君にも茗に行ってほしいと仰せなんだよ。僕と一緒にね」
「私も……?」
 其の言葉は少し意外だったため、麗蘭は腕を組んで首を横に傾けた。
「私の存在は茗に秘密なのに、其の私に茗へ行けと仰るのか?」
 至極自然な彼女の疑問に、蘢は頷く。
「……理由は幾つかある。まずさっきも言ったように、人ならざる者が関わっていて……其れも相手が神かもしれないということ」
 其れについては、麗蘭も直ぐに納得出来る。
「神巫女は……人間の中で唯一神に等しい力を授かっているというからな」
 神話や各国の戦記で伝えられるところによると、光龍は其の神力で人界を脅かした邪神に対抗したという。
――只、其れは恐らく『開光』してからの話。
 かつて天帝が現れた時、真の光龍となるには開光し力を覚醒させる必要があると告げられた。今の自分ではまだまだ役不足に違いない。
「二つ目の理由も君の力を頼ってのこと。聖安軍には戦力となる人手が不足している……士官以上には強い神人も多いのだけど、今軍を指揮する者が抜けるのは厳しい。君は姫の実姉で誰よりも信頼出来るし、武術の腕も璋元上将軍のお墨付きだからね」
 屈託ない笑顔でそう言われると、麗蘭は何だか面映ゆくなる。
「其れから、此れが重要なんだけど……何れ臣下だけでなく民にも君を第一皇女だと認識させねばならない時が来る。其の時に、蘭麗姫を助け国を救う一助となったとすれば、理解も得られ易いだろうという理由もある」
 公主として受け入れられるために相応の功績を上げる。麗蘭には思い付かなかったことだが、言われてみれば確かに必要なことだと思われた。蘭麗姫という正真正銘の公主を差し置いて、横から出て来た麗蘭に皇位継承権が在るとされれば、納得せぬ者もいるのではないか。
「皆に認めてもらえるか否かも心配だが、何より姫に……受け入れてもらえるかどうかが不安だ」
 皇位については勿論のこと、其れよりも姉として見てもらえるかどうかが何より憂慮に堪えなかった。
――こんな田舎育ちの只の娘が……姫の姉などと。
 麗蘭は姫と会ったときのことを懸念していた。蘢はそんな彼女の気持ちを酌んだのか、彼女を安心させるように頬を緩めて言う。
「……陛下は姫が茗に囚われる前から、姫に姉の存在を教え皇位のことも告げていたそうだ。幼いながらも聡明だった姫は、そうした事情をちゃんと理解していたのだと思うよ……僕が姫の心情を推し量るのは、少々畏れ多いけれど」
 彼の言葉から感じる心遣いに感謝し、麗蘭は笑みを零す。
「正直、此の状況に戸惑ってはいるのだが……私に出来ることなら力有る限り、協力させてもらう」
――此れまで私を守ってくれた全ての人々のため、そして未だ見ぬ妹のために。
 輝く瞳に、麗蘭の強い意思を見た蘢は深く頷く。
「君の想いは受け取った。此れからは陛下と同じように君にも……誠心誠意で仕えよう」
 自分に仕える、等と言われ慣れぬ言葉には違和感を覚えながらも、蘢の真っ直ぐな気持ちが嬉しく、麗蘭も頷き返す。
「それと、瑛睡殿が近々君にご挨拶に上がりたいそうだよ。君が戻ったと知って大層喜ばれてね……君の出自を知る数少ない一人だから」
「瑛睡公が……?」
 子供の頃から憧れていた上将軍までもが自分に会いたいという。とても俄かには信じられない話だった。
「蘢は瑛睡公麾下(きか)の禁軍属であろう? こうして内朝にも出入り出来るし……余程優秀な士官なのだな」
 大層感心した様子で誉める麗蘭に、蘢が恐縮したように笑む。
