金色の螺旋

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第九章 滅びの響

一.寂寥
 目を開けると、見慣れた自室の天井が在った。畳に敷かれた布団の上に寝かされているらしく、頭がぼんやりとして手足も直ぐには動かなかった。
「麗蘭」
 上から振ってくる、良く聴き知った穏やかな声。頭をやや傾けると、其処には思った通りの人物が居た。
「風友さま」
 傍に正座し心配げに自分を見下ろしている風友の姿を認めると、麗蘭は反射的に身を起こして姿勢を正す。師の只ならぬ様子を不思議に思い、深紫の大きな瞳を何度も閉じたり開いたりした。
「おまえは妖の穢れを受けて倒れていたのだ。覚えていないのか」
「え……?」
 師の口から出た意外な言葉に、麗蘭は驚いた。一方で風友は、幼い弟子が目を覚ましたことに安堵したのか、硬い表情を崩して口元を緩めた。
「おまえは特に、妖の血に弱い。戦う際は気を付けなければならぬぞ」
「血……?」
 慌てた様子で、麗蘭は視線を下げ己の身体を確認する。先刻妖を斬った際、返り血をまともに浴びた記憶が甦る。赤く染まった彼女は風友に依って清められ、纏わり付いていた妖気もすっかり消失していた。
「……やはり、剣を使うと避け切れぬようです」
 項垂れると、麗蘭は両手で布団を握り締める。彼女の剣腕は未だ……未熟。刺し貫き斬り裂いた後は、如何しても不浄の血に濡れてしまう。ゆえに出来る限り弓を使っているのだが、今回は剣を使わざるを得なかった。妖から弧校の子供を救うため、咄嗟に剣を抜いたのだ。
「……ご迷惑を掛けて、申し訳ありません」
 神妙な面持ちで麗蘭を見て、風友は溜め息をついた。
「謝ることはない。おまえは、みんなの命を助けた。剣は此れから磨けば良い」
 柔らかく微笑した風友が、麗蘭の額に手を当て撫でる。子供たちを立派に守った彼女を誇らしく思い、幾度も大きく頷いている。
 風友の温かさに触れ、麗蘭はほんの少しだけはにかむ。だが嬉しさを覚えると同時に、気を失う前に感じた悲しみや戸惑いを思い出していた。
――皆を助けた積もりだったのに……何故、怖がられるのだろう。
 ありありと浮かぶ、麗蘭が助けた少年の顔。何時もは他の子供たちと共に、彼女の悪口を言い意地悪をしてくるが、あの時の彼の様子は……明らかにおかしかった。自分に害を為そうとした化け物ではなく、『麗蘭を』見て、怯えていた。
……全身で、拒絶された。脱力して座り込み動けない彼に手を伸ばしたが、叫ばれ跳ね除けられた。普段麗蘭に向けているような、嫉妬や羨望、蔑みではない、恐怖を剥き出しにした目で慄いていた。彼だけでなく其の場にいた数人の子供たちからも、一様の畏怖を感じた。
 どうしてあんな顔をされたのか、麗蘭には分からなかった。何か見返りを期待したわけではない。彼を救いたい一心で動いたのに、何故上手くいかなかったか、麗蘭には解せなかった。
――いや、まるで『助けてやった』とでもいうような……思い上がるようなことを言っているからいけないのだ。此の力は、私の為に在るものではないのに。
「休みなさい。おまえは良くやってくれた。今は、自分を労りなさい」
「……はい。ありがとうございます」
 風友は麗蘭を寝かせて布団を掛けてやると、立ち上がって室を後にする。師が居なくなったことで、麗蘭の胸には心細さが流れ出してくるが、我が儘を言うことは出来ない。孤校には、風友が面倒を見なければならない子供たちが他にもたくさん居る。特に今は、妖との予期せぬ遭遇に混乱している子供のことが心配なのだろう。
 布団を頭まで被ると、膝を抱えて蹲る。固く目を瞑り、左肩に刻まれた『龍』の印を強く抑える。其の刻印の意味を、麗蘭は未だ……聞かされていなかった。
 もうじき七つになる麗蘭は、自分が何者であるか、未だ知らずにいた。其れでも日々修練に勤しみ、近い将来必ず訪れるであろう何かに備えていた。
 本当のことを知らされていなくても、彼女は自ずと気付いていた。少なくとも、自分が『普通の人間』ではないことを。自分には遥か昔から定められた『宿』があり、其れを為すためだけに力を授けられたのだと……誰に教わったわけでもなく、何時の間にか知り得ていた。
――では、私は……何者なのだろう。
 孤校の子供たちは、麗蘭のことを化け物だの、妖だのと言って蔑み攻撃する。此の幼さで弓を引き、自分より何倍も大きい妖をたった一、二矢で倒してしまうことが、おかしいのだという。此の歳で、大人の神人にも難しい神術を使いこなしてしまうことが、あり得ないのだという。
 妖異の仲間、邪神の落とし子、魔性の子供……人の子ではない者として、子供たちは麗蘭を除け者にする。彼女の稀有なる力を目の当たりにした幼子たちは、そうするしか出来なかった。遠ざけ、自分たちとは別のものと見なす以外の方法を知らなかったのだ。そして同じ子供であった麗蘭も、そんな彼らの心情を窺い知れなかった。
 此の世界では、人でない何かは『人ならざる者』と称される。人に、天に仇為す者ならば、『非天』と呼ばれて恐れられる。
 非天なら、妖の血を浴びて倒れることはないだろう。だとすれば、自分は非天ではないのだろうか。其れとも、神気や身体の性質まで作り変え、聖であると見せかけているだけなのか。
 非天は情を持たないという。愛も哀しみもなく、在るのは只……本能、怒りと憎悪のみ。もしそうであれば、今悲しさに浸されている自分は非天ではないと言えるのか。……其れとも、此の感情が偽りなのか。
 幼い麗蘭が抱えていたのは、孤独。果ての無い乾いた砂漠の真ん中に、独り取り残されたような深い寂寥。
 両親は山賊に襲われ死んだと聞かされており、肉親はいない。友もまた、只の一人もいない。孤校には、自分と同じ境遇である天涯孤独の子供たちがたくさん居るというのに。
 母親代わりの風友は、何時も自分を支えてくれる。今回のように危ない時には、駆け付けて来て助けてくれる。そんな風友がいるのに寂しいと感じるなど、贅沢な話だとは思う。しかし幾ら言い聞かせても、独りの苦しみは拭えない。
――強く為らなければ。独りでも寂しく為らないように。
 そう思うと同時に、微かな希望が心に兆す。何時の日か……友が。悲しみを共に分かち合える者が自分にもできるのではないかという、他愛の無いささやかな望みを、麗蘭は抱き始めていた。今は未だ、判然としない彼女の『使命』の重みを受け入れ共に歩んでくれる者との出会いを、待ち始めていた。
――そんな人がもし、現れたなら……屹度大切にしよう……
 其のまま、麗蘭は再び眠りへと落ちてゆく。独りきりという現実からほんの一時逃れ、身体に染み通る寂しさから解き放たれるために。
……麗蘭に初めての『友』ができたのは、五年後。其の美しき友が自分の宿敵であることを知り、裏切られ殺されかけて、打ち拉がれるまで……暫しの時を要することに為った。
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