金色の螺旋

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第八章 霞む四星

九.もう何も、奪わせない
 落日を背に受け、魁斗は馬を駆り平原を走っていた。何としてでも日没までに聖地珪楽に入りたかったので、香鹿を出て数刻の間、馬を休ませる以外は決して止まることなく疾走し続けている。
 青竜と紅燐が去った後、彼は香鹿から直ぐに動くことが出来なかった。紅燐を喪った失意が、血が逆流するのではないかという程の怒りへ変わると、憎き黒神を探しに行きたくて堪らなく為り……次に取るべき行動について暫く悩んでいたのだ。
 何とか心を鎮めると、やはり麗蘭たちを追いかけるべきだという結論に達した。今、激情に操られて黒神に気を取られては、彼の邪神の思う壺だと思い直した。
 自分は一刻も早く麗蘭と合流し、彼女が神剣を継承するのを助けねばならぬ。此の世で唯一、黒神を滅することが出来る神巫女を『開光』へと導くことが、己が先ず為すべきことであると、再認識したのである。
 急がなければならない理由は、更にもう一つ有った。香鹿村にて、村人たちから開戦の噂を聞き付けたのだ。半神半魔の魁斗は、茗に住むどの民族とも風貌を異にするが、同じく聖安の民とも異なる。香鹿の住民は、何ら怪しむこと無く知っている情報を彼に分け与えてくれた。
 彼らの話に依ると、茗の皇城での御前会議で開戦が決まり、禁軍の頂点に立つ青竜上将軍が、珠帝の命を受けて聖安との国境に向け発ったらしい……ということだった。
 真実なら由々しき事態であり、蘭麗公主救出が一段と困難に為ることは容易に想像出来る。茗側が自国を有利な状況に持ってゆくため、人質である彼女を利用すると考えれば当然、一層彼女を逃そうとしないだろう。反対に、利用価値を見出せずに殺めてしまうということも、無いとはいえない。どちらにせよ、迷っている猶予など無いのである。
 決心すると、香鹿で手頃な馬を調達して直様出立した。紅燐との別れから一晩経っていてもなお、気が触れてしまいかねない感情の揺れを抑制出来ておらず、只全速力で馬を走らせることだけに専念して冷静さを取り戻そうとしていた。
――此れ以上、心を乱されては……奴の術中から抜けられない。
 草原を叩く蹄の音と、高く響く嘶きに耳を傾け、頭に焼き付いた黒神の姿を掻き消そうとする。卑劣な邪神の狙いが自分を徹底的に痛め付けることだと、魁斗は確信していたのだ。
 動揺を見せてはならぬ、屈すまいとする彼は、心から紅燐を消し去ろうと虚しい努力をした。否が応でも蘇る、あの美しい控えめな笑顔を忘れようとして、彼女への想いを必死に殺していた。
 いっそのこと妖が出現して、其れを滅することで気が紛れたら……等と考えたが、此の茗では妖異が余り出現しない。兵力が不足している今の聖安とは違い、妖討伐軍が十分に機能しているからである。
――麗蘭と蘢は、無事だろうか。
 光龍にとって魂の故郷であるとはいえ、敵国の中だ。必ず安全という保証は無い。珪楽に辿り着く前に敵に襲われている可能性も有る。
――青竜と接触した様子は……無かったと思うが。
 昨日対峙した、青竜の様子を思い出す。しかし、仮に麗蘭たちと会っていたとしても、彼が自ら其のことを言うとは限らない。
――駄目だ、どうせ考えても分からないだろう。
……どれ程の距離を、駆け抜けただろうか。草原が続くだけで変化の乏しい大地を、只前進し続けてきた。感覚的に、珪楽の地まで後少しという所までは来ているはずだった。行く先の方向から、聖地のものと思しき清らかな風もやって来ている。
 やがてそう時間が経たぬうちに、色濃い木々の群がる、広大な森が横たわっているのが見えた。
「此処が、珪楽の入口……鎮守の森か?」
 問うてはみたものの、答えは出ている。一度馬を止め、近付くにつれて満ちる気が変容していく様から、只の森でないことは明白である。
 目的地に着いたからか、魁斗は幾らかの安堵を得た。少しずつ馬を進め、聖なる地へと足を踏み入れる。陽は未だ落ち切っていない。あと僅か近くに行けば、麗蘭たちの居場所は神気で探り当てることが出来よう。何とか当初の予定通り、今日中に会えそうだ。
「……あとは、あいつらにみっともない所を見せないようにしないとな」
 口の端を無理に吊り上げ、笑みを拵えようとする。何処で見ているか分からない黒神は勿論、仲間たちにも、無様な姿は晒したくない。普段飾らない魁斗だが、弱っている自分を見せたくないという意地は有る。
――負けて、たまるか。
 黒神に、そして自分に対して力強く言い放つ。
「……此れ以上、奪われるわけにはいかないんだ。何も、決して、奪わせない」
 自らを奮い立たせ踏み出す気高き神子を、神威の森が静かに迎え入れる。傷付いた彼を慰め包み込むかのように、柔らに匂い立つ木々が囁きを交わしていた。
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