金色の螺旋

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第二章 蒼き獅子

七.嵐の前に
 茗に続く海路より少し東に逸れた、小さな島。隨加より帆走船で半刻ほど航行した位置に浮かんでいる其の島こそが、海賊達の本拠地。聖安と茗の調度堺辺りの公海上に在る為、どちらの国の支配下にも入っていない。
 早朝、海賊の頭領緑鷹……玄武の邸に、隨加にて軍等の動きを見張らせていた部下が慌てた様子でやって来た。
「緑鷹さん! 大変です!」
 下男が止めるのも聞かずに、男は頭領の部屋へと無断で入る。戸を閉め切り、朝日を遮断した暗い部屋の中で、玄武は女と共に寝台で横になっていた。
 従僕との騒々しい口論で目を覚ましていた彼は、未だ眠っている瑠璃を残して床へと下りる。
 普段なら、こんな無礼千万な部下は直ぐにでも斬って捨てたいところだ。しかし彼の血相を変えた慌て振りから、殺す前に事情位は聞いてやろうと辛抱する気になったらしい。
「如何した?」
 頭領の機嫌が頗る悪いこと等お構いなしに、部下は膝をついて声を絞る。
「禁軍が……聖安の禁軍が来るんですよ!」
 酷く怯え、震えながら眼と口をぱちぱちさせている。玄武は聞くなりほう、と嬉しそうな声を漏らすと、部下の胸倉を掴んで無理やり立たせた。
「本当に禁軍か? 糠喜びさせたら承知しないぞ」
 頭領が何故急に喜んでいるのかは解らないが、男はとりあえず頷いた。
「本当ですって。二日くらい前からずっと、立派な船が停まってるから探り入れたら、禁軍だって言うから……何人か、仲間が伝えに来たでしょ?」
 玄武は首を捻る。思い返してみれば、昨日・一昨日と何回か部下がやって来たが、彼は瑠璃の相手をするのに夢中で会おうともせず追い返したのだ。
「で、昨晩から出航の準備をしてるって言うもんだから……案の定、俺らを討つ為呼ばれたっていうじゃないか!」
 禁軍が動くということは、女帝が許可したことを意味する。地方軍が来なくなってからというもの、もしかしたらという淡い期待を抱いていたのだが、人員に困っている聖安軍が此れ程早く軍を寄越すとは、少々想定外であった。
「数は?」
「ええっと……確か大隊ってのが二つ……」
――大隊二つ? 
 妙な話だと、玄武は一層訝しむ。たかだか百人程度の賊を討つのに、二千余りの水軍を送り込むだろうか? 此れまで戦った地方軍も、多くて精々五百人程度であった。此方の戦力を過大評価しているのかもしれない。
 加えて、そんな人数を用意するならば何日も準備が必要なはずであるし、幾ら自分が外界から隔てられていたとて其の間に気付かなかったのはおかしい。
「其処らに余ってる商船を買い取って、大勢で攻めて来るらしいです」
「商船で? そんな話は聞いたことが無いが……」
――いや、茗と開戦に備えて少しでも戦力を温存しておきたい聖安軍のことだ。有り得ない話ではない。
「とにかく、もう今にも隨加を立とうとしているんです! 早く来てくださいって!」
 玄武は男をつき離して服を着始める。倒れた男はよろめきながら立ち上がると、急いで走り去って行く。
「此れは面白いことになった……」
 久方振りに、彼を心底から楽しませる戦いが始まろうとしている。胸躍り、高揚する気分は抑え難い。
「二個大隊だなんて、本当なら圧倒的不利でなくて?」
 後ろから不意に、眠っていたはずの瑠璃の声が聞こえる。大隊等という、普通の少女はまず知り得ないであろう軍事用語の意味を解する彼女は、本当に謎だらけだ。だが玄武はもういちいち気にせぬ程に慣れてしまった。
「其れが、面白いんだよ」
 聖安を含めた数々の敵国との戦。千対五千、五千対一万といった、兵力の差で言えば不利としか言えない状況を、彼は何度も経験してきた。勝つことが殆どだが負けることもある、其の不確定さこそが戦いの醍醐味であり、彼に此の上無い悦びを与えてくれる。
