金色の螺旋

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第七章 光焔の剣

五.光の郷で
 光の神巫女――紗柄。『初代』の光龍である奈雷から数えて三人目、麗蘭の一代前の巫女に当たる。
 生まれは北の大国、祥岐国。幼き頃より光龍として尊ばれ、武人として王子の側近く仕え重用された。
 清楚な美貌に似合わず気性が激しく、其の戦い振りは嵐の如き猛々しさと華麗さを兼ね備えた見事なもの。剣を薙げば神風が立ち、瞬く間に狩られた敵の血煙が吹き上がる。神巫女として強靱な力を存分に振るい、彼の妖王邪龍も恐れを為したと伝えられている。
 未だ黒神が封じられていた当時、時の闇龍は主の復活を目論み暗躍していた。主君を甦らせようとする闇の巫女の執念は凄まじく、天帝や光龍への憎しみの炎が彼女に莫大なる力を与え、巨大な非天へと為らしめていた。
 紗柄と闇龍の戦いは苛酷を極めた。余りの強さゆえ『戦巫女』の異名で呼ばれた紗柄も、闇龍との死闘の最中、壮烈な最期を遂げた。
 天の王に愛された美しき其の御魂は、以後五百年もの間、聖地珪楽に神剣天陽と共に眠っていた。次なる光龍『麗蘭』の誕生を待って――


 鎮守の森を走る小道を抜けると、白石で造られた巨大な門が見えて来た。天を摩する程の巨木が何本か側に並び立ち、網の目の如く伸びる枝葉の隙間から光が漏れて門へ注ぐ。木漏れ日に照らされた汚れ一つ無い純白の柱は、まるで其れ自体が輝きを放っているようだ。
「立派な門だな。此れが珪楽の神門(じんもん)か?」
「はい、麗蘭さま」
 そう答えて天真が指さした門の向こうには、真白な玉砂利が敷かれた広い参道が続いている。
「此処から向こうが『神坐(かみざ)』です。直に神宮も見えますよ」
 三人で門を潜ると、麗蘭は立ち止まって背後を見る。門の周りを見回し数度瞬きをしてから、澄み上がる空を振り仰いだ。
「不思議だ……門の此方側は、また世界が違う」
 珪楽に入った時、次元の違う空間に迷い込んだかのような感覚が有った。そして神坐に入った途端、更に異質な天地が開けた気がしたのだ。
「神気が更に強くなったしね。麗蘭、君のものと良く似ている」
 蘢の指摘に、麗蘭は腕を組んで小首を傾けた。
「そうか? 自分では自分の気が分かりにくいから、余り感じぬが……」
 道の両側に連なり立つ杉の木々を見ながら、再び歩き出す。暫く進んでゆくと、天真が言った通り『神宮』と思しき建物が視界に入ってきた。
 数十段もの石段の上方に建つ、堂々たる威容を備えた高床の社殿。反りのない傾斜面の屋根は茅葺きで、真直ぐに突き出た千木が交差しているのが見える。
「魅那!」
 天真は叫んだかと思うと、急に駆け出した。石段の下で彼の姉が待っていたのだ。
 肩下で切り揃えられた髪は天真と同じ柔らかな萌黄色。瞳の色も彼と同じく桔梗色だが、天真よりは眼差しがきつく、意思が強い印象を受ける。二人並ぶと体格も顔立ちも非常に良く似ていて、一目で血縁の者同士だと分かる容姿であった。
「ようこそお出でくださいました。私は魅那……天真の姉で、此の地の巫女にございます」
 外見同様、声の高さも質も天真のものに近いが、口振りや表情、仕草など、全体的に彼よりも数段大人びて見える。恭しくお辞儀され、麗蘭と蘢も慌てて会釈を送り返した。
「私は清麗蘭だ」
「蒼稀蘢といいます」
 二人を見上げて幾度か頷くと、魅那は麗蘭の方に自分の身体を向ける。知的に光る真剣な瞳で、麗蘭の目を覗き込んだまま視線を逸らさない。
「巫女さま……今生では、麗蘭さまと仰るのですね。麗蘭……さま」
