金色の螺旋

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第三章 竜の化身

二.不穏な影
 茗へと繋がる海域を荒らし麗蘭たちの進路を妨げていた海鬼は、船を拿捕され壊滅した。捕虜となった海賊たちは随加の地方軍へと引き渡され、尋問を受けることになっている。
 海賊の所業により船を出せずにいた商人たちは、遅れを取り戻すために討伐の翌日から航行を開始した。蘢は水軍を駐屯地に戻した後、部下に命じて自分たちを商船へ乗せてもらえるよう手配した。
 当初の予定よりは一週間以上遅れたが、全てが順調に進んでいる……はずであった。随加出立の日、予想外の知らせが届くまでは。
 準備を済ませ、宿で朝餉を取っていた麗蘭と蘢の元に、蘢の部下がやって来た。蘢は席を外し、用件を聞くために廊下へと出て行く。部下の顔つきは幾分か険しく、少しして報告を聞いた蘢が硬い表情で帰ってくるよりも前に、麗蘭は嫌な予感を覚えていた。
 時間が早いためか、食堂には今麗蘭たちしか居ない。席に着いた蘢は、本当に人の気配が無いのかを確認してから静かに話し出す。
「茗が聖安の船舶に与えた入国の許可を、全て取り消すそうだ。昨夜、珠帝が勅を出したらしい」
 想像していた類の悪い知らせに、麗蘭は肩を落とす。
「つまり、商船で茗入りすると言うのは……」
 其の言葉に、何も言わず静かに首を横に振る蘢。茗が聖安の船を自国に入れないと言うことは、実質聖安と茗の海上貿易が断たれたことを意味する。
「我らにとっても、そして茗側にとっても、互いに敵でありながら主要な貿易相手国。双方共にそれなりの打撃を受ける。遂に、強硬策に出たということか……」
 口に出してみて、彼女は疑問に思う。一体何故に、茗が其のような手段に出たのかと。
「……一昨日、海賊を討伐したあの日中に、茗は上将軍玄武が討たれたとの訃報を国中に出した」
「え……?」
 蘢との戦いに敗れた玄武は、あの場から逃亡し生死不明となっている。珠帝が公式に凶報を出したということは、彼は本当に死んだのであろうか。
「公海上で、自軍の訓練と国境視察をしていた玄武の水軍船を、聖安の水軍が拿捕。抵抗した玄武は聖安軍に召し捕られ殺された……というのが茗の公式な発表だ。此れも玄武殉職の報と共に出された」
 言うまでもなく、全てが根も葉もない嘘ばかり。
「聖安側が公海上で突然茗側を襲撃したと主張し、其れに抗議する形で今回の処置を取ったようだね。幸か不幸か、指揮官が僕だったということまでは掴んでいないようだけど」
「そんな……」
 勝手な、と言い掛けて、止めた。此れが茗、珠玉という君主。そして此れが争いというものなのだから。
「だが、そんな見え透いた嘘が通じるのか? 捕らえた海賊を調べれば、奴等が軍の者等ではないと直ぐに分かろう?」
 問い質して吐かせずとも、身なりや所作、顔つきから見て、賊と軍人は明らかに違う。
「……死んだんだ、全員」
「死んだ?」
 訝る麗蘭に、蘢がこくんと頷く。
「昨夜一晩のうちに、地方軍の兵舎地下に百人近くいた虜囚が全員殺された。看守諸共、一人残らず」
「それでは、奴等が賊であると明確に示せなくなったというわけか……一体誰がそんなことを」
 誰が、と言ってはみたものの、海賊たちの口を封じるためにやったのならば、下手人は茗の者であろうことは容易に想像がつく。
「後で、僕が行って調べてみる。今日船で出ることは無理になったからね……今後の移動手段も考えないと」
 船が完全に使えなくなった今、茗への旅は陸路を取らざるを得なくなった。滞りなく旅を再開できるかと思いきや、再び足止めされてしまったのだ。
「麗蘭は此処に居てくれるかな? 兵舎へ行って状況を見て、直ぐに帰ってくるから」
「分かった、頼む」 
 茗の者が此の街に居るかもしれないと分かった今、自分が外を出歩くのは危険であると、麗蘭は重々承知していた。歯痒いが、此処は蘢に任せるのが賢明だ。
 蘢は立ち上がり、廊下で待たせている部下の元へ行く。残された麗蘭は再び箸を取り、途中であった朝餉を食べてしまおうと思ったが、すっかり食欲を無くしてしまっていた。
――また、留められるのか。
 落胆も有るが、今回は不安の方が大きい。更に悪化した聖安と茗の国交。そして旅の先行きを思うと、全身が震える程の胸騒ぎがする。
――私たちのことは……何処まで勘付かれているのだろう?
 自分たちが茗へ向かっているのを知って、敢えて強引な外交政策を取ったとは考えられないのだろうかと、一瞬恐ろしい考えが頭を過ぎる。
――有り得てはならない。其処までは……!
 改めて、麗蘭は感じる。此れから挑まんとしている相手の巨大さと強さ、そして己が責任の重さを。自分たちは今祖国の運命を背負い、大国との争いに巻き込まれようとしているのだという現実を。



