金色の螺旋

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第三章 竜の化身

八.宿命の邂逅
 泉栄を発った麗蘭は、蘢と優花と共に元々通って来た森へと戻っていた。優花は阿宋山へと帰途に付くが、茗への道と、阿宋山方面へ通ずる道が分かれる河原付近まで同行することとなったのだ。
 運良く妖にも遭遇せず、順調に森の中を進んで歩いて行く。麗蘭と優花は久し振りに会えた嬉しさからか、思い出話に花を咲かす。蘢は時折質問を挟み二人の話に耳を傾けている。勿論、周りの気配に十分注意しながら。
「それでね、洞窟の中からこんなに大きな化け物……哭錆(こくせい)が出て来たのよ。半人半牛の、あれね。血虎なんかよりもずっと大きくて、まぁ八鬼位はあったね。調度……此の木の高さ位かな? とにかく物凄い形相で不気味ったらないし」
 優花は手を両横に大きく広げ、其の妖が如何に巨大であったかを示す。彼女が隣の麗蘭に目をやると、当時の場面を思い出しているのかうんうんと頷いている。
「討伐士の大人たちは皆怯んじゃって、手も足も出ない状態で。あんなに大きな哭錆って余り居ないんでしょうねぇ、油断してたのかもね。で、皆ぽけっとしてたら頭の上から爪で掻き殺されそうになってね!」
 言いながら自分の爪を立て、かっと引き裂くような真似をする優花。言葉も何だか芝居がかっていて、臨場感を作り出そうとしているらしい。
「うん、それで如何なったの?」
 少し遅れて付いて来ている蘢も、興味津々といった風に続きを促す。
「そんなしょうも無い男たちの中で、唯一怖れず毅然としていたのが、麗蘭だよ! こうやって……弓を構えて狙いを定め、化け物が腕を振り下ろす瞬間に矢を放った!」
 今度は矢を射る格好をしつつ、正面に思い描いた哭錆の眉間に向けて放つ。
「知っての通り、麗蘭の矢は一撃で致命傷になる。轟音で呻きながら後ろに倒れた怪物に、刀を抜いた麗蘭が飛び掛かって額にこう……ぐさっと突き刺したの」
 例によってぐさりと剣を刺す様子を体現すると、再び傍らの麗蘭を見やる。
「こんな感じだよね?」
 問われた麗蘭は、ほんの少しだけ首を横に傾けながら不思議そうな声で返す。
「まあ……かなり脚色が入っている気がするが……というか優花、おまえはあの場に居なかったのに、何故さも見てきたように語れるのだ?」
 実際の所、優花は討伐に付いて行きはするが、妖が潜む現場にはなかなか連れて行ってもらえない為滞在する町や村で待っていることが多かった。だが麗蘭の華々しい活躍は、帰ってきた麗蘭本人や同行した討伐士たちから聞いていた。
 今の話も、麗蘭と共に討伐へ向かった男達の話に自分なりの想像を加えたものなのだろう。
「いや、でも、目に浮かぶようだったよ。妖討伐を生業(なりわい)としている者は元々軍の討伐隊にいた強い神人が多いと聞くけれど、そんな人たちの中に混じって戦っていたんだね。凄いことだよ」
 感心して言う蘢に、麗蘭は大きく頭を振る。
「そんなことはない、未だ未だだ。危ない目に遭って助けてもらったことも幾度もある」
 決して謙遜ではなく、心から自分が未熟だと思っている辺りが、自分に厳しく生真面目な麗蘭らしい。
 確かに、生れつき強力な破邪の力を持ってはいるが、其れは偶々自分が神巫女であるがゆえ。武術の才とて同様であり、決して自分の功績等ではないのだから、此れ位は当然なのだという思いが強い。
「麗蘭って何時もこうなんだよ。凄いんだから、褒められたら素直に喜べば良いのに」
