金色の螺旋

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第七章 光焔の剣

七.人鬼
 血霧の中、剣を手に鮮やかに舞う少女が居た。
 彼女が一振りするごとに相対した者の血が飛沫き、屈強な身体が崩れ落ちる。華奢な身体で舞い踊り、通り過ぎた後には、首筋を斬られ、心の臓を貫かれた死体が積み重ねられていく。
 其処は殆ど人気のない、不思議な村だった。少女と、剣や斧を手に少女を取り囲み、彼女に斬られてゆく大人たちしか居ない。女子供は村を離れ、男だけが残ったのだ……たった一人の少女を殺す為だけに。
「殺せ! 『紗柄』を殺せ!」
 数十人の武装した男たちが殺気立ち、一斉に一人の少女を襲う異様な光景。『紗柄』と呼ばれた少女は少しも恐れを見せず、手にしていた美麗なる剣……光焔の剣を持ち上げ、剣尖を敵に向けた。
 十を過ぎた程の幼い少女の姿をしてはいるが、其の強さは凄まじい。身の丈が自分の数倍有る男たちを相手に、小さな身には大き過ぎる天陽を自在に使いこなし、次々と斬り掛かって仕留めてゆく。
――軽い……身体が軽く動く。もっと、もっと……!
 天陽から伝わり来る、肉と骨を断ち切る未知の感覚は、紗柄の闘志を滾らせる。芳しき血の雨を浴びるごとに、身の内に眠る強大な力が呼び起こされ、より速く強く、剣を振るえるように為る気がする。
 立ちはだかる敵を全て斬り殺して、紗柄は天陽をゆっくりと下ろした。昂ぶっていた気が徐々に鎮まり、冷静さを取り戻してゆくと、紗柄はふと……気付く。自分は紗柄であって、紗柄ではないことを。
――私は、麗蘭だ……!
 己を取り戻した途端、激しい動揺の波が起こり始める。『麗蘭』としての自我がはっきりするにつれ、胸の鼓動が高まってゆく。
 麗蘭は剣を持ったまま走り出した。裏手の森に小さな泉が在り、澄んだ水を湛えていることを、何故か知っていたのだ。
 紗柄が斬った屍を避けつつ森へ入り、薄闇の木立を迷うこと無く駆け抜ける。記憶が導くままに走ると、やがて思い浮かんだ通りの泉に辿り着いた。
――初めて来た場所なのに、知っている……此処は、紗柄の記憶の世界か。
 あの時、光焔の剣を抜いたあの……刹那。麗蘭の魂深くに封じられていた紗柄の記憶が剣に残った思念に共鳴し、放たれた。其れに呑まれた麗蘭の意識は紗柄の意思と混ざり合い、同化したような状態になっているのだろう。
 水際で膝を付き剣を置いて、急いで両手を水に入れる。其処から水面に波紋が広がり、手を染めていた血が水中で溶けていった。
――如何して、何のために紗柄は……!?
 未だ残る、命を消し去る感触。戦いの宿命に身を委ねながら、未だ人を殺めたことの無い麗蘭にとっては、余りに衝撃的な体験であった。
 加えて身体に満ち溢れた、巨大過ぎる力を感じる。『麗蘭』である時よりも遥かに大きな力を有していた紗柄が、如何に強い神巫女であったかが分かる。
――私は……いや、紗柄は……此の力で、あんなに多くの人を殺していたというのか。
 光龍の力は人ならざる非天を滅ぼすもの。たとえ敵対する者であっても人の命を奪うことはすまいと、麗蘭は以前より固く誓っていた。随加で海賊と戦った時も殺しはせず、其の誓約を守り抜いていた。
――なのに、先刻の紗柄は……
 武器を持った男たちが紗柄を追い掛け傷付けようとしていた理由を、麗蘭は知らない。だが確かなことは、命を刈り取る其の一瞬一瞬において、彼女には躊躇いが無かった。其れどころか自分の力に酔い痴れ、半ば楽しんでいるのではないかと思える程であった。
――光龍とは、人間を救う存在ではなかったのか。紗柄とは、前世の私は高潔な人物ではなく……かくも残忍な少女だったのか。
 頭の中を乱れた思考が駆け巡り、汚れた手を夢中で洗い清める。
――私の手は……魂は、かくも汚れていたというのか。
 幾ら洗っても取れない血潮の温かさと匂いが、麗蘭を一層混乱させ迷わせる。紗柄に斬られ、悲鳴を上げながら恐怖と憎悪の表情のまま死んでいった人々の顔が、麗蘭に罪悪感を植え付けていく。
「人に憎まれ、人を屠る光龍……其の幼さで『開光』してしまったがゆえの悲劇か。哀れだな」
 背後から不意に聞こえた、覚えの有る低い声。反射的に剣を手に取り振り返ると、麗蘭が知っているのと全く同じ姿の妖王が立っており、此方を冷たく見下ろしていた。
――『開光』している……だと?