 勝敗よりもそうした興奮の方をより楽しむ。此度の戦い等は猶更そうだ。正体さえばれなければ、例え負けたとしても自分だけ逃げ果せれば問題は無い。海賊などに、何の未練もないのだから。
「しかも相手は禁軍ときた……指揮官が誰か、気になるところだ」
 聖安禁軍の指揮官には、武人として名うての者も多い。上手くすれば一騎打ちに臨めるかもしれない。
「あら……私知っていてよ、指揮官が誰か」
「何?」
 瑠璃は寝台から出て、驚愕する玄武に裸身のまま近付いて行く。僅かに背伸びし彼の首に手を回すと、悪戯っぽく囁いた。
「聖安禁軍、上将軍瑛睡麾下、蒼稀上校」
――蒼稀上校。
 敵国の一将校とはいえ、玄武も其の名だけは知っている。十代という、聖安史上最年少の若さで上校となった天才と聞いている。
「くく、瑛睡が重用しているという、青二才が相手か……」
 上校の名よりも、彼が反応したのは名高い上将軍の名。玄武が未だ若い将校であった頃には既に将軍であり、戦場で見え、彼の頬に屈辱的な傷を残した英雄。
――あの高潔な士気取りの秘蔵っ子を殺して、英傑の鼻を圧し折ってやるか。
 何故瑠璃が聖安側の指揮官の名を知っているのか、無論多少は気になった。しかしそんなことは、此れから始まる余興を思えば取るに足らぬこと。
「瑠璃、おまえは此処で待っていろ。聖安が救国の希望と頼む、若い将校の首を持って来てやる」
 笑いながら寝所を出て行く。玄武の背を見送った瑠璃は、薄暗い部屋に独り残された。
 窓際へと歩き、閉ざされた戸を開ける。見上げれば空は好晴……一気に流れ込んでくる陽光を浴びて、眩いばかりの見事な裸体が露わになる。
 感情の篭らぬ瞳……彼女唯一の主と良く似た冷たい眼差しで、外に見える碧海を見通す。玄武といる時のような、媚を含んだ笑みなど此れっぽっちも含んでいない。
「……楽しみなことだな」



 陽が昇って程なく経った早朝。蘢の率いる水軍約三百人は、三隻の軍船と同じく三隻の大型商船に分かれ乗船し、随加港を出港した。
 好天の青空には数十羽の海猫の群れが飛び交い、特徴的な鳴き声を響かせている。程良い風は順風、波は穏やかで、航行には適した天候と言えよう。
 蘢と共に最も規模の大きい主力船に乗った麗蘭は、甲板に出て目指す先の方向を見詰めている。禁軍の一兵として加わっている彼女は、周りの兵たちと同じ紅の軍服を着て刀を差し、弓を背負っている。
 麗蘭の姿を初めて目にした兵たちは、目を疑う程美しいあの少女は誰なのかと、不思議そうな視線を送る。作戦中であるため口には出さないものの、如何いう素性の娘なのか、如何いう経緯で此度の討伐に参加しているのか、聞きたくて仕方が無いという様子である。
「禁軍の軍服が良く似合っているね、麗蘭」
 船縁にもたれて波間を見ていた彼女に、蘢が背後から声を掛けた。今日は彼も軍服を身に纏っているが、上校の位を表す階級章は胸から外している。
「ありがとう。此の服を着るのは子供の頃からの憧れだったからな、嬉しいんだ」
 素直に喜びながらも、何時もよりも少し緊張気味の麗蘭。蘢は彼女の横に並び、自分も船端に寄り掛かって海を見た。すると突然麗蘭は、姿勢を正して身を堅くし彼の方へと向き直る。
「どうしたの?」
 首を傾げる蘢に、周囲に聞こえないような小さな声でぽつりと答える。
「此の船ではおまえが指揮官だから、気安く話しては周りに怪しまれるだろう?」
 真面目な顔をする麗蘭にぽかんとしてから、蘢は堪えきれずに小さく笑い出した。
「ふふ、そうだね。でもそんなにがちがちしなくても良いよ、僕はどの兵に対しても其処まで堅いのは求めてないんだ」 
 確かに其れには、部下に指示を出す蘢を見ていると頷ける。自分よりも年上が多い所為かは分からないが、蘢は決して部下には厳格過ぎる態度は取らないし、ましてや高圧的な物言い等決してしない。穏やかで親しみさえ感じられる接し方で、常に的確な命令を出す為相手を自然と動かしている。
