金色の螺旋

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第一章 真実の名

八.燈凰宮
 蘢と共に龍鳴門を抜け、いよいよ皇宮の敷地内にやって来た。
――燈凰宮。
 聖安建国以来からの皇城であり、帝国の中で最も荘厳華麗な宮城として知られている。其の名は、天帝聖龍神が住まうという天界の陽凰宮に由来する。
 広大な敷地に建つ黒瓦、朱色の建物は、其の高い芸術性や技術性で大陸中に名高い。誰もが一度は嘆息する、工夫を凝らした造作は、美的感覚に優れた聖安人らしい。
 外朝は女帝が政務を執る三殿がある。其の奥に位置する清明門を通ると内朝があり、皇族の居宮となっている。
 通常、皇族が使者と謁見を行うのは外朝の紅玉殿と決まっている。しかし蘢は麗蘭を連れて其の横を通り過ぎて行った。
「凱旋軍を迎える準備で忙しいんだよ。今夜は翼真殿で宴が催されるからね」
 蘢の言う通り、女官達が建物を行ったり来たりする様子が彼方此方で見られる。
 何時の間にか連れられるままに、内朝の門である清明門の前まで来てしまっていた。
「上校、此処から内朝ではないのか?」
 女帝の居住区である区域に入るなど、高官や貴族でもないのに許されるはずはない。そもそも外朝を抜けてくる間にも、自分に向けられる周りの視線が気になっていたのだ。
 女帝に謁見したいという理由を、蘢には話していない。風友の紹介であること、ましてや自分が光龍であることなど猶更伝えていない。彼にとって麗蘭は、何も持たない普通の少女に過ぎないのだ。
 麗蘭が不安そうに尋ねても、蘢の軽い足取りは止まらない。
「大丈夫。陛下は未だ内廷に居られるはずだから、直接行ってしまった方が都合が良い。心配せずに、僕に着いて来て」
 清明門の守衛は蘢の顔を見ると恭しく一礼し道を開けた。麗蘭の記憶によると、内朝に出入り出来る軍人は将官※以上だったはずだ。
――やはり、蒼稀上校には何か特別な事情があるのだろうか? 
 内朝に入ると、十もの殿舎の中央に五層から成る陽彩楼(ようさいろう)が聳え、此処が女帝の住まう正殿となっている。
 周りの御殿と同じ、黒瓦に朱塗りの壁。図画でしか見たことのなかった壮大で巧麗な其の城は、麗蘭が幼い頃から訪れたいと願い続けた場所だった。風友のような優れた将官となり皇族に仕え、宮殿に出入り出来るようになるという夢を彼女は抱いていたのだ。
 今回は此のような形で、夢が叶ったというわけではないが、麗蘭は素直に嬉しさを感じていた。
 二人は陽彩楼の真前に立つ。蘢が兵に話し掛けると案の定、すんなりと通されてしまう。鉄扉を開けられ中に入ると、皇族が高官や神官と式典を行う大広間に出た。神獣や動植物を象った金細工の装飾が美しく、絢爛な空間は君主の居宮に相応しい。玉座に女帝はおらず、数人の禁軍兵が配置されているだけでひっそりとしていた。
 まさか正殿に立ち入ることになるとは露にも思わなかった麗蘭は、今度こそ蘢を止めようと彼の背に向かって声を掛ける。雲上人の宮殿内であるが故に、感情通りの動揺した張り声ではない。極力声を落とし、小さく抑えた。
「上校! やはり此のような所には居れぬ。私は出直して……」
 案ずるな、と言われたものの、麗蘭の心中は穏やかでなかった。生来の真面目さと皇族への畏敬から、今此の地を踏み息をしていることさえ不敬極まりないという気持ちで一杯なのだ。
 彼女が言い終わらぬ内に、蘢は漸く足を止める。そして麗蘭の方を振り向くことなく、囁くような小さな声だがはっきりと口にした。
「……女帝陛下は“光龍”にお会いしたいと熱望しておられる。其れは君のことでしょう?」
「なっ……!?」
 麗蘭は言葉に詰まり、二人の間に暫し沈黙が流れる。
――気付いていたのか。
 思い起こしてみれば、此れまでにも麗蘭の特殊な神力を感じ取り、其の異質さに感付く神人は極稀だが確かにいた。しかし、神巫女であると言い当てたのは蘢が初めてである。
 彼は見返り、麗蘭に近付くと声を一層潜める。兵は離れた処にいるが、聞かれることの無いよう用心し耳打ちするように告げる。
「光龍が陛下を訪ねて来ることは陛下からお聞きしていた。君の神気を感じて……もしかするとと思ったんだ」
 口振りからして、彼は自分の推測に確信を持てずにいたようだ。だが麗蘭の反応を見て、勘が当たっていたと信じたらしい。
「天帝の神巫女は、人界中の歴代君主達が敬意を表して来た貴い存在。其れだけで十分、君が此処に居る理由になる」
 柔和に笑んだまま言う彼に、麗蘭は頷くしかない。大人しく蘢に着いて行くことが得策だと考え直し、深く頷いた。
「……行こうか。陛下は多分此の上の階にいらっしゃる」
 蘢に続いて、麗蘭は螺旋状に続く階段を上がって行った。


※将官……少将・中将・将軍
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