金色の螺旋

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第七章 光焔の剣

六.神剣の継承者
 下宮の裏手に出た後、麗蘭は魅那と共に杉林の参道を歩いていた。奥へ奥へと進むごとに、空気が更に澄みゆき聖なる力も強まっていく。同時に麗蘭は、そよ吹く懐かしい風が通るのを一層はっきりと感じ取っていた。
 暫く何の言葉も発さずにいた二人であったが、麗蘭の方が口を開き、少し前を歩く魅那に問い掛けた。
「魅那。五百年前の……紗柄という巫女は、如何ような巫女だったか知っているか?」
「……口伝や記録に依って、一族の中で伝えられてきた僅かなことだけは。十六年前までは、一族の者が紗柄さまの御魂を直接感じることが出来たのですが、私が生まれたのは、既に麗蘭さまとして転生された後でしたので」
 肩越しに麗蘭を一瞥して、微笑む魅那。歩みを止めること無く、静かに話し始めた。
「冷静で沈着、聡明な方ですが、敵に対しては容赦が無く、剣を抜けば鬼神の如き戦い振りを見せる、激しい部分もあったそうです。昔のことですので、定かではありませんが」
 一度言葉を止めてから、深々と息を吐く。
「只……お心の美しさは、素晴らしい。剣に移った神力や、ほんの少しの思念からならば、私にも感じ取れますから」
「……そうか。やはり、偉大だったのであろうな」
 奈雷、そして紗柄。過去の光龍……自分の前世の姿である巫女たちが如何に優れていたかを知る度に、自分と比べてしまう、麗蘭。彼女たちが為した偉業を思う度に、未だ何も為し得ていないと思い詰めてしまう。
「偉大……と言えば、そうなのでしょう。けれど、私たちと同じ人なのです。人の身で神の使命を下されたという誰とも分かち合えない重責を背負って、悩み、苦しまれていたのではないでしょうか」
 魅那の言葉には、麗蘭への心遣いが表れていた。幼い少女に諭されたようで少し情けなくなった麗蘭だが、幾らか気持ちが救われた気がした。
『だって、いくら麗蘭が『光龍』で『神巫女』で、物凄く大変な『宿』を持ってるからって、あんたは神さまじゃない。人間なんだよ? 自分のやってることに疑問が浮かぶことなんて、あって当たり前』
――優花、確かおまえもそう言って……私を励ましてくれたな。
 浮かんでくるのは、大切な親友の心強い言葉と優しい笑顔。彼女のくれた多くのものは、遠く離れた今でも、こうして麗蘭を勇気付けてくれる。
「天陽を抜けば、光龍たちのお心を知り、見えてくるものがあるかもしれませんね」
 再度前方を向くと、魅那は真っ直ぐに指を差す。
「あちらが、上宮です」
 示された先を見やると、麗蘭はやや小首を傾けた。杉木立を抜けたところに建っている『上宮』は、小さくて質素な白木の祠。下宮があれだけ立派な建物であったからには、上宮は更に壮麗な社なのだろうと想像していたが、意表を突かれたのだ。
「此の祠の中には、紗柄さまの御魂が依代とされていた真十鏡が有りました。今は取り出され、天真が持っています」
「とすると……私は此処に……」
 五百年間、自分が眠り続けていた場所。そう言われてみても、今の麗蘭にはまるで見覚えが無い。
「……天陽は此の直ぐ裏にあります。こちらへどうぞ」
 祠を見入る麗蘭に声を掛けて促すと、魅那は脇に有る小道へと向かう。彼女の後に続いてゆき、やがて目の前に広がったのは、其れまでと全く異なる風景であった。
 濃鼠色の土が広がる大地に、粒の大きな白砂利が細長い道を作るようにして真っ直ぐに敷き詰められている。其の道の先に純白の石で拵えられた四角い台座が在り、見事な御剣が刃を下にして突き立てられていた。
「……五百年もの間あの姿のまま台座に刺さっておりますが、此の地の聖気や陽の光を溜め込んで自ら結界を作り、風雨にも耐え、麗姿を保ち続けていると伝えられています」
 薄暮の時分、辺りは暗く為り掛けているが、其の剣には天から光が降り注ぎ、剣の周囲だけが明るい輝きに包まれている。魅那が説明した通り、注いだ光は神気と為って剣を取り囲み、聖なる結界として守っていた。
「あれが、天陽……私の剣」
 紗柄の剣でも光龍の剣でもなく、自分の剣。そう思った時麗蘭は、自分が神巫女であることを改めて実感する。神剣に見入っている彼女に、魅那は温かい眼差しを向けた。
「……貴女の抜くべき御剣です。どうぞ、お取りください」
 促されると、麗蘭は深く頷いてから歩き出した。白い石道の上に足を載せ、一歩、また一歩と天陽へ近付き行く。
『どうか、ご承知おきください。天陽を抜いた瞬間、貴女は今の貴女ではなくなります』
――何が起ころうと、構わない。
 守るべき者、共に助け合い歩むべき者の顔が鮮明に浮かび上がる。立ちはだかる者、倒すべき者たちもまた、映り、決意と覚悟を強く思い出させてくれる。そして更に、命を賭してでも助け出さねばならぬ妹姫の、震える小さな背中が甦ってきた。
――蘭麗姫の哀しみに比べれば、私の苦しみなど。
 そう自分に言い聞かせると、毅然として前を見据えて再び歩み出す。
 剣に近く為るにつれて、美しい剣と台座の姿形がはっきりと見えてきた。女人が振るうのに適した細身の柄は金色に輝き、紅玉が嵌め込まれて龍の模様が細密に彫り刻まれている。
――此の剣は、あの時……!
