金色の螺旋

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第九章 滅びの響

十.同志
「麗蘭、起きてるか」
 しんとした室に響く、青年の低い声。意識がぼんやりしていても、魁斗のものだと直ぐに分かる。 
「ああ」
「入って良いか。話したいことが有る」
 率直に言うと、麗蘭は気が進まなかった。相変わらず情けない姿で、彼に合わせる顔がなかったのだ。
「……ああ」
 答えると、麗蘭は重そうに身を起こして座る。部屋に入って来た魁斗は、其の傍らに腰を下ろして胡座を組む。俯いている彼女を見詰めた後、一呼吸おいて口を開いた。 
「蘢と話した。恭月塔に向かうことに為りそうだ」
 記憶がはっきりしていないのか、麗蘭は額に手を当てて少し考えてから答える。
「蘭麗姫が居るかもしれないという塔か……」
 頷くと、魁斗は次の問い掛けに移る。
「蘢が玄武に止めを刺そうとした時、『黒巫女』が阻んだという話は知っているか?」
「ああ」
 剣を抜いた後の話は、恭月塔のことも含めて魁斗が珪楽に来る前に魅那から聞いていた。
「では其の黒巫女が、『瑠璃』だったということも……聞いたか?」
「……いや。何となくそうではないかと思っていたのだが」
 聖域に侵入し、非天の身体には毒と為る此の聖気に耐え、かつ蘢を押さえ込む程の神力を発揮出来る者といえば、相当力の有る者になる。そんな黒巫女で麗蘭が直ぐに思い付くのは、瑠璃以外にはいない。
「真意は如何であれ、瑠璃が茗側に居ることは事実。其の背後に黒神が居ることは明らかだ。以前に話していた通り、珠帝に手を貸しているのが奴らだとすると、近いうちに対峙する可能性が有る」
 変わらぬ姿で剣掛台に置かれている天陽を見て、魁斗は暫し沈思していた。何かを言い出そうとして躊躇っていたが、やがて揺るがぬ強い声で告げた。
「おまえが其の剣を取らなければ、此の先奴らと戦うことは出来ない……俺が、させない」
 思いも及ばぬ言葉を聞き、麗蘭は目を見張る。
「天陽無しで、開光無しで戦えば、死ぬことが目に見えているからだ。おまえが死んで喜ぶのは奴らだけ。次の光龍が転生する五百年後まで、奴らと対等に戦える者は居なく為る」
 麗蘭は何も言い返すことが出来なかった。魁斗の過去を思えば、彼が麗蘭の開光を望み、無謀な戦いを避けさせようとするのは当然のことなのだから。
 魁斗は其の強さゆえに、迷い続ける麗蘭を批難することはない。しかし其れでも、彼の胸に渦巻くもどかしさや憎しみが、端々から痛い程に伝わってくる。
 天陽を取らなければならない。古の巫女たちのように彼の神剣を使いこなし、開光を果たさねばならない。もはや猶予は無く一刻も早く先に進まねばならないのに、身体が思うように動かない。
「分かっている……分かっている。だが如何しても、あの剣に手を伸ばすことが出来ない」
 左右に頭を振ると、麗蘭は両の掌で顔を覆う。魁斗は其の苦しげな様子を見て麗蘭の肩に手を伸ばそうとしたが、逡巡して止めた。束の間沈黙が在った後、俯いたままの麗蘭が静かに話し出した。
「目覚めてから、其れが何故なのか考え続けていた。孤校に居た頃のこと……未だ自分が光龍だと知らなかった時のことや、初めて天帝聖龍や黒神に会った時のこと……昔を振り返って、漸く解った気がする」
 彼の想いに応えられない今、せめて自分の気持ちを正直に伝えようとしていた。今の自分に出来るのは其れしかないと思っていた。
「魁斗。此れを言ったら余計に呆れられるだろうが、私は怖いのだ……恐ろしいのだ。『麗蘭』ではなく『光龍』に為ることが」
 仲間に弱みを見せることが恥ではないと、麗蘭は既に知っている。ところが彼女の声は心細げに揺れ、魁斗と目を合わせることすら出来ない。