 麗蘭の名を噛み締めるようにして繰り返すと、静かに目を伏せて下を向いた。やがて直ぐに顔を上げ、仄かな笑みを浮かべる。
「……お二人共、先ずは下宮(しものみや)へどうぞ。妖の山を抜けて来られたのでしょう? ごゆるりとお休みください」
 少女の手が示す先は、石段の上……古朴で美しい檜の社。
 隣に立つ姉の腕を握った天真は、感動で潤んだ目をきらきらさせて、満面の笑みを溢れさせた。
「お帰りなさい……巫女さま。ずっとずっと、お待ちしていました。またお会い出来て、すごく、嬉しい」
 大役をきちんと果たしたことで、僅かでも自信が付いたのだろうか。あるいは姉の元に帰り、ほっとしているのだろうか。天真は麗蘭を直視して、自分の喜びを隠すこと無く、恥ずかしがること無く飾らない言葉で伝えた。
「麗蘭さま。貴女の御魂は、ずっと此の珪楽で眠り続けておられたのです。十六年前に貴女が貴女としてお生まれになるまで……此処は、貴女の故郷なのです」
 魅那の言葉は、不思議な程麗蘭の胸奥へと落ちて来た。同時に、珪楽に入った時から感じていた懐かしさの正体も解せた気がした。 
「ありがとう……今、帰った」
 初めて訪ねて来た場所なのに、自然と「帰った」という表現が出たことに驚きながら、麗蘭は己の根源たる前世へと繋がる階段を上っていくのだった。
 

 木床の回廊を渡ると、麗蘭たちは畳の室に通された。十畳程の小さな部屋で、所々畳がそそけておりかなり古びてはいるが、清潔に整えられ良く手入れされている。家具や調度品の類は一切無く、何の用途で用いられている部屋なのかは良く分からない。
「此の下宮は、巫覡が生活し修行を行う場です。何もなく、お持て成しも出来ないのですが……」
「いや、余り気を使わないで欲しい。こうして迎えてもらえるだけでありがたい」
 まるで大人のような言動をする魅那に驚き、恐縮する麗蘭たちは、勧められるままに並んで端座した。彼女たちに向かい合う形で、魅那も姿勢を正して腰を下ろす。
 其処へ、天真が遅れて入って来た。客人二人分の茶碗を載せた盆を持ち、身体の均衡を保てていないのかふらついた足取りで、見るからに危なげである。
「どうぞ」
 膝を折ると、麗蘭たちの前へ湯気を立てた茶碗を差し出す。
「忝い」
「ありがとう。とても喉が渇いていたんだ」
 受け取って直ぐに飲んだ二人は、天真が淹れた茶が想像以上に美味しいことに驚いた。水温も濃さも調度良く、柔らかで円やかな深い味わいが有る。
「麗蘭さま。早速ですが、此の地に居らしたのは天陽を求めてのこと……ですね?」
「ああ、そうだ。開光のため……そして来るべき巨悪との戦いに備えるため、神剣が必要なのだ」
 天陽は光龍としての覚醒にも不可欠だが、何れ黒神と闘う時にも鍵となる。人が鍛えた剣では神を斬り、刺し貫くことが出来ない。神が創りし剣でなければ、宿敵に掠り傷一つ付けられないのである。
「天陽は、紗柄さまが亡くなられてから五百年間ずっと、上宮(かみのみや)に封じられています。後程ご案内いたします。あの剣を神巫女に継承していただくことは、私たち珪楽の巫覡の勤めです。ただ……」
 魅那は麗蘭から一度目を逸らし、間を置いてから続ける。
「どうか、ご承知おきください。天陽を抜いた瞬間、貴女は今の貴女ではなくなります」
「私が……私でなくなる?」
 言葉の意味が解せず、思わず聞き返してしまう。
「光龍の剣には、過去の巫女たちの『記憶』が残っています。其れが貴女の魂に眠る思念に反応し、呼び起こされる……其れに依って生じる影響が、貴女に如何ような変化を齎すのかは分からないのです」
――過去の巫女の記憶が、呼び起こされる……?
