金色の螺旋

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第三章 竜の化身

六.友への想い
 湯殿を借りて湯浴みした麗蘭は、離れの客室で身体を休めていた。窓際の椅子に腰掛け、少し開いた小窓から夜風を浴びながら、初秋の蟋蟀(こおろぎ)の切ない鳴声に耳を澄ませている。
「そんな所に居たら湯冷めするよ」
 そう言いながら、麗蘭の後に入浴していた優花が戻って来た。部屋に入ると、入り口から二つ並んでいる寝台の内、窓に近い方へ座る。
「ああ、風の冷たさが程良くて……つい、な」
 麗蘭は優花の忠告に従って立ち上がり、彼女の座る寝台へと移動し直ぐ隣に腰掛ける。
「何だか嬉しいな、こうしてまた会えるとは」
 感慨深く言う麗蘭に、優花が微笑む。
「私はまた直ぐ会えるって思ってたよ? だってあんた、出発する前必ずまた会おうって言ってたじゃない」
「……そうだったな」
 一か月半程前、麗蘭の生辰の日。確かにそんなやり取りを交わした。此の長いとは言えぬ期間で、麗蘭と優花の……特に麗蘭を取り巻く環境は激変した。其れでも、此の優花はやはり変わらない。変わらぬ親しみでもって、麗蘭と接してくれる。
「其のゆがけ、使ってくれてるんだね。ちょっと見せて」
 脇机の上に置かれていた革のゆがけを指差す。其れは、優花が麗蘭の一六歳の生辰祝いにと贈った手作りの品だった。
「とても使い易い。薄いし軽くて、思った通り刀に直ぐ持ち替えられる」
 麗蘭の言葉に対し嬉しそうに頷くと、優花はゆがけを手に取る。
「ああ……やっぱり。糸が綻びちゃってるよ……上手く縫ったつもりなんだけど、麗蘭ったら使い方が荒いからなぁ」
「す、済まぬ」
 狼狽える麗蘭を横目で見てから、荷物の中の針と糸を取り出して修繕を始める。
 補強が終わった後、優花は麗蘭の宮殿での暮らしや、蘢との旅で経験したことを尋ね、孤校の様子を話した。他にも、取るに足らない世間話等を延々と続けていた。
「ねぇ、蘢って麗蘭の護衛役の人か何かなの?」
 唐突な質問であったが、麗蘭は直ぐに否定する。
「いや、違う」
「じゃあお付きの人? 貴族……だよね? すごい軍人だってことは分かったし、凄く身分の高そうな人だけど」
 優花の言う通り、何処から見ても蘢は庶民に見えない。優雅で品格の有る容姿や立ち居振る舞いは、優花や、ついこの間まで庶民であった麗蘭にとっては『貴人』の心象そのもの。
「蘢は仲間だ。出自の方は、私も詳しく知らないのだが……」
 言われてみれば、蘢については未だに知らないことが多い。漁村の生まれであることや、士官学校を出て禁軍に入り素晴らしい活躍をしていることは分かったが、細かいことは話題に上ったことがない。
「あんた、彼のこと気にならないの? あんな美青年で優しげで、強くて素敵な人ってなかなか居ないんじゃない?……あ、都とかお城にはたくさん居るのかもしれないけど……」
 麗蘭は首を傾げるが、少しして納得したように頷く。
「ああ、天才と呼ばれるだけはある。頭は切れるし、剣の技等は美しく鮮やかで惚れ惚れする位だ。あのような使い手は中々居らぬだろうな」
 真顔で称賛すると、優花は不満そうに首を横に振った。
「そういうことじゃなくて……全く、あんたってば何にも変わってないのねぇ」
 何故苦笑されているのかさっぱり分からない麗蘭は小首を傾げるが、確か以前にも似たような状況が有ったことを思い出す。
「……お姫さまになったなんて聞いてから、雲の上の人みたいになっちゃったのかな、なんて心配してたけど……安心したわ」
 言葉ではそう言いながらも、優花の表情には少しだけ寂しさが滲み出していた。其れを汲み取り、麗蘭は親友を真っ直ぐに見て言い切る。
「確かに私の立場は変わり、私自身にも変わった部分が有るであろうし、もっともっと変わらねばならぬ。だが、おまえと私の間柄は何も変わらぬ。いや、変えさせるつもりは断じて無い」
 優花は知っている。麗蘭が誰よりも生真面目で、また素直であり、些細なことでも嘘をつけぬ性格であることを。今の言葉が彼女の気持ち全てであると、解り切っている。
「だから優花も……私との関係においては今まで通りでいて欲しい。おまえとの時間だけは……変わらぬものであって欲しいのだ」
 最後の方の言葉だけ、麗蘭は優花から目を逸らす。自分で何か言ってから少しはにかんだ顔をするのは、彼女の微笑ましい癖だった。
