金色の螺旋

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第五章 天海の鵬翼

二.西の城塞
 城郭都市、白林。其処は聖安と茗の国境に位置する軍事的な要衝であり、帝都紫瑤と並んで古くから栄えている、歴史有る街として知られている。
 煉瓦を積み重ねて築かれた高い城壁が四方を囲み、東西南北に城門が建てられ、物見櫓として一定の間隔毎に城楼が在る。城壁は一辺の長さが半里※以上、高さは凡そ七間※程で、外周には堀がぐるりと巡らされていた。
 西には琅華山という山が聳え、其の向こう側には茗の街が在る。茗に入国するには、妖の巣窟である危険な山を越えるか、南西からやや迂回して国境を越え、茗の関所である両虎関を抜けなければならない。
 早朝、碧雲楼を出発した麗蘭たちが白林の城塞東側に到着したのは、其の日の正午頃であった。変化していた優花は城壁と堀の外側、少し距離を取った場所に舞い降り麗蘭と蘢を下ろす。麗蘭から受け取った荷を嘴で持ち上昇すると、人の居ない適当な場所を探して低空を飛んで行く。
「……大分空気が乾燥しているな。風も強い」
 正面から吹き付ける風に髪を乱されるのを気にしつつ、横に立っている蘢を見る。
「以前軍務で数度来たことがあるけれど、今よりももっと埃が舞っていた」
 苦く笑って周囲を見回す蘢は、着物に纏わり付いてくる土埃を払いながら、記憶にある白林の東門を思い出す。
「何だか……随分民間の人が少ないね。前に来た時、あの門辺りは旅人や商人が盛んに行き来していたのに、やけに閑散としている。兵の数は増えたように見えるけれど」
 彼が言い終わらないうちに、麗蘭も少し離れた東門を直視して目を細める。街の方に只ならぬ気配を感じたのだ。
「妖気……僅かだが、妖の力を感じる」
 麗蘭の言葉に蘢も感覚を研ぎ澄ませ、頷く。城塞から目線を上げて、琅華山の方を見やる。
「言われてみれば……さほど大きくはないみたいだね。琅華山の妖の気が此処まで届いているのかな?」
 恐らく彼女でなければ気付けない程の、微量な気だった。余りにも小さいので、蘢には其の源が街に在るのか、其れとも同じ方向の琅華山に在るのかは特定出来ない。
「小さ過ぎて私にも自信が無いが多分、そうなのだろう……琅華山の妖が降りてきて街を襲うということは、良く有る話なのか?」
 其の問いに首を横に振ってから、蘢は城砦を指さした。
「先ず、あの高さの壁に阻まれて翼を持たぬ妖は入れない。城門付近や城楼には、数名ずつの妖討伐兵が常駐して目を光らせているしね。空から城内に進入しようとする妖は、城壁の上で昼夜見張りをしている兵が破魔の矢や弩で打ち落とす」
「……白林には極めて優れた妖討伐軍が居ると聞くな」
 琅華山が妖の根城であるのは大昔から変わらない。白林の人々は古くから、普通の地方軍ではなく神人ばかりで構成された特殊な軍を置いて防備を万全にしていた。
 其の証拠に神人の放つものであろう神気が、普通の街より大きく感じられる。此の街には妖と戦う力を有する神人が多く居るということだ。
「優秀な神人を集めながらも、敢えて琅華山に入ってまで妖を討ちに行くことはしない。長い経験で、妖たちも不用意に白林に侵入すれば只では済まないことを知っている。街に住む人々も妖もお互い不可侵を守ることで、不要な衝突を避けることを心得ているんだ」
 蘢の説明に、麗蘭は納得して頷く。
「成程……では街に侵入して来ることが有るとしても、理性を持たぬ低級の妖位か」
 妖にも能力や知的水準に差が有る。言葉を持たず思考もしない、只本能だけで生きている醜い種族、言葉と高い知能だけでなく美しい容貌を持ち、人を惑わし弄んで殺す種族など、一言で『妖』と言っても実に幅が広い。かつて麗蘭が対峙した妖王邪龍のように、神にも匹敵する力を持つ者まで存在するのだ。
「幾ら堅牢な城壁と討伐兵に守られているとはいえ、山に居る妖が私の神気に反応し、襲って来るのではないかと心配だ。極力、街に居る間は隠神術で気を隠すよう努める……それと」
 横目で蘢を見やり一瞬躊躇ってから、もう一度彼の目をしっかりと見る。
「もしまた、私が無茶をしようとしたら……勿論気を付けるが……叱り付けてでも止めて欲しい。分かっているとは思うが私は未だ未だ、未熟なのだ」
 麗蘭の言葉の裏に有る、罪の意識と心の叫び。其の真面目過ぎる性質ゆえに、更なる重荷として彼女に積まれた苦しみを、蘢はきちんと感じ取っている。
 彼女の気持ちを汲み取り、蘢が穏やかに微笑して大きく首肯すると、何処からともなく現れた優花が手を振りながら走って戻って来た。
「ごめんごめん、お待たせ!」
 明るい笑顔を見せる優花だが、普段より顔色が悪く、何処か疲れて見える。
「優花、大丈夫か? 無理をしたから……」
 麗蘭と蘢を乗せ、其れでなくてもかなりの体力を消耗する変化を長時間続けていたのだ。優花を案じ、麗蘭は気遣わしげな表情を彼女に向ける。
「大丈夫大丈夫。一寸よろけるけど……わっ!」
 足下の石に躓き、転びそうになる優花を蘢が腕で支える。
「身体に力が入ってないみたいだけど……本当に大丈夫?」
 心配そうに見詰めてくる蘢に、微かに頬を赤らめて俯く。
「あ……うん。まあ実は、少しだけ……休みたいかな」
「抱えて行こうか?」
 蘢は身を屈め、優花の背と脚辺りに手を伸ばす。
「え、あ、いいよいいよ! 蘢は大怪我してるんだし、自分で歩ける!」
 横抱きされそうになっていることに気付いた彼女は、慌てて恥ずかしそうに両手を振って断る。優花が何故照れているのかが分からない麗蘭は、不思議に思いながらも親友に近付き、肩を貸した。
「蘢、おまえも無理をするな。私が手伝うから平気だ」
 そう言うと、其のままゆっくり東門へと歩き出す。
――麗蘭ってば……私が何で焦ってたか分かってないな……?
 麗蘭の相変わらずの鈍さに、優花は小さく嘆息する。彼女が先程狼狽したのは、蘢の怪我を心配していることも有るが何よりも、恥ずかしくて顔が沸騰しそうになったからだ。蘢程の美男子に自然に横抱きされる程、彼女は異性慣れしていない。
 一方で蘢は、優花の気持ちに何となく気付いたのか、先を歩く二人に破顔する。そして改めて、あの時自分の命を助けてくれたもの全てに感謝した。蘭麗姫と祖国の為に、仲間と共に旅を続けられることがどれ程素晴らしいことなのか、沁み沁みと感じられたのだった。

※半里……約2km
※七間……約13m
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