 麗蘭はふと、思い出す。青竜と対峙し邪眼に射抜かれた時、千五百年前の光龍『奈雷』のものらしき記憶の世界に誘われたことを。
――あの時……確かに、私の意識が『奈雷』に飲み込まれたかのような感覚が有った……だが。
 此れまで通りの自分ではなくなるということが、麗蘭には想像すら出来ない。しかし如何な理由が有ろうと、今の彼女にとって『天陽を得ない』という選択肢は存在しない。
――私は力を手に入れたい。自分の使命のため……いや、何よりも私自身や、私の大切な人たちを守り抜くために。
「……魅那。真の光龍と為るために、私は天陽を受け継ぐ。たとえ私に何が起ころうとも」
 其の曇り無き瞳は、決意は強い。麗蘭の双眸の奥に輝く心を認めると、魅那は無言のまま静かに頷く。そして、彼女の応えを見守っていた蘢もまた、顔を綻ばせて柔和に笑んだ。
「分かりました。では、上宮にご案内いたします。今直ぐ向かわれますか?」
「ああ、お願いしたい」
 力強く言うと、麗蘭は隣の蘢へと目をやる。
「蘢、行ってくる。おまえは此処で休んでいてはくれぬか?」
「……そうさせてもらうよ。魅那、天真、良いかな?」
 蘢の問いに、姉弟がこくんと頷いた。
「蘢さん、怪我してるでしょう? 僕、少しなら治癒術が使えるよ」
 思い掛けない天真の発言に、蘢も麗蘭も甚く驚かされた。
「天真……おまえ、何故怪我のことを知っている?」
 不思議でならないという様子で尋ねる麗蘭。蘢本人は、並の人間では先ず見破れぬ程、自分の怪我を巧みに隠している。此処に来るまでの間、蘢が負傷していること等一言も告げていないというのに、何故天真に分かったのだろうか。
「え? えっと……気の乱れかな。ほんの少しだから分かりにくいけど」
 其れを聞いた蘢は、困った顔をしつつも感心して、天真の頭にぽんと手を置いた。
「天真は凄いな。立派な覡なんだね」
「あ……えっと、うん……」
 褒められると、天真ははにかんで瞼を伏せる。
「では、私が麗蘭さまをご案内します。天真は蘢さまとご一緒に……こう見えて、此の子は我が一族の中でも治癒の術に長けていますので、どうかご心配無く」
 口元を緩めて言う魅那に、麗蘭は先程からずっと気になっていたことを問い掛けてみる。
「先刻天真から、珪楽の巫覡はおまえたちしか居ないと聞いたのだが、他の巫女や覡たちは、一体……」
 尋ねた途端、天真の顔色が変わったことに気付く。酷く沈んだ表情で項垂れてから、暗い眼差しで姉の方を見やる。魅那は立ち上がり、弟の側近くへ寄って震える彼の身体を抱き竦めた。
「天真、巫女さまの前よ。しっかりしなさい」
 姉らしく、厳しげな口振りだが、魅那の表情には天真への優しさが満ちている。
「済まぬ、私はまた……天真を怯えさせることを言ってしまったのか」
 狼狽する麗蘭に、魅那は首を横に振って否定の意を示した。
「いいえ、麗蘭さま。どうかお気になさらずに。此の子は身も心も幼いゆえ、受け入れなければならない現実から逃げているだけなのです」
 哀しげに言うと、魅那は腕の中に居る天真の背をさすりながら、ゆっくりと語り始めた。
「私たち姉弟は、母と二人の巫女たちと此の下宮で暮らしていました。皆、同じ『光焔の守人』と呼ばれる神人の一族です。『光焔』とは、珪楽における天陽の別名です」
――『(ほとばし)る光の焔を纏いし御剣、天に(ましま)す神君より賜り……』
 麗蘭は思い出す。以前、風友の孤校で読んだ書物にそう記してあったことを。
「此の珪楽は数百年の間、茗帝国の領地に在っても其の支配下に入らず、独立を保ってきました。歴代の国主たちも此の地に眠る紗柄さまの魂の敬意を払い、手出しすることがなかったのです……ところが」