 麗蘭の傍に居た優花は、親友が自分の力に驕ることなく誰よりも努力し続けていることを知っている。余りにも謙虚過ぎる麗蘭に対し、もっと誇って良い、自慢に思って良いと言っているのだが、全く効果は無いようだ。
「……そう言われても、自分に嘘はつけぬ。本当に未だ未だだと思っているのだから」
 真顔で言う麗蘭に、蘢が思わず笑みを漏らす。短い付き合いではあるが、彼の麗蘭という少女に対する好感度は日に日に増している。誰もが羨む美貌や神人としての力、武才を持ちながらも其れらをひけらかすことが無い。常に控えめな態度は、彼女の母である恵帝にも通じるものが有る。
 また、昨日初めて優花と麗蘭とのやり取りを見ていて感じたことだが、やはり、麗蘭にも極々普通の少女らしいところは有る。年齢から見ればかなり大人びて見えるが、随加で海賊をあしらっていた戦い振りや、妖と向かった時に見せる覇気等からは到底考えられぬ程、明るく素直で心優しい。
 そんな麗蘭が堂々と親友だと紹介する優花も、純真無垢で心暖かく、細かい気配りの出来る可愛らしい少女だった。会ったばかりの蘢にも、此の二人が親友同士であるということが何となく頷ける。
 一刻程歩いた後、三人は森を抜けた先に広がる河原へとやって来た。奥には豊かな緑の渓谷が聳え、其の手前には谷川が有り、澄み渡る水が心地よい音で涼しげに流れている。
 周囲に開けた川岸には、滑らかな白い岩が畳のように敷かれている。ほんの少し空いている透き間には低い草が生え、奥の川と谷、そして四方の山々が相俟って素晴らしい景勝を作り出していた。
「天気が良いからちょっと暑いけど、川の水に光が当たって綺麗だねえ、きらきらしてる」
「そうだな」
 麗蘭は刀や弓を外して岩の上に置くと、優花と共に川縁へと歩いて行き、澄んだ冷たい流水にすっと手を入れる。はしゃいでいる二人を笑顔で見詰めながら、蘢は川端の岩に腰を下ろした。
――二人は此処で別れることになる。暫く……会えないだろう。もう少し一緒に居させてあげよう。
 蘢の視線の先で、麗蘭たちはしゃがんで着物の袖をたくし上げ、水遊びをしている。
――無事に役目を果たし、聖安に帰ったとしても……戦争が始まっているかもしれない。そして其のこと以前に……此の二人の道は既に交差してしまったのかもしれない。違いすぎる立場ゆえに。
「……そんなことは……無いか。いや、有るはずがない」
 自分で考えたことを、自分で否定する蘢。何故ならば彼もまた、大切に想う遙か彼方の少女との距離を埋めるために、血の滲む努力をして来たからだ。
 葉擦れの音と、清水の音、そして二人の少女の爽やかな笑い声を聴きながら、蘢は天を仰ぐ。そして少しも経たぬうちに、いつの間にか直ぐ近くにまで迫っていた脅威の存在に気付く。
――此の邪気……いや、神気は……!
 彼は背後を振り返る。在るのは相変わらず森林だけで、木々が自然に葉を揺らしているだけ。
 だが麗蘭も、其の異変を感知しているようだった。優花と蘢の側まで行き、外していた武器類を急いで身に付ける。
「蘢、此の妙な気は……?」
 麗蘭にとっては初めて感じる気だった。蘢の方は、二回目。此れは忘れもしない、随加で虐殺された海賊たちの死屍に残された、巨大な力に他ならない。
「……随加で話した、あの気だ。捕虜の海賊たちを皆殺しにした奴が残したものと同じ」
 冷静な低めの声で言うと、立ち上がって剣の柄に手を掛ける。麗蘭も優花に目配せし、自分の後ろに居るように指示した。
「……だんだん近付いて来る。狙いは僕たちか」
 三人共、(まじろ)ぎもせずに少し先の森を見ている。川の向こうは背の高い渓谷、という状況で逃げ場は無い。やって来る得体の知れない怪物と、もはや対峙する以外なかろう。
――何だ? 此の嫌な気は……!
