金色の螺旋

前に戻る目次次へ

第三章 竜の化身

十.悲痛なる叫び
「麗蘭! 麗蘭!」
 だんだんと近付いて来る、心配そうな少女の声。
「しっかりして! 麗蘭!」
 優花の声だ。目を開けてゆくと、頭の直ぐ上で彼女が瞳に涙を滲ませている。此れと良く似た状況を、かつても何処かで体験したような気がする。
「気付いたんだね、麗蘭」
 もう一方の青年の声は、蘢のもの。自分をしっかりと支えている腕は彼のものだ。厳しい顔に少しだけ安堵の表情を織り交ぜながら、此方を見詰めてくる。
「優花……蘢……!」
 正気を取り戻した麗蘭は、重い体を動かし再び自分の足で立つ。少し先には金竜ではなく、あの男が居る。
――そうか、どうして忘れていたんだろう?
 先程まで体感していたことを思い出し、麗蘭は小さな苦笑を漏らした。
――奈雷、とは、千五百年前の……一番初めの光龍ではないか。
 有名過ぎる神話と伝承に依ると、麗蘭の主である天帝聖龍によって最初に創造されたのが、伝説の奈雷という女。彼女が黒龍神との戦いに敗れて死んでから、五百年毎に転生するのが光龍であるので、謂わば彼女は、麗蘭の遠い前世の姿ということになる。
「娘、此の左の目に何が見える? おまえにならば見えるだろう?」
 男は両目を細め、問い掛ける。まるで麗蘭を試すかのように。彼女は素直に応え、すうっと右手を上げて男を指差し言い放つ。
「おまえの……左目に、金竜が居る」
 金竜、其れは古の巨獣。現天帝、聖龍の父君神王によって人界守護の目的で創造されるも、闇に堕ちた五体の霊獣『五大竜王』の内の一体であると伝えられている。邪悪さゆえに神王によって討伐を命じられ、聖龍神と其の神巫女、邪神になる前の黒龍神と其の神巫女、そして邪龍の五人によって、それぞれ一体ずつ倒された。
 光の神巫女『奈雷』は、金竜を封印した功績により神王から『光龍』という名を賜ったという。
 そして、傍らで麗蘭の言葉を聞いた蘢は確信する。目の前に立ちはだかる男が誰であるのかを。
「遙か昔、光龍が封じた金竜を身体に宿したという男……茗の上将軍、四神の青竜」
 自ら口に出しながらも、蘢は信じられずにいる。青竜と言えば、実力で玄武を軽く凌ぐと言われている茗の……いや、現在大陸六ツ国で最強と謳われる神人。そんな人物が、何故此処に居るのだろうか?
――考えられる理由は一つしかない。光龍を追って来たんだ。
 随加の海賊を殺戮し、麗蘭の気を辿って後を追い掛けて来たに違いない。こんなに近付かれるまで青竜の気を感じられなかったのは、本人が意図的に隠していたからだろう。神気を制御出来る者は少ないが、青竜には屹度可能なのだと、蘢は推測した。
「そう……私は此の眼に金竜を飼っている。娘、おまえの神気が此の眼に疼いて仕方がない……おまえを殺せと命じて煩いのだ」
 青竜は、其の背に背負った大剣を外して鞘から抜き去る。左右色の異なる瞳で、炯々たる眼で麗蘭を捉えて逃さない。
 麗蘭も応え、ぐっと腰の刀に手を掛ける。心なしか手が小刻みに震えている。彼女の身体が、魂が、青竜に拒絶反応を示している。
――怖い、こんなに怖いのは初めてだ。
 敵が放つ怪物の悪気もさることながら、男の武人としての純粋な闘気、剣気、覇気、そして歴戦の将らしい圧倒的余裕。様々な要素が麗蘭を竦み上がらせる。 
――だが逃げない。幻の中の奈雷も逃げなかったではないか。
