金色の螺旋

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第一章 真実の名

七.青年将校
 翌朝、朝餉の後宿を出た麗蘭は真っ直ぐ皇宮へと向かう。
 思った以上に紫瑤の街は広い。宿から確かに見えていたというのに、歩いてみると少し距離があるようだ。
 風友から預かった文を懐に入れて刀を腰に差している。弓を背負っているのは流石に目立つので宿の部屋に置いて来た。
 大通りを抜けて行く時、人々が店番もせずに街頭に揃って並び始めているのに気付く。道の真ん中を空け、何かがやって来るのを待っているかのように。
 立ち止まって其の様子を不思議そうに見ていると、傍にいた白髪交じりで年配の女性が話し掛けてくる。
「今回は早く片が付いたねえ。辰の軍はなかなか手強いっていう話なのに」
 彼女は感心した様子で、皇宮とは反対の方向を見ている。他の人々も其方の方角を見て立っている。
「辰の反乱軍を鎮圧しに行った禁軍が、帰ってくるのですか?」
 尋ねると、女性は麗蘭の方を見て頷いた。
「そうだよ。瑛睡公が禁軍を率いて凱旋してくるんだよ」
 瑛睡公とは、麗蘭が尊敬する高名な将軍の一人。風友が現役を退いてのち後任の上将軍になった人物で、風友と並び聖安軍で英雄的活躍をした軍人として知られる。
「上将軍だけじゃない、副官としてご一緒されている蒼稀(そうき)上校(じょうこう)※も見られるよ」
「蒼稀上校?」
 其方は聞いたことのない名だった。都では有名な軍人なのだろうか。
「あ、ほら、来たぞ!」
 女性の連れらしき男性が指差した向こうから、次第に人々の歓呼が聴こえてくる。其れが大きくなるにつれ、騎乗した軍人達がゆっくりと近付いて来た。
 掲げる旗は金の双頭龍が刺繍された紫色で、兵士が纏う甲冑の色も同じ。話に聞いていた禁軍の特徴通りだ。
 先頭を進み大隊を率いているのは、一際目を引く壮年の男だった。他の者よりもやや派手な鎧を身に付け、穏やかさの内に底知れない激しさを秘めた、厳しい顔つきをしている。
 先程の女性も、周囲に倣い大きな声で彼らを讃える。彼女の言動からするに、やはり先頭の男が上将軍其の人らしい。都中の人々から歓声を受ける大将であるというのに、彼の面持ちは控えめで驕りなど一瞬たりとも見せていない。
 麗蘭も声こそ上げなかったが、生まれて初めて間近で見る禁軍と名高い上将軍の姿に目を輝かせていた。幼い頃から軍に入りたいと願って来た彼女にとって、こんなに心が躍ることはない。
「あれ? 蒼稀上校が居ないぞ」
 湧き上がる喜びの声の中、そんな疑問の声がちらほら聴こえくる。
「後ろの方に居られるのか? まさかお怪我をされたのではあるまいね?」
 勝者の列は暫く続きそうなので、麗蘭は人集りを抜けて大通り脇の路地に入り、急ぎ皇宮を目指そうと考えた。
 憧れの禁軍を何時までも見ていたかったが、少しでも早く向かわねばならない。風友によると、女帝は麗蘭が十六になったら直ぐに自分の元に赴くよう命じたというのだから。
 思った通り路地には人が殆ど居らず、低い屋根の建物に挟まれた細い道が皇宮の方向へと伸びている。
 再び歩き出そうとした時、不意に背後から誰かに呼び止められた。
「凱旋を見なくていいの? 聖安一の上将軍と禁軍なんて、結構な見物だと思うんだけど」
 聞いたことのない若い男の声だった。振り返ると、麗蘭と同じ年頃の青年が立っている。
 鮮やかで深みのある蒼い髪に同じ色の瞳。端正で物柔らかな顔立ちに、見るからに育ちが良さそうな品のある笑み。更に上質な軍服に長い外套が、彼が上級士官であることを裏付けている。
「失礼、僕は蒼稀(りょう)。君の神気が余りにも強かったから、気になって此処に来てしまった」
 怪訝そうな顔をした麗蘭を見て、青年は幾らか申し訳なさそうに言う。
 青年の言うように麗蘭の神気は強く珍しい性質で、同じ神人には興味の対象となり妖には格好の餌、もしくは宿敵となる。また軍とっては、強力な神人は貴重な人材か、脅威かのどちらかになるのだ。
「蒼稀……上校の?」
 彼の名前を聞き、先程観衆が口にしていた蒼稀上校を思い出した。
 蘢が頷くと、麗蘭は我知らず目を丸くする。自分と変わらない年頃の青年がそんな上位の将校になれるのか、と。だが確かに、蘢からは並々ならぬ神力を感じられる。
「禁軍の上校であられると聞いたが、凱旋に加わらなくても良いのか?」
 麗蘭の言葉に、蘢は少しだけ決まり悪そうな顔で笑む。
「ああいうのは得意でなくて、瑛睡殿に押し付けて来てしまったんだ」
 言葉の割には余り悪びれない様子だった。確かに、見たところ目立つことが好きそうには思えない。
「此の方向だと、皇宮に向かっているの?」
 蘢の示した方角に、目指すべき城が見えている。何時の間にかかなり近くまで来ていたようだ。
「ああ、女帝陛下に拝謁したい」
 他人に言うつもりはなかった。しかし蘢の誠実で人の良さそうな人柄に触れて彼を信用し、謁見の方法を訊こうと考えを改めたのだ。
「私は清麗蘭。陛下にお会いするため此の紫瑤に来た」
 身分の無い少女が女帝に会いたいなどと、事情を知らない者は不審そうな顔をしてもおかしくない。だが蘢はそんな素振りを見せず、微笑んだまま頷いた。
「そうか、なら都合がいい。僕も此れから陛下の御許へ参ろうとしていたところなんだ。此れも何かの縁、案内するよ」
 そう言って麗蘭に背を向け、燈凰城へと歩き出す。そして数歩進んだところで立ち止まった。
「……成程、話に聞く通り……確かに目の覚めるような美しさだ」
「え?」
 呟くように言った蘢の言葉が聞き取れず、思わず聞き返す。だが彼は麗蘭の方へと振り返り、人懐っこく笑むだけだった。



※上校…大佐のこと。
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