 相手は依然として姿を現していないのに、麗蘭は異常な程大きく邪悪な気に寒気を感じている。危険を伝える彼女の本能が、最上級の警鐘を打ち鳴らしているようだ。
「来た」
 麗蘭が短く言うや否や、木々が徐々にざわめき始めた。大きな風が吹いている訳でもなく、此の世の摂理に反して樹木たちが騒がしく揺れ動いている。まるで、此れから現れる何かを全力で追い払おうとしているかのように。
 やがて森の奥から、男は現れた。
 遠目には黒い塊に見えた彼の姿が、近付くにつれてはっきりと目に映り来る。首から足下まで、逞しい体躯全てを黒で包み、顔は右目の部分を残して布と面で覆っている。色彩を持っているのは赤い右目と銀の髪、そして背に携えている銀の大剣のみ。
 麗蘭たちの目の前までやって来た其の男……青竜は、立ち止まるなり外套を翻し、他でも無い麗蘭の目を真っ直ぐに見据えた。
 ぞくり、と、彼女は全身が総毛立つのを感じた。其の不快さに、思わず自分の両腕を抱く。
 身体の熱が急激に下がっていき、ぶるぶると震えて鳥肌が立ち始めている。
 恐怖……なのだろうか? 少し違う気がする。此れはどちらかというと、昔瑠璃と初めて会ったときに近い。あの時は、麗蘭が身に宿す光龍の力が、其の宿敵たる闇龍の力に反応していた訳だが、今の悪寒も其れに通ずるものがある。
――黒龍の……手の物なのか?
 自問するが、何となく違う気がしていた。今感じている邪気は黒龍や瑠璃の力とは種類が違う。彼らの纏うような底無しで得体の知れぬ黒い神気ではなく、もっともっと『此の人界』のものに近い……野性的で、本能的で、獰猛な獣を思わせる真っ直ぐな悪気。
 麗蘭はもう一度、何とか顔を上げて眼前に立つ黒衣の男を見る。不思議だ……其の身を取り巻いているのは、明らかに人外の気であるにも関わらず、男自体は神人、確かに人なのである。
「私の気に覚えが有るか? 神巫女……麗蘭よ」
 唐突に名を呼ばれ、麗蘭は息を呑んで吃驚する。
――名が知られている?
 素直過ぎる麗蘭には、何でも顔に出てしまう弱点が有る。慌てて動じていない振りをして表情を繕うも、既に無駄な足掻き。優花も相当動じてしまっている、横に居る蘢は顔には出さないまでも、内心かなり動揺していた。
「蒼稀上校、随加で玄武を破った話は聞いた。伝え聞いただけだが、見事な手腕だったな」
 蘢の名まで知っているとあってはほぼ間違いないと、三人全員が確信する。此の男は何処かで光龍と聖安の上校が共に旅していることを知り、更に名まで知り得たのだと。
「名が知られたことに驚いているようだが、此れが私の力だ。誤魔化しの効かぬ……な」
 低く落ち着いた声が、響く。知らない、こんな男の声は初めて聞く……にも拘わらず、いつか何処かで会ったことがあるような気がするのは、何故なのだろうか? 
「おまえは……一体……!」
 震えを帯びた声を絞り出し、やっとのことで言葉にする麗蘭。そんな彼女を、背後から不安そうに見守る優花。そして、男の特徴から自分の記憶をかき分けて、ぼんやりと男の正体に気付き始めている蘢。
「私は呪われし者、だ」
 そう言うと、男は自分の左目を覆い隠す面に手を掛ける。面を取り、更に頭から額、そして左目にかけて巻き付けていた布をも取り去り現れたのは、燦然とした輝きを放出する黄金の(ひとみ)
 麗蘭は、直ぐに気付く。かっと見開かれた眼から放たれているものこそが、彼女を震え上がらせている恐ろしい気と力なのだと。
 男は禍々しい力を宿した其の眼で、麗蘭を真っ直ぐに見据える。邪悪な眼光によって射抜かれた麗蘭は、金縛りにあったかのように身体を縛され、どういうことか視界を塞がれ、目の前が真っ暗になってゆく。
「な……に……!?」
 何が起きているのか分からなかった。思わず眼を閉じ、体勢を崩してしまう。
「麗蘭!」
 蘢は優花と同時に叫ぶと、倒れかかった麗蘭を右腕でしっかりと支える。彼が見たところ、男から何か攻撃を受けたような感じはない。
 身体から力が抜けていき、駆け寄って来た優花の声も、蘢の声も次第に遠ざかっていく。目も耳も役に立たなくなり、手足からも力が抜けてゆく。
 やがて、彼女は完全に意識を手放した。
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