 眼前に在るのは、奈雷の記憶を垣間見、金竜と対峙した時握っていた剣其のもの。優美な形や装飾、放ち纏う光の眩さはさることながら、漂い流れる懐かしさもあの時の御剣と同じであった。
 やがて直ぐ前まで来ると、見下ろす形で立ち止まる。ゆっくりと差し出した右手を柄に添え、続いて左手も加えて掴み、握り締めた。
 力を込め一気に腕を持ち上げて、引き抜く。思った以上にすんなりと抜けたことや、不思議な程に手に馴染むことに驚く間も無く、はっきりと分かる異変が生じ始める。
 剣先を空へ向けると、白銀の刀身が湛えていた光が、激しい奔流と為って上方へ解き放たれてゆく。迸る炎の如き閃光が吹き上がる様は、将に『光焔の剣』の名に相応しい。
 両の足をしっかりと地に付け、光の噴射が麗蘭に与える振動に耐える。上空へ放出された神力の光は、御剣と麗蘭の方へと吸い寄せられ、勢いを衰えさせぬまま逆流した。
「くっ……!」
 神気の激流を頭上から浴びせ掛けられた麗蘭は、余りの衝撃に我知らず声を漏らす。此れまで一度として受け容れたことの無い大きな力を注がれ、頭から足の先まで全身が震えるのを感じながら、剣を決して放さぬよう両手で強く握る。
――耐えきれない……身体が潰されてしまいそうだ……!
 己が身に神力が満ちてくればくる程、心身に負荷が掛かっているのか、徐々に意識が遠のいてゆく。
――気の所為だろうか? 何かが……何かが頭に流れ込んでくる感じがするのは……!?
 其れは、以前奈雷の記憶に触れた時のものと似ていた。自分のものではない、誰かの意識が押し入ってくる感覚。視界が広がりゆく闇で塞がれ、身体を支える力が抜けてゆき、自由が利かなくなるあの、感覚。
 意思を強く保とうとしても、抗えぬ。自分の手が届かない何か大いなるものが、身も心も支配してしまったかのような、恐ろしく不安な心地がする。
――此れが、天陽に宿る光龍たちの『記憶』なのか……!? 此の巨大で、恐るべき意思の力が……!