 兵たちもまた、年若い彼に絶対の信頼を置いているのが見て取れる。若いからと言って侮るようなことは決して無く、敬意を持って従っているのだ。
 石のように身体を強張らせている麗蘭が面白かったのか、此処数日忙しくしていた彼も久し振りに笑っている。一方で麗蘭は、笑われたことに納得がいかず少しだけ不服そうな顔をした。
「ごめんごめん、悪気は無いから機嫌を直して欲しい」
 そう言って、彼は着いて来るよう手で促しながら左舷の方へと歩いて行く。端まで来ると、手にしていた何か小さな固まりを海の中に投げ入れた。
 すると辺りを飛んでいた海猫が、其れを目掛けて素早く飛んで来る。海面に落ちた白っぽい欠片を、嘴で突いて口に入れ飲み込んでいるようだ。蘢が続けて放ると次々と集まって来て、我先にと競って捕らえていく。
 麗蘭が蘢の手にしている物を見てみると、船室に置いてあった焼菓子であった。
「あ、海に落ちる前に上手に受け止めたよ」
 いつの間にか船の周りは、餌を求め追いかけてくる海猫で一杯になっていた。左舷の辺りから麗蘭たちの頭上にかけて、直ぐ間近を舞うように飛んでいる。
「君もやってみる? 上手く嘴で受けられるように、ゆっくり投げてごらん」
 興味津々の麗蘭はこくんと頷くと、進められるがままに餌を受け取る。先程蘢に言った言葉は既に忘れたようで、小さく千切った菓子を投げては食む海猫たちを夢中で見入っていた。
「……終わってしまった」
 手渡された分を全て使ってしまうと、麗蘭は残念そうに言う。次の欠片は未だかと暫く追ってきた鳥たちだったが、やがてもう終わりだと気付いたのか船から離れて行く。
「僕は元々、漁村の生まれでね。親に船に乗せてもらってはこうして海鳥と遊んでいた」
 懐かしそうな顔をする蘢の蒼い瞳は、少年のように輝いている。普段は歳に似合わず大人びているが、時折こうして相応の表情を見せるのだ。
「そういえば、君は船には慣れていないんじゃない? 船の上で戦うのは、陸上でのようにはいかないよ」
 揺れる船上では、身体の平衡を保ち体勢を崩さぬように戦う為ある程度の慣れを要する。訓練された蘢や水軍兵たちや、船の上に居るのが当たり前の海賊たちとは異なり、麗蘭は慣れているとは言い難い。海に出没する妖の討伐で数度海上で戦ったことはあるものの、人相手では勝手も違うだろう。
「経験が無い訳ではないが、確かに慣れてはいないな。不覚を取らぬよう気を付ける」
 幸い船酔いし易い体質ではないらしく、体調は良好である。緊張していた気分も、蘢のお陰で幾分か解れた。
「ところで蘢、あの離れた処にいる大型船は、昨夜話していた作戦の一だろう?」
 麗蘭は船尾の方を指差す。麗蘭たちの乗る軍船と他の三隻の軍船に遅れて、残る三隻の船が着いて来ていた。
 あれらは海賊の所為で使わなくなっている商船と漕手であり、今回の作戦の為に蘢が買い入れた物である。兵は其々十人程しか乗せておらず、あくまでも此方の戦力を大きく見せるための偽装だった。
「もう少し霧でも出てくれれば、もっと近付けても良いんだけれどね。此の晴天では見通しが良過ぎる。此の距離だと不自然で直ぐ気付かれるかもしれないけれど、時間稼ぎ位には役立つだろう」
 隨加を出発する前から、蘢は策を弄していた。呼び寄せた戦力は中隊二つであるにも拘わらず大隊二つと偽りを町に流し、殆ど人員の居ない商船に武器やら食料を運び込んで、軍人が何百人も乗るかのように見せ掛けた。実際に出港させ、こうして遠目に見える位置を航行させることで、噂が本当であると信じさせ敵の戦意を挫くのが目的である。 
「それじゃあ、僕はそろそろ軍議に行くよ。未だ暫し時間が有ると思うから、ゆっくりしておいてね」
 そう言って踵を返し、手を振りながら船中へと戻る。麗蘭は気を紛らわせてくれた蘢に感謝しつつも、自分に対する兵たちの視線が更に強くなったことを感じていた。 
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