「瑛睡殿には士官学校を出たばかりの頃から面倒を見て頂いているんだ。本当は僕のような生まれの者等が皇宮に入ること自体身の程知らずなんだけど、陛下のご厚意に甘えさせて頂いているだけなんだよ」
 まるで自分の身分が然程高くないかのような言い方に聞こえるが、麗蘭は其れを蘢の謙遜だと受け取った。洗練された所作や身形から、彼が所謂上流の貴族であると信じて疑わなかったのだ。
「……色んなことがあって疲れているだろうに、長居してしまったね」
 気付けば既に申の刻を回っている。蘢の言うように朝から信じられないことばかりが起こり、時間の経過が早く感じられる。
「蘢の方こそ帰国したばかりで忙しいだろうに、態々来てもらって済まない」
 二人は立ち上がり、扉の方へと歩き出す。
「私は茗に行くまで此処から出ない方が良いのか? 旅籠に荷物を残してあるのだが……」
 其の問いに、蘢は少し考えてから答える。
「此の城下内なら構わないと思うよ。余り目立たなければ支障はない。ただ陽彩楼を頻繁に出入りしているのを事情を知らない貴族に知られると面倒だから、目立たない裏門を使ってもらうことになるけれど」
 麗蘭は其れを聞いて安堵した。慣れない宮殿にずっと居るのも息が詰まりそうだし、弓や剣の稽古をする場所が無いのは困るからだ。
「荷物を取って来るだけなら、遣いを出しても良いんだよ。勿論皇宮からの遣いということは伏せておくし」
 麗蘭は首を横に振る。
「いや、其れもありがたいが出来れば自分で行きたいのだ。旅籠の女中には世話になったことだし、挨拶に行きたい」
 世話になったと言っても、あの旅籠にはたった一晩だけ泊まっただけだ。些細な礼儀を欠かさないのは麗蘭なりの拘りだった。
 自分の用事で誰かを使うのも気が引けたし、生真面目過ぎる程の律儀さが彼女の性質だった。蘢も其れを感じ取ったらしく、微笑んで了承した。
「其れから……」
 視線を落としてから、遠慮がちに蘢を見る。
「何処かに弓や剣の稽古が出来る場所はないだろうか? 習慣になってしまっているから、稽古出来ないと少々……物足りないのだ」
 申し訳なさそうに言う麗蘭に、彼は快く頷く。
「確か内廷の中に皇族が使う修練場があって、何年も使っていないはずだ。後で僕が陛下にお聞きしておくよ」
 其れを聞いた麗蘭の表情がぱっと明るくなる。稽古さえ出来れば、城の中での不慣れな生活にも耐えられそうだ。
「他にも何かあれば気兼ねなく言ってね。宮殿内で歳が近いのは今のところ僕位だし、力になりたい」
「ありがとう、本当に助かる」
 目礼だけして蘢は部屋を出て行く。一人きりになった麗蘭は小さく溜息を漏らし、自室へと戻った。
 麗蘭は、自分が皇族として扱われるのにまだまだ抵抗があることを考慮し、友人として接してくれる蘢に感謝した。何もわからぬまま投げ込まれた此の城で、彼がいてくれるのはとても心強い。
「何とかやって……いけるのだろうか。いや、其れ以上に……」
 静かに扉を閉め、椅子に腰掛けると天井を仰ぐ。そして蘢に告げられたことを思い返しながら目を閉じた。
――蘭麗姫を、救い出せるのだろうか。
 囚われの妹姫を助け、救国の一助となる。其れこそが皇女としての麗蘭に課せられた最初の使命。
 卓の上に置かれた剣を手にし、きつく握り締める。
――陛下……母上の為、蘭麗姫の為、見守ってくれる風友さまや優花の為、そして自分自身の為に、私は何処まで走れるのだろう? 
 新たな決意が胸に生まれ出るのを感じながら、大切な人々の姿を思い描く。はっきりと、鮮やかに。
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