金色の螺旋

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第八章 霞む四星

一.霖雨(りんう)
 厚い雲が垂れ籠め、雨が地を穿つ音に包まれた灰色の朝。雨煙る利洛城で、皇帝が弑されるという凶事が起きた。
 二十年にも亘って茗の王として君臨し、臣民に慕われた賢君の御代は、此処数世紀においては稀に見る安定した治世であった。良く言えば太平、悪く言えば何の変革、発展も無い退屈な支配は、皇帝の死と新帝登極に依って幕を閉じた。
『他国の高官と通じ、茗の権威を落として国力を弱めた咎』で先帝を誅し、帝位を継いだのは、先帝の正妃である。三公九卿や禁軍の支持を得て『乱心した』夫を誅伐し、宮中を速やかに掌握した時、彼女は十九という若さだった。国を憂うがゆえに謀反を起こし、最愛の夫を殺すべく自ら立ち上がった妃に、多くの者が感銘を受け、従った。
……其の女の名は、珠玉。後に『焔の女傑』と呼ばれることに為る、飽く無き欲望と野心に溢れた強かなる女。才能と美貌、皇族の流れを汲む将軍家という由緒有る家柄に恵まれ、『妃』という地位では到底収まり切らぬ程の女丈夫であった。
 珠妃が玉座を手中にするため己の味方に付けたのは、高級官吏や将官だけではなかった。燃える野望を胸に秘め、素晴らしい天賦の才と力を備えた若者たち……やがて『四神』として懼れられる青年たちもまた、珠妃に魅かれ、彼女を帝位へと押し上げる役目を果たしたのである。
 齢十八の緑鷹と紫暗は未だ、共に禁軍の一将校に過ぎなかった。武人としての能力の高さを評価され、珠妃が下す様々な密命を着実に遂行することで信頼を得て、此度の誅殺で重要な任を与えられた……特に緑鷹は、皇帝を斬る大役を任された。何の躊躇いも無く確実に皇帝を斬り殺すことが出来る、非情さと卓抜した剣腕を買われてのことだ。
 緑鷹の手で皇帝が死に、珠妃の即位が天下に知らしめられた日の夜、淋雨が途切れること無く続いていた。紫暗の部屋を訪れた緑鷹は妙に上機嫌で、やって来るなり持参した酒瓶を開け杯に注ぎ始めた。
「めでたい日だ。少しくらい飲んだらどうだ?」
 瓶と杯を押し付ける緑鷹に、紫暗は首を横に振った。自分が下戸であると知っていながら、敢えて勧めてくる緑鷹を鬱陶しそうに見てから、顎をしゃくり席に座るよう促す。
 卓の上に酒を置き、椅子に腰を下ろした緑鷹は、向かいに座り不機嫌そうな顔をして黙りこくっている紫暗を見詰め、態とらしく小首を傾げた。
「何を苛ついている、紫暗。先帝を殺す役目をもらえなかったことがそんなに悔しいか?」
「……俺をおまえのような殺人狂と一緒にするな」
 そう言って、紫暗は呆れて溜め息を吐く。続けざまに杯をあおった緑鷹は、口端に付いた酒を舐め一笑した。
「何言ってる。おまえこそ先帝側の人間を暗殺する任務の時、必要以上に殺りまくっていただろう」
 皇帝を殺す際、直接手を下したのは緑鷹だが、紫暗は裏で様々な謀殺に関わっていた。単純に奪った命の数ならば、緑鷹よりも紫暗の方が多いかもしれない。しかし紫暗としては、好きでやっているように言われるのは心外であった。
「なあ、珠妃を……いや、もう珠帝か。あの女を如何見る? 口ではお綺麗なことを言っているが、本物の王の器なのか……只の『女』なのか」
 唐突に話題を変えた緑鷹に、今度は紫暗が不思議そうに尋ねる。
「おまえもそんな小難しいことを考えるように為ったんだな……どちらにしろ、戦に出られればいいんだろう?」
 其の問いには答えぬまま、緑鷹は片頬を上げて笑んでみせた。彼の真意を掴み切れぬ紫暗は、腕を組みぽつりと答える。
「此の国を、人界の頂点に据えると言っていた。そういう綺麗事を……俺は好かない」
 彼らに謀反の話を持ち掛けた時から、珠帝は度々『人界統一』の夢について語った。『自分が人界を支配する』のではなく、『茗が人界を支配する』のだという言い方を敢えて、常にしているようだった。
――『自分』ではなく『国』を主体にして物事を考えることなど、出来るはずが無い。もし、出来るのだとすれば……珠妃はいずれ、真の『王』と為る。
『人』の本質を厭うゆえに、『本物の王』を信じぬからこそ、紫暗は『綺麗事』などという表現を用いたのだ。
「おまえらしいな……良いんじゃないか? 俺たちはあの女に飼われてはいるが、心酔する必要は無い。あの堅物と違ってな」
 緑鷹が『堅物』だという人物は、後に『青竜』と呼ばれることに為る男のことである。
「人界の統一。此の国の代々の皇帝共が、夢見たことすら無いであろう野望を、珠帝は語った。国は先帝の秩序有る統治で安定し、其のまま皇妃でい続ければ、出自からいっても一生安泰の人生を送れたであろう女が……誰に担ぎ上げられた訳でもなく夫を殺し、覇道をもぎ取った。今の所は、其れで十分面白い」
 やや高揚した声で話す緑鷹は、若者らしく胸を躍らせ、弾む気持ちを露わにしていた。一方紫暗の方はというと、相変わらず気難しげな表情で俯いている。暫く何かを沈思していた後、やがて再び顔を上げて緑鷹を見据えた。
「では、珠帝がいずれ……王座という権力の毒巣に蝕まれ、おまえを飼うに値しない只の女に成り下がったら、如何する?」
 回りくどい言い方だが、紫暗と付き合いの長い緑鷹は、彼の言わんとすることを直ぐに解した。酒を飲み干すのを止めて杯を置くと、其のまま暫く考え込んでいた。
「そうだな……其の時は……」
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