 随加港に程近い、地方軍の兵所。先日の海賊討伐で連行された茗人の海賊たちは、皆此処の地下牢に繋がれていた。
 蘢は随加軍の一下士官の後ろについて、共に地下への階段を下りている。階段は此の一つしかなく、昨晩牢を襲ったという刺客も通っているはずだった。
――物凄い死臭が漂っている。
 戦場で嗅ぎ慣れた、死人の臭い。血だけではなく胃の内容物や脂、そして腐りかけた物の臭い等、鼻をつんざくような耐え難い独特の臭いだ。彼が来る前に半分程の死体が上へ運ばれていたが、未だ数十はそのままにしてあるとのことだ。
 木綿の布で鼻と口を覆い、出来るだけ息をしないように進む。更に感覚を研ぎ澄ませ、此の場に残っている『気』を拾おうと集中した。
――此の気は一体……?
 未ださほど時間が経っていないからか、気は何となく感じ取れる程に残っていた。神人のものに近い神気と、妖のものに近い邪気が混ざったような不可思議な気配。同じ一人が纏っていた気と考えるには少々不自然な、此まで蘢が感じたことの無い種の力。
 やがて、一番下へと辿り着くと予想通りの惨状が広がっていた。一昨日、海上で剣を交えた海賊たちが、変わり果てた姿で燭台の火に照らし出されている。ざっと見たところ五体満足のままであるものは無さそうで、手足が取れ首が取れ、内臓を曝け出して血の海に沈んでいた。比較的涼しい地下室であるためか、夏の此の時期でも未だ腐乱は進んでいない。太い木製の格子は切り刻まれ、所々粉々に粉砕されている箇所もある。
「皆一様に死んでいる。鋭利な刃物で切られたような傷だが……手を下したのは同じ一人なのか……?」
 身を屈めて遺体の傷口を確かめつつ、呟くように自問すると、側にいた下士が答える。
「其のようです。襲われた牢番のうち、発見された時には未だ息のあった者が一名居たのですが、『男一人にやられた』と申していたそうです」
 殺された看守が見張りに付いてから、取り調べの為に地下へと下りて来た兵が惨事を発見するまでの約一刻程。其の間に、此の酸鼻を極める光景がたった一人によって作り出されたということになる。
「本当ならば、信じ難い程の手練れだな。此んな所業を一人で、其れも短時間に行える者がいるなんて、とても信じられない」
 推測通り茗の手の者であれば、途轍もない強敵である。茗とは何の関係もない妖の類かとも疑ったが、気の残滓は間違いなく神人のもの。邪気を含んでおり特殊ではあるが、主となっているのは神力のようだ。
 噎せかえるような血の臭いの渦巻く中、蘢は直感する。早く、一刻も早く随加を発たなければならないと。
 一通り検分が終わると、階段を上がって建物から出る。宿に一人残してきた麗蘭が心配で、足早に戻って行った。
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