 意識が遠退いていくのを止められず、麗蘭は膝を折ってその場に倒れ伏す。傍には、光を纏わせ輝き続ける天陽もまた、横たわっていた。
 一部始終を見守っていた魅那が、麗蘭の許へと駆け寄って来る。其の場に屈み込み、自分の膝に麗蘭の頭を載せると、気を失っている彼女を温かい瞳で見下ろした。
「此れは、貴女の試練。どうか恐れないでください。たとえ、何をご覧になろうとも……!」
 

 下宮に残った蘢は天真と膝を突き合わせ、其の治癒術を受けようとしていた。上着を脱ぎ幾重にも巻いた晒しに手を掛け、外していく。恐るべき怪物、青竜将軍に斬られた傷が、右肩から左の腹辺りにかけて走っているのが露わに為る。
 其の深い傷口を一目見るなり、天真は驚いて目を見開いた。
「蘢さん……こんな傷を受けて、よく平気な顔をしていられるね」
 声を震わせながら蘢の顔を見ると、ごくりと唾を飲み込む。
「麗蘭に神力で塞いでもらっていなかったら、危なかったよ」
 天真は腕を組んで傷を見詰め、暫し何かを考えてから再び蘢の顔を見る。
「……僕には分かるよ。此の傷、余り目立たないけれど邪気が溜まっている。誰か、普通じゃない人にやられたんでしょう」
 思いも寄らない言葉を聞き、蘢は驚いた。手当してくれた玉英は元より、麗蘭さえも、そんなことは一言も口にしていなかったというのに。
「多分……纏わり付いている穢れが傷の治りを遅くしているんだよ。麗蘭さまの神力の御蔭でましに為ってはいるけど、琅華山に入ったことで余計に酷くなったんじゃあないかな」
 言われてみればそうかもしれないと、蘢は思った。魔の山で無茶をして戦った所為で、身体の調子が幾分か悪く為った気はしていたが、あの山に満ちていた妖気自体が傷に悪影響を及ぼしていたのだ。
「本当に、良く気付いたね。気を読むのが得意なんだな」
 またも蘢に褒められ、気恥ずかしそうに後ろ頭を掻きながら、天真は首を横に振った。
「僕、気を読むのと治癒位しか取り柄がないんだ。姉さまの方が力も強くて何でも知ってて、ずっと凄いんだ」
「……天真も凄い。此れから先、君の力で救われる人がたくさんいるよ」
 蘢から目を逸らし、俯いてしまう天真。人から褒められ慣れていない彼は、こういう時に如何いう反応をしたら良いのかが分からないのだ。
「えっと、じゃあ……邪気を祓って、治癒術を使うね。もし上手くいけば、相当良くなるかも……」
 言いながら、術を施すために蘢に向けて手を翳そうとした時、天真は突然……ぴたりと動きを止めた。
「如何した?」
「誰かが……神坐の中に入ったみたい」
 不安げに周囲を見回してから、俄に立ち上がる天真。室の端に有る櫃の所へ急いで行き、中から長さが一尺程の丸い鏡を取り出した。
「……其の鏡は?」
「此れは、僕らの宝物なんだ。紗柄さまの依代だったんだけど、紗柄さまが居なくなられてからも強い力を持っていて、何時も僕らを助けてくれる」
 そう言ってから鏡を見ると、天真の様子が一変する。目を細めて鏡面を凝視していた。
「知らない……男の人。人間だけど、とても強い……!」
 怯え、慄き、真十鏡を持つ手ががたがたと震えている。
「こっちに向かっている。何だろう……嫌な感じがする」
 天真の顔が見る間に蒼褪めてゆくのに尋常ならざるものを感じ、蘢は彼の手から真十鏡を取って覗き込む。左手首を隠した、赤墨色の髪の男を見た途端、余りの驚愕に大事な鏡を落としてしまいそうに為る。
「……奴だ」
 映っていたのは他でもない、茗の将軍……四神の一、玄武。随加での戦いの後、行方を眩ましていた強敵の姿だった。  
「蘢さん、知ってるの?」
 不安そうな顔をした天真に頷くと、蘢は立ち上がって上着を羽織り、横に置いていた剣を手に取る。彼の表情には何時もの穏和な笑みは無く、動揺と不安の翳りが浮かんでいた。
「……天真、神坐には『天陽を狙う悪しき心の持ち主』は入れないんだったね?」
「え、うん……そうだけど」
――神門に張られているという結界に阻まれなかったのなら、目的は麗蘭……或いは僕への復讐か。
 どちらかは分からぬが、麗蘭が上宮に赴き魁斗も居ない今、戦えるのは自分しか居ない。
――勝てるのか、此の身体で。
 随加近海での海賊討伐。あの船上での対決は蘢が勝利したが、実力的に言えば玄武の方が上だったと言っても過言ではない。今一度対峙して、勝てるかどうかは分からない。
――だが、奴も片手を失っている。其れに……
「奴は敵だ。戦うしか、ない」
 他の誰でもなく、自分自身に対して言い放つ。天真の頭を撫でると、出口の方へと歩き始める。
「蘢さん、行かないで! 此の人、凄く強いよ。今の蘢さんじゃあ……」
 迷わず出て行こうとする蘢の袖を掴んだ天真は、彼の身を案じて何とか止めようとする。覡として、戦いの行方に言い知れぬ程の大きな恐れを感じたのだ。
「……心配してくれてありがとう。だけど、行かなきゃならないんだ。此処で出て行かなければ、麗蘭の邪魔をすることに為る」
――そして、今度こそ斃さねば軍人としての誇りも守れない。僕は一度、奴を取り逃がしてしまっているのだから。
「君は此処に居て、絶対に出て来るな。必ず戻る」
 静止する天真の手を外し強く念を押すと、其のまま外へ出て行く。為す術の無い天真は頭を抱えて右往左往していたが、暫くして意を決し、蘢に気付かれぬよう後に付いて行った。
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