「力を手に入れれば、敵と戦うことは出来る。だが、私が今の私でなくなることが堪らなく怖い」
 天陽を抜くと、今の麗蘭ではなくなる――あの時、魅那にそう告げられた。確かに紗柄の記憶を垣間見ただけで、彼女は自分の宿命を以前のように考えることが出来なく為った。此の上更なる力を手に入れたなら、自分は一体如何為ってしまうのか。其れが分からず、恐れと不安を拭えずにいる。
「孤校に居た頃、私には優花以外の友が出来なかった。同じ境遇の子供たちが沢山居たにも拘わらず、優花が現れるまで誰とも打ち解けられなかった」
 只一人、自分を裏切った瑠璃を除いては――彼女はそう言い掛けたが、空しさが許さなかった。
「光龍の宿を知らされるまでは、自分が非天ではないかと本気で思ったこともあった。未だ『開光』していない時でさえこうなのだから、幼いうちから『開光』した紗柄が異端視され、周囲の人間を憎み力を暴走させたとしても仕方がない」
『だから、私も殺すのだ。此の光龍の力で、私を脅かす者を』
 血を浴びた人鬼の姿で、紗柄が言い放った言葉が甦る。
「紗柄は……言っていた。『開光』するために、自分の肉親たちを手に掛けた……と」
 其の告白に魁斗は驚いたが、直ぐに頷いて納得した顔をした。
「其れが紗柄の『試練』だったというわけか……おまえは以前教えてくれたな。其の試練はおまえ次第で変わると。おまえが紗柄と同じ道を辿るとは限らないということだろう」
 しかし、麗蘭は首を横に振る。
「……私とて、他の人間に敵意を抱いたことがなかったと言えば……嘘に為る。此の先紗柄のように為らないとは限らない」
 そう言って、彼女は天陽の方を見た。布団の端を握り締め、両腕が震えるのを押さえながら。
「紗柄の記憶を見た時、光龍の力とは『そういうもの』だと分かったのだ。神巫女とはいえ、紗柄も私も人の子。人の身に過ぎた力は、時に暴虐と破壊を生む」
 麗蘭の心を知るため、魁斗は自分と視線を合わせない彼女の顔をじっと覗き込んでいた。そして逸る気持ちに耐え、出来るだけ穏やかに問い掛けた。
「おまえは、そうやって自分が変わることを恐れているのか」
「……ああ。されど、其れよりも怖いのは……」
 己の心を探りつつ、麗蘭はゆっくりと頭を振った。
「私の側に居てくれる皆が……離れてしまうことだ」
 彼女はそう口にした途端、胸中で閊えていたものが造作なく溶けゆくのを感じた。
「昔のように、また一人に為るのが怖い。おまえや蘢、優花……仲間と共に歩んでいる今が幸福過ぎて、もう手放したくないのだ」
――何と子供染みた願いなのだろう。自分がこんなに我が儘だとは思わなかった。
 己自身に呆れたが、彼女の本心であることには変わりなかった。深く押し込めていた本当の願いに他ならなかった。
 顔を上げ、漸く魁斗の顔を正面から見据える。叱咤されても仕方がないと思っていたが、彼の瞳は何時も通りの澄んだ美しさで、慈しみに溢れた優しい光を湛えていた。 
「麗蘭、おまえの言うことは俺にも良く分かる。しかし……人は、変わるものだ。そして人はいずれ、自分の許から離れてゆくもの。仮におまえが今のままで居続けたとしても、此れは避けられない」
 半ば諦めを含んだ彼の言葉には、圧倒的な説得力が存していた――まるで、彼自身が身を以て経験したことであるかのように。
「だが、俺は……少なくとも俺だけは、おまえの側から離れない」
 其れは嘘も偽りも、ほんの僅かな戯れの心さえもない、神の御前で行う誓言の如き厳粛な言葉。 
「たとえおまえがおまえの見た紗柄のような『光龍』に為ろうと、人間全てを憎むように為ろうと……俺にはおまえが必要だ。俺だけは、おまえを裏切らない」
「魁斗……」
