金色の螺旋

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第一章 真実の名

二.師の告白
 聖安帝国の南に位置する阿宋山。
 麓の村から二刻程歩いた中腹に孤校(ここう)が在り、山には其処の者のみが住んでいた。
 此の十数年、妖が出て人を襲うということがあって、山に入る者は殆どいない。孤校では主である元将軍風友が、稀なる神力で術を用いて邪気除けの結界を張り巡らせている。其のお陰で、孤校と其の周辺の森には妖が近付けず、一応の安全は保たれていた。
 其れでも、風友は孤校の子供たちだけで森に出て行くのを禁じていた。光龍として稀有なる神力を持つ麗蘭と、半妖であり自らを守る術を持つ優花だけが許されている。
「風友さま、只今戻りました」
 師の自室の襖扉前で、麗蘭は正座して声を掛けた。
「入りなさい、麗蘭」
 襖を開け立ち上がって部屋に入る。十畳程の部屋の奥で、風友は畳の上に座っていた。
 一礼して端座している師の前まで来ると、麗蘭も彼女の前に腰を下ろす。
「稽古をしていたのだろう? 途中で呼び立てて済まなかったな」
 もの静かな声で言うと、閉じていた瞳を開ける。麗蘭は首を横に振った。
「とんでもございません。私の方こそ、お待たせを致しました」
 慎み深く礼をする麗蘭に、風友は頷く。
「……折り入って話したいことがある。今日はおまえの、十六の誕生日だったな?」
 麗蘭は風友の様子が少し違うことに気付いていた。普段通り穏やかで落ち着いているが、何処か言葉に重みがあり、深い感じがする。
「はい、左様でございます」
 答えると、風友は再び頷く。
「早いものだ……赤子だったおまえが、今では成長し……己が宿のため毎日心身を練磨し、大人に交じって妖を討っている」
 感慨深い様子で話す師は、やはり何かが違う。元軍人である風友は何時でも沈着で、余り心の内を外に出さないのに。
「先に謝っておく。私は、おまえにずっと隠し事をしていたのだ」
 突然の告白に、麗蘭はびっくりして目を細めた。
「隠し事……ですか?」
 風友は孤児であった麗蘭にとって、命の恩人であり師であり、そして母でもある。同じ場所で暮らし、ほぼ毎日こうして顔を合わせて来た。其れなのに、隠し事をしている素振りなどまるでなかった……麗蘭が光龍であることを知っていて、告げていなかったこと以外は。
 暫く、風友は何も言わずに麗蘭の目を見詰めていた。どのように切り出して良いのか考えていたのだ。其れも彼女らしからぬ態度だった。
「おまえは……母を覚えてはいないだろうな?」
 漸く口を開くと、またしても意外な言葉が出て来たため、麗蘭は僅かに動じた。
「……はい、覚えておりませぬ」
 麗蘭の両親は、未だ彼女が生まれて間もない赤子の頃に亡くなったという。何処かへ行くところだったのか、森の中を歩いていた時、山賊か何かに襲われて死んだ。唯一人麗蘭だけを残して。
「……実は、おまえの母親は……生きているのだ。私は其れを知っていて……隠していた」
 決して麗蘭から目を逸らすことなく、風友は確かにそう言った。
「え……?」
 師の様子から、其の言葉が嘘や誤りではないことがはっきりと窺える。其れでも麗蘭は、ことの重大さからか我が耳を疑い、一瞬言葉を失った。
「其れは……本当ですか?」
 本当、であることなど承知していながら、思わず出た言葉だった。
「……もちろん」
 風友は目を瞑り、静かに言う。
「では……!」
 反射的に言いかけたことを、麗蘭は喉の奥に飲み込んだ。
「では何故、今まで隠していたのか? おまえはそう訊きたいのだろう……無理も無いことだ」
 其の通りだった。只風友には何か事情があって、思うところがあって此れまで麗蘭に言わずにいたのだろう。師の心情を慮って麗蘭は口を(つぐ)んだのだ。
「理由有って、おまえの母上は私におまえを託された。そして其の真実をおまえ本人にも黙っておくよう言われた……十六の誕生日を迎える日まで」
 また暫し、二人の間に沈黙が流れる。風友は次の言葉を探し、麗蘭は動揺した自分の気持ちを平静にしようとしていた。
――母が、生きている。
 此れまで、自分には肉親がおらず天涯孤独の身だと信じて疑わなかった。そうした認識が風友の一言で覆されたのだ。
――先を……聞かなければ。
 麗蘭は自分に言い聞かせ、居住まいを正して口を開く。
「では……今、私の母は何処に居るのですか?」
 やっと絞り出した言葉だった。
――母がいるのなら、会いたい。
 母は何故自分を手放したのか、自分は何故風友の下で暮らすことになったのか、知りたい。
「……私の口から言うことは……出来ないのだ。私の立場からは余りに畏れ多いことなのだよ」
 風友は初めて麗蘭から目を離し、俯いて済まなそうに言った。
「其れは……一体……?」
 言いかけて、麗蘭は考えた。そして想像した……此の件には、かつて聖安随一の高名な女将軍として名を馳せた風友すらも凌ぐ程の、位の高い人物が関わっているのではないかと。
「十六年前の此の日、おまえが此の世に生を受けた。そしておまえを私に預け、此の山奥で武術を仕込み学を授けるよう……命じられた方がいる」
 其の一言で、麗蘭の推測が大体当たっていたことが分かる。
「……恵帝陛下。あの時は未だ、聖妃さまと名乗っておられた……」
「女帝陛下が……!?」
 我にも無く身を乗り出すようにして、麗蘭は聞き返していた。いくら位の高い人物と言っても、其れ程の名前が出てくるとは露にも思わなかったからだ。
「私の出生には、陛下が関わっておられると……?」
 首肯すると、風友は再度麗蘭の目を見て言う。
「真実を、陛下がおまえに直接教えて下さるだろう。麗蘭、都紫瑤(しよう)へ行け。此処を出る時が来たのだ」
 強い口調だった。其の後風友は何も語らず、麗蘭もまた、何も尋ねなかった。
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