 両足に力を入れて、がくがくと震えそうになるのを堪える。手に力を籠めて、剣を落とさぬよう固く握り締める。きっと前方を見据えて、青竜の眼に刺すような視線を送り込む。
「麗蘭、駄目だ! 其の男は随加で海賊たちを嬲り殺した張本人、一人でかかるのは無茶だ!」
 蘢は大声で叫ぶと剣を抜き、麗蘭の真横に並んで加勢しようとする。だが麗蘭は刀を持たぬ左手を向けて彼を制止し、大きく首を横に振った。
「蘢、済まぬ。此処は私に任せてほしい」
 横目で蘢を見る麗蘭の瞳には、有無を言わさぬ強い意志が有る。蘢はぴたりと止まると、物言いたげな表情を見せつつも彼女の気持ちを優先してか、踏み止まって剣を収めた。
――一人で切り抜けなければ、私は神巫女なのだから。
 蘢の力を借りるわけにはいかない。奈雷が封じた金竜を縛し、自分と聖安に仇なすというのなら、神巫女である麗蘭自身が青竜を倒さねばならぬ……彼女はそう、強く思っていた。
――此れは、私の戦い。奈雷であった時も、一人で戦ったのだから。
「蘢、優花を頼む」
 ちらりと蘢の横を見ると、泣きそうな、不安げな顔を向けてくる優花が居る。
――二年前、邪龍と対峙した時のようだ。
 あの時も、優花は妖王に相対した麗蘭を案じて見守ってくれた。敗北した自分を孤校へ連れ帰り、命があったことを心から喜んでくれた。
――あの時誓ったのだ、私は誰よりも強くなると。大切な者たちのために……二度と優花を悲しませないために。
 先に踏み出したのは、麗蘭。刀の腹に指先を当てて呪を唱えながら青竜へと走り、神力を籠めた刃を振るう。剣で受けた青竜は軽く受け流して距離を取ると、高く振り上げて麗蘭の頭上へと斬撃を落とした。
 麗蘭は自分の顔の前で無理無く受け止めたが、剣を伝い、手に伝わってくる振動は凄まじいもの。体格の違いで只でさえ力の差が有るのに加え、身に封じた金竜が常人以上の筋力を作り出しているのだろう。
 此の腕力の差では、鍔迫り合いは不利にしかならない。麗蘭は直ぐに剣を離し、腰を沈めて胴に突きを入れる。またも止められたが、間髪入れずに間合いの外へ出ると、右斜めに切り上げて青竜の左目を狙う。
――神気を含ませた刀で、邪気の源たる左目を傷付ければ……!
 そう易々とはいかず、青竜は頭を仰け反らせて剣閃を避ける。其の後も数度剣を合わせたが、麗蘭は一貫して左目を狙うことに集中していた。
「小賢しいな……」
 青竜は吐き捨てると、左手を翳し呪を唱えて神力の烈風を起こす。程無くして、疾風が幾つもの刃と成って麗蘭に襲い来る。麗蘭も呪を唱え目に見えぬ神気の壁を作って防ぐが、一瞬遅れて風の刃を右腕に受けてしまう。着物が裂け、白い腕がぱっくりと割れて血がごぽりと零れ出る。
「麗蘭!」
 優花の悲鳴が聞こえる。口元を抑え、見ていられないという表情を麗蘭に送っている。
 鋭い痛みに歯を食い縛るが、苦痛に気を取られている暇はない。掠っただけなので良かったものの、あの鎌鼬に似た風をまともに喰らっては一溜まりもない。麗蘭が避けた風を受けて、彼女の周囲の太い樹木の幹や枝が完全に切られていた。身体に刻まれたなら……と考えると身震いがしてくる。
 傷は浅くはないが、痛みに耐えれば刀を持つことは出来る。麗蘭は両手で刀を握り直すと、剣先を再び青竜へと向けた。
――金竜の気に怯え、利き腕に傷を負いながらも闘気を衰えさせぬか……年若い小娘ながらも、気迫だけは一流のようだな。
 青竜は覆面の下で僅かに笑む。剣を合わせることに必死になっている麗蘭は猶のこと、其の隠れた表情には気付かない。
