金色の螺旋
第七章 光焔の剣
一.巫女の再来
月光が注ぐ杉の木立に挟まれた参道を、幼い少年が駆けて来る。敷き詰められた玉砂利に足を取られ何度も転びそうになりながら、其の都度よろけた身体を起こして懸命に走っている。
――巫女が……お戻りになった! 早く姉さまに伝えないと!
此処、聖地珪楽に閉じこもり外界に出たことの無い少年は、遊び盛りの年頃であるにも拘わらず走ることなど滅多に無い。
姉と暮らしている家を出て、此処まで来るのには其れ程距離が有った訳ではない。だが少年の息は上がり、心の臓は激しく動悸を打ち、大袈裟に言えば死んでしまうのではないかと思う位に苦しかった。
加えて、もう時刻も遅い。月が大きく星が良く出て明るいため未だ良いものの、やはり暗く、風は冷たい。神域であるが故に妖が出現することも無いが、少年のような幼い子供を恐がらせるには十分な闇の深さである。
普段の彼ならば、こんな無理をしてまで急ぐことは決して無い。しかし今は……今こそが、全速力で走らなければならない時なのだ。
立ち止まること無く走り続け、漸く目指すべき場所が見えてくる。
――早く伝えなくちゃ! 急がなくちゃ!
彼が立ち止まったのは、煌々とした松明の炎に照らされた白木造りの小さな祠。其の直ぐ前で、両手を地に付け跪いている少女が居た。酷く乱れた呼吸を落ち着ける間も惜しんだ少年は、一心に祈りを捧げている少女の背中に向けて声を張り上げる。
「魅那!」
名を呼ばれてゆっくりと立ち上がり、少女は少年の方を振り返る。祈りを妨げられたために不機嫌な顔をした彼女は、腰に手を当てて頬を膨らませた。
「なあに? 天真。邪魔しないでって言ったでしょう。大事なお祈りの最中なのに」
少女に注意され、少年はほんの一瞬だけしゅんとなる。
「ごめん。でも大変なんだ、絶対びっくりするよ」
彼は、大事そうに胸に抱えて来た銅鏡を少女に渡す。直径一尺程の丸鏡で背面には竜紋が鋳出されており、一見してかなり古そうな物だと見受けられる。
「真十鏡に、神巫女のお姿が現れたんだ」
心を弾ませ高揚している少年を訝しげに一瞥して、少女は磨き抜かれた鏡面を覗く。鏡にぼんやりと映った人影を見ると、彼女の表情は一変した。
「ごらん、此の光は間違いないよ」
ぼやけてはいるが、鏡の中で真白い光に包まれた一人の少女が歩いている。何処か懐かしさを感じさせる明るい光が、清かで優しく……目も眩む程の明るさで、少女を包み守るようにして取り巻いている。
「此れは本物ね……あ、琅華山の入り口に在るお社が見えるわ。山を下りて来られたのかしら」
鏡に見入っている少女の腕を掴んで揺さぶりながら、少年は感極まった声を出す。
「如何しよう……僕、嬉しすぎて如何して良いか分からないよ」
「紗柄さまの魂が居なくなられて……十六年。私たちも、亡き母さまも、此の時が来るのを今か今かと待ち侘びたものね」
少女から鏡を受け取ると、少年はうっとりとした眼差しで再び鏡を見た。
「何て美しいんだろう。僕ら一族の守り続けてきた方は、こんなに綺麗な人だったんだね」
期待に満ちた、浮き浮き下で調子で言う少年に同意し、少女も大きく頷いた。待ち焦がれた神巫女は、どんな人なのだろうか? 何という名なのだろうか? 次々と浮かんでくる疑問が、姉弟たちの胸の高鳴りを一層強くする。
「此方に向かわれている……『光焔の剣』を求めていらっしゃるに違いないわ」
分かり切っていることだ。光龍ならば、何時か必ず此の珪楽にやって来る。此処は彼女にとって魂の故郷であり、真の光龍と成るために訪れなければならぬ試練の地でもあるのだから。
「お迎えしましょう、新たな御姿で再来された神巫女を」
嬉々とした心情を抑えるようにして、少女は厳かな口調で言う。彼女も、そして其の弟である少年も、自分たちに授けられた宿が確かに回り始めたことを……感じ取っていた。
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