 其処まで言ったところで、魅那は一つ溜め息をついた。
「今上の女帝、珠帝陛下は違いました。あの御方は天帝を敬わず、神意を懼れません。光焔の剣を求めて軍勢を送り込み、我らの聖域を踏み躙ったのです……未だ、ほんの一年前のことになります」
 時々消え入るように弱まる声を何とか振り絞り、話し続ける。
「此の神坐に軍を立ち入らせまいと、信心深い村人たちは空しい抵抗を試みました……愚かな兵たちは、武器も持たない人々を次々手に掛け村を焼き、奥へ奥へと進んで来たのです」
『此の村も……一年前まではもっと大きくて人も多くて、賑やかだったんだ』
 集落を通った際の、天真が途中で引っ込めた言葉が甦る。何かが有ったことは窺い知れたが、魅那の口から明かされたのは、麗蘭が想像した以上の事実であった。
「神門を通られ、覚悟を決めた母と二人の巫女は下宮の前に並び立ち、結界を張りました。己の命を捧げることにより、『神剣を得ようとする悪しき心の持ち主を阻む』強力な神術を用いたのです」
 其れはつまり、魅那たちの母と巫女たちが自決し、術の完成のために血を流したことを意味していた。
「術が成功すると、珠帝の兵たちは神門の外へと弾き出され、神坐に立ち入れなく為りました。命令を果たせなくなった彼らは、仕方なしに引き返して行ったのでしょう」
――神門で感じたあの、空気の変化は……結界の存在も影響していたのか。何と……痛ましい。
 魅那の話を聞き、麗蘭の胸中に重苦しい遣り切れなさが広がってゆく。
「私と天真は上宮に行き御剣を守るよう言われており、まさか母たちがそんな術を行おうとしていた等とは、思いもしませんでした。騒ぎが静まって暫く経っても誰も上宮に来ないので、勇気を出して天真と戻ってみたら……其処には……」
 すると突然、其れまで黙って聞いていた蘢が立ち上がり、魅那の唇に指を近付け言葉を止めさせた。穏やかに労わるような目付きで魅那を見据え、もう良いとでも言いたげに頭を振っている。
「蘢さま、ありがとうございます。大丈夫です……少し、取り乱してしまい……」
「無理をしなくていい。君たちに何が起きたかは、十分解せた」
 そう言って、蘢は再び畳の上に座した。子供離れした内面で気丈に振る舞い、過去を受け入れたと言いつつも、魅那も未だ幼い子供に過ぎない。似た経験をした蘢には、彼女の悲痛が自分のことのように良く分かる。
「魅那、話してくれて……ありがとう」
 俯いた魅那の瞳を覗き、麗蘭が口を開く。
「詳しくは言えないのだが……私たちは今、珠帝の野望を挫くために旅をしている。母君たちが守り抜いた剣を譲り受け、私は必ず開光を為し……奴に一矢報いてみせる」
 麗蘭は、心の中で炎を燃やしていた。祖国聖安に攻め入り、幼い姉弟の幸せな生活を破壊し、妹蘭麗の自由を奪い去った珠帝を……赦さない。そんな激情が生み出した、決意の焔だった。
「麗蘭さま……ありがとうございます。屹度其のお言葉を聞けて、母たちも喜んでいると思います。貴女さまの御心に、ほんの少し存在を留めていただけるだけでも、此の上なく光栄なことですのに」
 幼くして一族の想いを背負った小さな巫女は、大きな瞳を潤ませ涙を溜めていた。弟を立たせてやると自分も立ち上がり、目元を袖で拭って麗蘭へと身体を向ける。
「では、ご案内しましょう。光焔の剣が在る処へ」
「……ああ、頼む」
 傍らの蘢を見て目を合わせ、彼が頷いたのを確認すると、麗蘭も腰を上げた。
 蘢と天真を室に残し、魅那と共に下宮を出ると、既に陽が落ち掛けていた。燃え立つ夕日は、此の地に溶けた巫女たちの血に依って染め抜かれたように……赤赤としていた。 
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