金色の螺旋

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第九章 滅びの響

三.後継の皇子
 隣り合わせに横たわる二大国、聖安と茗。ある時茗の珠帝が人界の覇権を望んだがために、両国は長きに亘る戦いを始めた。
 拡大し激化する戦は、双方に深刻な打撃を与えつつ幾年も続けられた。九年前に茗側が優勢なままで停戦協定を結んで以来、属国を(けしか)けることはあっても直接対決を避け、互いに不可侵を守り抜いてきた。
 珠帝の人界統一の野望は年々其の勢いを衰えさせ、一時は消えたと目された程。しかしある時から……何が契機と為ったのか再び燃え上がり、茗と聖安との関係は急速に悪化していった。九年の間に国の復興を為し遂げ、軍備を増強した聖安の恵帝もまた、事実上の茗への従属状態から抜け出るために開戦の意を示した。
 二人の女帝は、白林城塞の南西に位置する圭惺(けいせい)の地に大軍を配置した。圭惺は、先の大戦において聖安が最初に大敗を喫した場所。茗軍が聖安国内に侵入するのを許した、運命の戦いが繰り広げられた地である。
 聖安側の兵力は禁軍と地方軍、更に聖安と同盟を結んだ箏国や祥岐国の友軍三万。対する茗側は同じく禁軍と地方軍、そして西方同盟の国々の軍五万。大将としてそれぞれの軍を率いるのは、聖安禁軍七将軍の頂点に立つ瑛睡上将軍と、茗禁軍最上位の将軍たる青竜上将軍。どちらの大将も主である女帝の名の下に、戦の再開を号令する重責を担っている。ゆえに、初戦の将は必然的に此の二人と為った。
 圭惺平原や近くの山に布陣を始めてから数日間、両軍は其の規模を膨張させながら、只静かに睨み合っていた。瑛睡は早くから白林に滞在していたが、珠帝から開戦の勅令を受けた青竜が到着したのは、丁度全軍が集結し終えた頃だった。
 両軍が従軍巫女による祈祷を終えると、双方から戦の始まりを告げる鼓が打ち鳴らされ、弓や弩による一斉射撃が交えられた。続いて剣や槍を手にした歩兵、騎兵が激突し、敵味方入り乱れる混戦と為った。
 未の刻頃に始まった戦いは、雌雄を決する決定的な時を迎えることなく日暮れまで続けられた。数に勝る茗が押しているかのように見えたが、人界随一の軍略家である瑛睡公率いる聖安も、一切隙を与えない。先の大戦での経験から、聖安軍は圭惺を突破されることを非常に恐れており、兵たちの士気も落ちることなく維持されていた。
 やがて日が沈み戦場を闇が覆い隠すと、中断の合図である鐘が撞かれ緩やかに響き渡る。古くからの慣例に従い、兵たちは武器を下ろすと負傷した仲間を担ぎ、辺り一面に敷かれた死体を避けつつ引き上げ始めた。
 此の日……二帝国が再び戦を始めた歴史的な日。瑛睡も青竜も共に、陣中から出て姿を見せることは無かった。