――本当に此の娘が聖安の公主ならば、一興。
 其れを今此処で確かめるのは、青竜といえど困難を極める。麗蘭たちが口を割るとは思えぬし、人の心を読む彼の能力は、神力の強い麗蘭たちや……見たところ妖力を備えている、優花には使えない。
 麗蘭たちには「殺す」と告げたが、無論本心は違う。珠帝の望みは、彼女を生きたまま連れ帰ることなのだ。
――頃合いか……
 光龍を捕らえた後、後ろに居る蒼稀上校は葬るつもりでいる。彼は茗にとっては害にしか為らない上に、随加での自分の所業を見破られてしまっている。
 麗蘭は低く跳躍し、一気に青竜との間合いを詰めて刀で薙ぎ払う。雷光のような速さだが、右腕を怪我したからか先程までよりは速度も力も落ちている。
 剣撃は躱され、虚を衝かれて右手首を掴まれる。そのまま捻り上げられ、麗蘭は刀を取り落としてしまう。
「くっ……!」
 しまった、という顔をするが既に遅い。ぐいっと引き寄せられると、自分の目の前に青竜の双眸が在った。
「な……に……!?」
 黄金色の瞳の内部には、あの幻で見た金竜の眼と同じで渦の如き奇怪な模様が見えている。其れを見入った瞬間、麗蘭は縛された。
「あ……」
 先程初めて青竜の眼を見たときと同様、身体が硬直して全く動かない。倒れゆくところを青竜に左手で抱き抱えられ、容易く捕らわれてしまう。
「麗蘭!」
 遂に、蘢が動き出す。剣を鞘走らせて抜くと、鞘を捨てて青竜に斬り掛かる。対する青竜は彼の一撃を右手一本で受け、同じく左目の眼光を蘢の眼に叩き付けた。
「がっ……!」
 蘢が受けたのは麗蘭と同種の力ではなく、直接体内に衝撃を与えるもの。何処か内臓に攻撃されたのか剣を落として右手で口を覆い、大量に血を吐き出した。
「蘢!」
 数度目となる優花の叫び声が響く。声を奪われた麗蘭は青竜の腕の中から、崩れ落ちてゆく蘢を只見ているしかない。
「蒼稀上校、おまえは此処で死ね」
――蘢……!
 麗蘭は、気付く。此の怪物は蘢を本気で殺そうとしていることを。
 青竜は彼女を抱えたまま大剣を振り上げて、一気に下ろした。蘢の右の肩口から左脇腹にかけて、容赦無い斬撃を振り落とす。
「いやああああああ!」
 優花の絶叫。勢い良く飛沫く蘢の鮮血が、青竜や麗蘭の身体を染め大地を濡らす。蘢は地面に倒れ伏して、目を閉じたまま動かなくなった。
――蘢、蘢!
 石に為った自分の身体を何とか動かそうと、麗蘭は必死にもがこうとする。
――助けねば……自分が動かねば、蘢が死んでしまう!
 身体は少しも動かせずとも、意識だけははっきりしている。呪縛を解かねば蘢は確実に死に、優花も危なくなるかもしれない。
『忘れないで、君には大きな宿が有る。危なくなったら、決して無理をしてはいけないよ。君を守る為なら、僕は命を賭すると陛下に約したのだから』
 自分の無力さを厭いながら、突然麗蘭の脳裏に浮かんだ蘢のあの言葉。
――そうか……こういうことだったのか……!
 蘢の言葉の、余りの重さに身を潰されそうになる思いがする。今更気付いても取り返しがつかない、あの言葉の真意……彼程の男が命を賭けるとは、こういうことなのだと。
――動け! 私の身体! 動かぬか!
 自分も直ぐ、青竜に殺されるかもしれない。だが此のまま殺されては蘢に恨まれても仕方がない上に、沢山の物を犠牲にして自分を守ってくれた人々……母恵帝や風友、優花、そして天帝聖龍神に申し訳が立たない。
――私は光龍だ、金竜の邪気などに制されたままでいるはずがない!