 魁斗が其処まで言い切る理由を、麗蘭は何時とはなしに知っていた。彼は何が起きようとも、麗蘭から決して離れられない。彼が黒神を憎み滅したいと望む限り、彼は麗蘭の味方で在り続けなければならないのだ。
 必要とされているのは自分という人間ではなく、此の世で唯一黒神を倒すことの出来る光龍の力――そう分かってはいても、麗蘭は彼の言葉に驚き、喜びを隠せない。
 強大な邪神と命を懸けて戦う。たった一人で背負わねばならぬ其の重責を分かち合い、本当の意味で共に歩む同志が、遂に自分の前に現れた。其の素晴らしい事実に驚嘆し、麗蘭は何時しか言葉を失っていた。
 涙を滲ませた麗蘭の瞳を、魁斗は捉えて放さない。今の彼女に掛けてやるべき言葉を探しながら、彼女に立ち上がって欲しいという想いを何とか伝えようとしている。
「……おまえは『光龍だから』言われるがままに此処までやって来たのか? おまえが長い間、心に誓っていたものは何だ? 其の信念を貫くために、戦い続けてきたのではなかったか?」
 核心を衝く彼の質問に、麗蘭はしっかりと頷き答えた。
「私の側にいてくれる大切な人を、守りたい。私は其のために修行に励み、開光を望んだのだ」
――何時から、如何して忘れていたのだろう。
 優花と出会い、妖王と戦って破れた時に、確かに感じた強い想い。未だ見ぬ妹を自分の手で救うと決めたのも、未熟な自分を許し助けてくれる仲間の力に為りたいと願ったのも、其の想いが在ってこそ。
「では、此れからもそうすれば良い。おまえの力を思う通りに使えば良い。邪魔をするものは何も無い……全てはおまえが決めることだ」
 受け容れてくれた――麗蘭は、心からそう感じた。此の状況下、問答無用で厳しい言葉を浴びせて当然なのに、魁斗は自分の気持ちを解そうと努めてくれた。前へ進めるよう、導こうとしてくれた。
「魁斗、私は……」
 麗蘭が口を開き掛けた其の時、幼い少女の声が室の外から聞こえてきた。
「失礼いたします」
「……魅那か、如何した?」
 彼女は静かに襖を開けてお辞儀をし、立ち上がって二人の側へとやって来た。胸にはあの大切な真十鏡を抱えている。
「真十鏡に『竜』の姿が映りました……金色の竜です」
 手渡された丸鏡を見て、麗蘭は息を飲んだ。
「金、竜……!」
 真十鏡の中に居たのは、以前見た幻と全く同じ姿形の竜だった。鏡を通して其の悍ましい姿を目にした途端、麗蘭の顔から血の気が引いていく。
 鏡を受け取った魁斗も怪物の姿を認めると、険しい顔をして魅那の方を向いた。
「こいつは茗の青竜に封印されていたはず……放たれたのか」
「其のようです」
 魅那が重々しく頷くと、魁斗は鏡を彼女に返した。
「……何処に居るか分かるか?」
 尋ねながら、魁斗は自分でも気を探ってみるが、其れらしいものを感じ取ることは出来なかった。
「今は未だ少し離れた所に居ますが……どうやら、此の珪楽に向かっているようなのです」
 身体を固くしている麗蘭を一瞥した魁斗は、腕を組んで目を閉じる。
「金竜は、此処の結界を破ることが出来るのか?」
「……場合に依っては。封印の術がどの程度解かれているのか、金竜がどれ程の力を取り戻しているかにも依りますが」
 そう告げた魅那は狼狽を露わにしていた。普段は歳の割に落ち着いている彼女が、麗蘭たちに明らかな動揺を見せたのは此れが初めてだ。
「麗蘭さま、狙いは恐らく貴女です。貴女の魂が放つ『奈雷』の光を狙っているのでしょう」
 言い終わらないうちに、麗蘭は布団を除けて立ち上がっていた。天陽の前まで行くと畳に膝を付き、両腕を横に垂らしたまま僅かに肩を震わせ、暫くの間彼の御剣を見下ろしていた。
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