 茗の本陣に、他の将官の物と比べて一際大きな幕舎が在った。大将である青竜の物よりも立派で派手な造りの其れを見れば、かなり身分の高い者の物だと一目で分かる。
 初日の戦いが終わり、青竜を含む将官や将校たちに依る長い軍議の後。此の特に目立つ幕舎の奥では、女性たちが憚ること無く艶めかしい声を上げていた。
 寝台の上で絡み合う、細身だが逞しい体付きをした青年と、一糸纏わぬ二人の女。燭台の火がゆらめき、彼らを妖しく照らし出している。
「殿下……燈雅(とうが)公子さま! 入りますぞ!」
 殆ど断りも無く、天幕を開けて壮年の男が入ってきた。上官である若者と裸の女たちを見て、直ぐに目と鼻を覆いたく為ったのを我慢しつつ、深く嘆息する。
「如何したのですか。こんな夜更けに、敵が攻めてきたのですか」
 青年……公子燈雅は悪びれもせず微笑する。
「貴方さまの幕舎に女が居るという話を聞き、参ったのです。此の有様は……」
「何か問題でも? 私が女を抱くことで、副官がお困りになるのですか?」
 態とらしく問い掛け、燈雅は下に居る女に視線を移す。
「殿下! 私が何を言いたいのかは、お分かりでしょう」
 半ば怒り、半ば呆れている男は、拳を握り締めて声を震わせている。
「……臭いが、取れないのですよ」
「は?」
 燈雅の言葉に、男が間の抜けた反応を返す。
「先刻斬った者の死臭が、如何やっても取れない。湯殿も無いこんな所では」
 彼は自分の腕を鼻に近付けると、不快そうに顔を歪める。
「女の香りなら、何とか隠してくれると思ったのだが」
 暫し沈黙した後、男はより一層怒気を籠めて言う。
「貴方は此度の戦では副将。青竜上将軍を補佐し、共に全軍を率いるお立場なのです。其の貴方が、中断しているとはいえ戦の最中に娼妓を連れ込むなど……兵たちの士気に関わります」
 言いながら、男は呆れ返っていた。そんな当たり前のことで、何故諫言しなければならないのか。燈雅が色事を好むことは伝え聞いていたが、此処まで愚かだとは思わなかった。同じく好色で知られた彼の玄武上将軍でさえ、鼓が鳴った後の戦場で女と戯れていたなどという話は聞いたことが無い。
「兵の士気など、私の知ったことではありません。『此れ』が無ければ私の士気が保ちません」
「殿下!」
 溜め息を吐き、燈雅は女の身体から離れた。側に在る水瓶を手に取り飲み干すと、零れ出た水を掌で拭い取った。
「今日、青竜の代わりに全軍を指揮したのは私です。此れ位の慰めは許していただかなくては」
 燈雅の言動から、男は彼が考えを改める気の無いことを悟る。
「……青竜上将軍のお耳にも入れさせていただきます。では」
 副官らしく諫めるのは諦めたのか、頭を下げ苦し紛れに言い置いて退出した。其の姿が見えなくなると、燈雅は軽く舌打ちする。 
「青竜……あの怪物が、此れしきのことで構うものか」
 暫時、赤々とした蝋燭の炎を見詰めてから、ぐったりとして横たわっている女たちを見下ろす。
「服を着て、下がりなさい。気が削がれた」
 彼の鋭い眼光に気圧され、娼妓たちは起き上がっていそいそと着物を身に着ける。此の公子の閨に侍るのはほんの数度めだが、彼が機嫌を損ねると些か厄介なことは、既に重々分かっていたのだ。
 女たちも出て行くと、燈雅は打ち掛けてあった上着を羽織って寝台に座る。今頃に為って、重い疲労感に身体を包まれてゆく。
 茗の皇子、燈雅。彼は複数の皇子たちの中で、現在最も帝位に近い者とされている。数年前、あの珠帝が直々に彼を後継者として指名したからである。
 何故、焔の女傑が彼を名指ししたのか、明確な理由を知る者は誰も居ない。燈雅本人とて知らなかった。年長の皇子ではないし、母親の身分が取り立てて高いわけでもない。神人としてはかなり強く、武術は皇族の中でも一、二位を争う程で、軍を指揮する能力も十二分に在る。しかし智力においては抜きん出ていることはなく、彼より優れた兄弟は他に居る。父は珠帝の夫である前帝だが母は其の側室であり、珠帝と直接血の繋がりがあるわけではない。だが、珠帝は確かに、燈雅こそが次代の皇帝に相応しいと断言したのだ。
 今回の戦で、燈雅を青竜の副将として付けたのは他でもない、珠帝其の人。未だ二十台半ばという若い彼に禁軍少将の地位を与え、大軍団の統率を命じたのは、偏に次期皇帝と為るに相応の功績を得させるためだろう。
 宣言が在ったからとはいえ、珠帝が未だ未だ健在である以上、今後如何覆されるかは分からない。聖安との戦が始まった今、将として前線に出て戦勝を齎すことこそが、名を上げるのに最も簡単な方法なのである。
――陛下が何をお考えなのかは知らないが、私に玉座をと仰るのならば、手に入れてやろうではないか。
 王に為ろうという気概は在る。後は、自分の命を狙う者や並み居る競争相手を全て叩き潰し、必要なものを得てゆくだけ。宿敵聖安との因縁の対決といえど、自分にとって此の戦は布石に過ぎない。
 戦に出るのは嫌いではない。今回はあの青竜が上官であるため、自分は彼の軍略を忠実に実行するしかないのだが、最前線で命をやり取りする緊張感は味わえている。
「……湯殿もなく、佳い女を心ゆくまで愉しめないのは不満だが」
 肩下まである長髪をふわりと後ろに流し、苦々しく微笑む。燈雅は其の名の示す通り、総じて気品の在る容貌だが、目元だけは鋭く冷たい。美しいとまではいかないが面長の整った容姿で、茗の支配民族特有の褐色肌を持つ均整の取れた長身。ゆえに、彼の妃に為りたいと望む女は多い。実際、本国の彼の後宮には既に十数人もの側室が居る。
 気難しい気性が災いし親しい者が少ない中で、似た性質を持つ玄武元上将軍とは懇意にしていた……玄武の方は如何思っていたか知らないが、少なくとも燈雅の方は其の積もりだった。
 ふと、寝台の横の長櫃を見やる。山積みに為った軍令の書と共に、今や大逆の罪に問われた元英雄の死を知らせる文が置かれている。少し前に「死んだ」とされていたが間違いで、今回の公表こそが真実らしい。しかも前回、聖安との戦いで「名誉の殉死」を遂げたという噂が一転して、「大逆」の罪に問われたという、何とも不自然な話だった。
 珠帝暗殺を企てて失敗し、其の場で刑戮されたとのことだが、燈雅は其れを聞いて微かな違和感を覚えた。二十年近く前から、燈雅は玄武が珠帝に仕え続けていたのを自分の目で見ている。そして何となく、玄武が珠帝を裏切るなどとは思えなかった。
「最後に、玄武と酒を酌み交わせなかったのは残念だったな」
 彼の生き方に憧れ、ある面では同情もしていた燈雅は、かつて共に語らった思い出を呼び起こした。気が短く皇族相手でも容赦が無い彼の鷹は、其れは其れは恐ろしい男だった。しかし同じ程だけ、好感も持てる男だった。
 情事を邪魔され気が立っているからか、明日も早いというのに眠気がさしてこない。横に為り目を閉じて、未だずっと遠くに在りそうな夜明けを待つ。明日、一日が終わる頃には、此の初戦も決着しているだろう。
 特段の根拠は無いが、彼には自軍の勝利以外考えられなかった。明日には国境を越えて聖安入りし、堂々と酒を飲み聖安の女の白い肌を堪能しているだろう……と、信じて疑わなかったのだ。
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