「ところで優花、風友さまのお遣いとは何なのだ? 幾らおまえとはいえ、独りで山の外に出る等今まで無かったことだろう?」
 風友は自衛の術を持つ麗蘭にしか、単身で山を下りることを許してはいない。半妖である優花は妖力を備え、弱い妖相手なら己が身を守ることは出来るが、未だかつて独りで山を下りることは許されなかった。
「うん、茗との戦に備えた大事なことだから、特別に出させてもらったんだ」
 そう言って、彼女は手荷物の風呂敷に包んでいた一枚の文書を取り出す。
「実は、紀佑さんは元々大きな武器商人の家の娘さんでね。実家から新型武器の設計図面を預かったというので、私が取りに来たの。風友さまから都にいる武官に渡すそうだよ」
 麗蘭は文書を受け取り、開けて中を見る。
「此れは……弓? いや、連弩(れんど)か? 変わった形だな」
 連弩とは、矢を射るまでの動作をばねを利用して行う武器であり、戦場では使用されることの多い主要武器である。
「私には良く解らないんだけど、今までのものよりたくさん連射出来て、射出速度も速くなってるんだって」
 一通り見ると、麗蘭は再び紙を畳んで優花に返す。
「こんな軍事機密を阿宋山まで運ぶ等、相当危険な任ではないか。大丈夫なのか?」
 心配そうに聞く彼女に、優花は自信満々に答える。
「大丈夫だよ。こういう時こそ、私のあれが役に立つの。阿宋山から此処までだって、大して時間掛からなかったよ」
「まあ、そうなのだろうが……」
――珍しい、優花があの力を使ったというのか?
 優花が自分の『例の力』を使いたがらないことは、麗蘭は良く知っている。実際、二人一緒に居る時に使ったのはたった一度しかない……二年前、妖王と対峙して麗蘭が重傷を負った時だ。
「私のことより、あんたはどうなのよ? お姫さま自ら茗に乗り込むなんて、女帝陛下に随分大変な命を与えられたんだね」
 優花は極力、声を小さくして言った。紀佑にさえも、此のことは知られない方が良いと分かっているのだ。
「……此の旅は、私が公主としての宿を果たす為に必要なものだ。いや、もっと単純に……私が私の居場所を得る為のもの。本当に自分の為だけの、旅なのかもしれぬな」
 真剣な顔で述べる麗蘭に、優花は溜め息をつく。
「相変わらず、色々難しく考えてるのねえ。でも、自分で色々やって答えを探ろうとしているのはあんたらしいよ。安心した」
 麗蘭が出て行った数日後、優花は風友から麗蘭の真実を聞いた。彼女が公主であり、もう孤校には戻らないこと。そして近々、恵帝の命で敵国に囚われの妹姫を救いに赴くということ。
――二年間ずっと一緒に居た麗蘭が、一気に遠くなった気がした。
 彼女が光龍だと知った時も、似たような寂しい感情が芽生えた。それでも二年間共に過ごし、妖討伐に付いて行ったり彼女の武具や着物を準備してやったりすることで、徐々に彼女の役に立てている自信に成っていった。
――今度ばかりは無理よね……皇女さまじゃあ、ねえ。
 皇宮で共に暮らすわけにはいかないし、そもそも滅多に会えなくなってしまった。孤児の、其れも半妖の少女と皇女では、身分も立場も違い過ぎる。
――其れでも私は、麗蘭の力になりたい。ほんの少しでも。
 本当の所、今回優花が風友に頼まれてお遣いに来た、というのは、優花の嘘である。
 孤校を離れられない風友が、誰か別の知り合いに此の任を依頼しようとしていたところ、優花が無理に行きたいと言い張ったのだ。理由は一つ、阿宋山に居るよりも、西に向かっている麗蘭には確実に近付けるから。勿論、麗蘭たちが此の泉栄を通ると知っていた訳ではない。
――只、何となくよ。そうしたら……こうして会えた。
 優花はそのことを、麗蘭に言うつもりは無かった。言えばそんなことで危険を冒すな、と怒るであろうし、要らぬ気を遣わせてしまうであろうから。
 麗蘭を早く休ませてやりたい、という当初の蘢の厚意も空しく、結局麗蘭と優花は遅くまで語り合っていた。明日には三人共泉栄を出て、麗蘭たちは茗へ、優花は阿宋山へと帰るのだ。二人の時間を過ごせるのは、次は何時になるか分からない。少しでも長く……一緒に居たい。口には出さずとも、お互いそう心底から思っていることは、十分に伝わり合っていた。
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