金色の螺旋

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第三章 竜の化身

九.竜と巫女
――此処は、何処なのだ……?
 真っ暗で音の無い世界。優花も蘢も、あの怖ろしい男も居なくなり、麗蘭は独り立ち尽くしていた。
 しかし、孤独と憂懼は長く続かなかった。漠々として広がる無の世界は、聴いたこともないようなおぞましい咆哮で直ぐに終わりを告げたのだ。
 突如後ろから襲って来た、聴覚を破壊しかねない程大きな哮り声に、麗蘭は両耳を強く塞ぐ。びりびりと身体が振動する程の衝撃に耐えつつ、ゆっくりと背後に向き直る。すると信じられないことに、其処には広漠たる荒野が在った。
 灰色の荒れ地に、同じく彩の無い虚空。訪れたことも見たこともない土地だった。何となしに目を落とすと、右手には初めて持つ剣がしっかりと握られている。
――此の剣は?
 振るったことはおろか、握ったことすらもない其の立派な剣が、何故かとても手に馴染む気がする。無彩の世界で、此の剣だけが色と彩度を持っているようで、長めの柄は金、柄の先に飾られた宝玉は真紅、すらりと伸びた刀身は眩い銀。麗蘭の神力を纏うかのように、白い神気を発していた。
 再び、今度は頭上から、あのぞっとする鳴声が降って来た。思わず空を仰ぐと、目を疑いたくなる程のものが飛翔しているではないか。
――金の……竜?
 人間の想像を超えた怪物と、幾度も幾度も見えてきた麗蘭も、竜を見るのは初めてだった。しかし、あれは紛れもなく竜だ。図画に描かれ、石に彫られる、此の世で最も神に近いとされる竜の姿だ。
 金竜は、曲がりくねった長大な尾を波打たせながら下降し、麗蘭の方に近付いて来る。
――逃げなければ……!
 逃走せねば、先には死が待ち受けている。彼女はそう直感した。麗蘭程の勇気と度胸を持つ少女が慄く程に、金竜は巨大で巨悪だった。高度を低くするにつれて草木を根刮ぎ取る強風が起こり、邪気に侵された大気が悲鳴を上げ、竜鳴が大地を揺るがす……人が敵うような相手ではない。
――足が、動かない。
 麗蘭は戦慄する。走り出そうとしても、足が棒のようになって動けない。其れどころか、体が勝手に剣を構えさせ、降り立たんとする竜に向かっている。彼女は漸く気付いた……身体の自由が利かないことに。
 そうしている内に、竜は目と鼻の先まで迫って来ていた。もう手遅れだ。剣を手に、戦うしか道は無い。
 竜は、其の巨体全てが金で覆われている。鬱金の鱗、髭、角、そして眼球。四本の足で降り立つと、巨躯は麗蘭の背丈の五倍以上は有るように見える。
――貴様が、ナライか?
 空気には乗らずに頭の中へ、直接語りかけて来る声。竜は口を開けずに髭を靡かせ、只麗蘭の方をじっと見ているだけ。相手を射殺してしまいそうな黄金の眼には、蛇のように蜷局を巻いた気味の悪い模様が渦となって見える。
――巫女とかいうのは、貴様か? 我を滅ぼしに来たというのは……貴様なのか?
 ナライ、竜は確かに麗蘭を見て其の名を呼んだ。
――ナライ……だと? 私が?
 麗蘭は首を傾げようとしたが出来ずに、心の中で小さく呟く。どうやら声も発せられぬようだ……そう思った刹那、口が勝手に喋り出す。
「そうだ、私が奈雷だ」
――私は何を言っている? 奈雷とは、一体誰なのだ?
 更に奇妙なことに、麗蘭の……いや奈雷の声は、麗蘭が全く知らない女の声だった。理由は分からないが、今自分は奈雷になってしまっているということなのだろうか?
「我が主の神命により、貴様を討つ」
 両の手で柄を握り締め、剣先を真っ直ぐ竜へと向ける。奈雷の発した言葉には、畏れも不安も何もない。有るのは静かな闘志と覇気と、使命を果たさんとする直向きさだけだった。
 少しの間怪物と睨み合った後、奈雷は遂に大地を蹴る。決して怯まず凛然として、竜の方へと飛び込んでゆく。
……其処までで、奈雷……否、麗蘭の意識はぷっつりと途切れた。
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