「其れで……おまえは誰を『犠牲』にした? 力を得るために、誰かを殺したのだろう?」
 楽しそうに笑う妖王の口から出た、信じ難く恐ろしい言葉。麗蘭が驚く間もなく無意識のうちに、紗柄自身が其の問いに答えていた。
「私を生み、育んだ父母や……兄弟たち。そして、生まれ故郷の村人たちだ。皆、私が殺めた」
 震えた弱々しい声ではなく凛とした声で、平然と言い放つ紗柄。麗蘭は気付いていた……其の時の紗柄が、口元に笑みさえ浮かべていたことに。
――肉親や里の者を『犠牲』にし、開光した……?
 麗蘭は、妖霧の森で妖王が言っていたことを思い出した。開光には犠牲が伴うという、目を背けたく為る恐るべき事実を。
「故郷を後にし、私を知らぬ村を転々としてきた。だがこうして『呪われた光龍』が居ると分かれば、村人たちはこぞって私を殺そうとする」
 紗柄は眉一つ動かさず、淡々と話す。
「だから、私も殺すのだ。此の光龍の力で、私を脅かす者を」
 其れはとても少女のものとは思えぬような、酷く凍えた声だった。麗蘭は此れと良く似た調子の声を知っている。人でありながら人に仇を為す……闇龍瑠璃の冷気に近いものを、紗柄も持っていたのだ。
「人を救うはずの光龍が、人の心を持たぬとはな……面白い」
 妖王は満足げに言って此方へと歩いて来る。麗蘭が我知らず天陽を取って身構えると、更に愉快そうな顔で声を立てて笑い出した。
「如何してそんなに嬉しそうに笑う? 余程、俺と戦いたいようだな」
――笑っている? 私が……? いや、紗柄が……!?
 麗蘭は動転し、自分を見失い掛けていた。人々を斬り捨て、妖王に好戦的な眼差しを向ける紗柄という少女の恐ろしい行動が、まるで自分のものであるかのように錯覚していた。
「美しい貌をしていながら、血に塗れた醜い心の神巫女よ……其の水に己の姿を映して見てみるが良い。おまえは、悪鬼さながらだ」
 翡翠に光る妖王の瞳が、紗柄を……麗蘭を射抜き捕らえる。彼に言われるがまま、おもむろに立ち上がると、『神巫女』は再び後ろを向いて泉を覗き込む。鏡のような水面は少しも隠すこと無く、ありのままの少女の姿を映し出していた。
――あ……あ……!
 水鏡の中には、妖王が言った通りの人鬼が居た。麗しい顔は返り血を浴びて真っ赤に染まり、首や胸、更に下の方まで赤黒いどろどろとしたものが滲んでいる。深紫色の双眸には爛々とした深紅の輝きが宿り、形良い口元は歪められ、ぞっとする程冷えた微笑を作っていた。
――此れが、紗柄……!
 開光し、真の光龍として目覚めた神巫女は、麗蘭の想像と遙かにかけ離れた姿をしていた。力を持て余して同じ人間を戮し、あの妖王をも恐れず闘えることに陶酔すら覚えている、猛々しく攻撃的な少女……此れが本当に、あの紗柄なのだろうか? 麗蘭が欲してやまない光龍の真の力とは、本当にこんな力なのだろうか?
――そんなはずは……私が求めていたのはこんな力では……!
 重く強い紗柄の意思に呑まれそうに為りながら、麗蘭は幾度も繰り返し、やがて失意の余り心の中で泣き叫ぶ。
――違う……違う! 違う!  
『其れで……おまえは誰を『犠牲』にした? 力を得るために、誰かを殺したのだろう?』
『私を生み、育んだ父母や……兄弟たち。そして、生まれ故郷の村人たちだ。皆、私が殺めた』
――嫌だ、嫌だ! 誰かの命を捧げねば得られぬ力など、私は欲しくない!
 咽び泣きながらも、麗蘭はちゃんと知っていた。幾ら否定しても、たった今見せられた現実は何も変わらぬことを。此の記憶は紛れもなく、紗柄自身のものだということを。
――光龍であるがゆえ……必ず開光せねばならぬというのなら、私は、私は……!
 幼い頃から己が宿命を受け入れ、真摯に向き合い続けてきた麗蘭は……大切な人々を守るため、真の光龍に為ることを望み続けてきた麗蘭は、今初めて、自分に下された使命を呪った。光龍である自分から、心底逃げ出したくなった……初めての瞬間だった。
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