 目を閉じ、自分の身の内に眠る全ての神力を呼び起こし、身体を縛り上げている青竜の術を解こうと集中する。
――何処かに……歪みや割れ目が有るはずだ。
 そうしている間にも、青竜は虫の息となった蘢に止めを刺そうと剣を上げ、彼の心臓へと剣先の狙いを定める。
「ほう……未だ息が有るか。咄嗟に体を捩じって急所だけは避けたと見える。流石は、玄武を負かしただけのことは有るな」
――探せ、邪気の途切れる……いや、薄くなっている場所を……!
 麗蘭は、師である風友に昔教わった知識を手繰り寄せている。神人が使う術にも妖が使う術にも、完璧で抜け目が無いものは殆ど無い。神の用いる『神術』でなければ、術を掛けられた者が解縛する道は必ず何処かに有るはずという。
「麗蘭を離してえええっ!」
 術を解くことに一意専心していた麗蘭が、優花の喚声ではっとさせられる。
――優花!?
 両の掌を青竜に翳した優花は、何時の間にか普段身に付けている妖力封じの札を投げ捨て力を解放していた。人間のものそっくりに形を変えている耳が、半妖らしい先の尖った物に戻っている。青竜が蘢や麗蘭に気を取られている内に、両手に力を溜めて白い光弾を作り出していた。
 彼女の妖気に気付き、蘢を突き刺そうとしていた青竜が手を止め、彼から目を逸らす。同時に優花の予想外の行動に動じたのか、集中が途切れて術の裂け目が垣間見えた。
 優花の放った力の結晶は青竜の剣で難無く弾かれるが、麗蘭が術を打ち破るには十分な隙を作り出した。
「はッ!」
 気合いを入れて術を解いた麗蘭は、青竜の顎に肘鉄を入れて彼の腕から逃れた。青竜は一歩後退して踏み止まり、直ぐに体勢を立て直す。
「蘢!」
 側に落ちた剣を拾うと、未だに重い身体を無理矢理動かし、蘢の許へと駆け寄る。其れを見た優花も二人の所へと走り、麗蘭と蘢の前に出て彼らを守るようにして立つ。
「娘、死にたくなければ退け」
「嫌だっ!」
 目に涙を溜めて、首をぶんぶんと振り拒否する優花。青竜は彼女に危害を加えるつもりでは無かったらしく、薄く溜息を漏らした。
 以前から麗蘭は、何時も穏やかで優しい優花が時にとんでもない行動を起こすことを知っている。今のが良い例で、そういう時は大抵彼女に助けられるのだ。
「優花、蘢を運ぶ。例のあれを……頼んでも良いか?」
 力の無い蘢の身体を静かに抱き起こすと、麗蘭は優花を見上げる。
「……分かった」
 麗蘭の言葉に頷いた次の瞬間、優花の身体が突如として乳白色の煙に包まれる。
「何……?」
 青竜は黒い外套で身体を隠し、内側から様子を窺う。何も見えない……優花、麗蘭、蘢の姿が何時の間にか消え失せている。
 行方を追い周囲を回視するが彼等は何処にも居ない。奇妙に思っていると、空から何かがひらひらと落ちて来るのに気付く。
 手に取ると、鳥か何かの……大きな羽根だった。見たところ猛禽類の物に近いが、大きさが普通の数倍は有る。
「まさか……」
 空を見ると、巨大な怪鳥が天高く飛翔していた。舞い散る羽根は屹度あれに違いない。少しずつ高く上昇する巨大な鷲の背には、太陽色の髪の娘と、彼女に支えられぐったりとしている青年の姿が有る。
 身に流れる血の半分が受け継いだ妖としての本性、大鷲の姿に変化した優花は、二人を乗せて青竜から逃れ大空を飛び去って行く。標的を逃した青竜は、剣を突き立て小さく為ってゆく彼等をじっと見ていた。
 顔を隠す覆いの下に浮かべていたのは、悔しさでもなく怒りでもなく……やはり、小さな小さな笑みであった。 




第三章 竜の化身 おわり
前に戻る目次次へ
Copyright (c) 2012 ami All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system