金色の螺旋

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第四章 紫蘭に捧ぐ

四.獅子の過去
 宿の奥へと運び込まれた蘢は、寝台に寝かされ玉英の手当を受けた。玉英には医術の心得が有るらしく、號睡や他の傭人に其の都度的確な指示を出しててきぱきと動いていた。
「あんな重傷久し振りに見たわよ。お嬢さん……麗蘭と言ったね? あんたが血止めをしてなかったらとっくに冥府へ行ってる」
 玉英は濡らした手拭いで手を清めながら、隣室で待っていた麗蘭と優花に向かい合って座る。
「鋭い大剣で、一刀でばっさりと。おまけに内腑も一つやられちゃって、蘢みたいな腕の立つ子が……一体どんなのと戦り合ったのさ?」
 麗蘭も優花も、訝しげに見てくる玉英の視線を逸らして黙っているしかない。彼女の質問は抱いて当然の疑問だが、そう簡単に答える訳にはいかなかった。玉英たちと蘢の関係を未だ聞いていないし、もし蘢と縁の深い者なら尚更、余計な情報を与えて巻き込みたくはない。
「ふん、まあいいわ。蘢だって言いたがらないでしょうからね……お国の仕事に関しちゃあ、あたしたちには何時もだんまりなんだから」
 あっさりと追及の手を引いてくれたので、麗蘭たちはほっとして肩を撫で下ろす。すると玉英の後ろの戸から、號睡が勢い良く扉を開けて入って来た。
「全くあの野郎、久々に顔を見せたと思ったら此れか! 人を心配させやがって!」
 蘢の身を案じているのか怒っているのかどちらとも取れない感情を撒き散らしながら、號睡は右手に持っていた四角い木盆を卓の上に置く。上に載った四つの湯飲みは湯気を立てており、円やかに香る黒茶が入っている。
「ほら、あんたたちも疲れてるだろ? 蘢の方は一端落ち着いたから、少し休みな」
 麗蘭と優花、玉英と自分、めいめいの前へ湯飲みを配る號睡の所作は雑ではないが、丁寧とも言えなかった。客を迎える対応としては可もなく不可もなくと言った具合だろう。  
「忝い」
「ありがとうございます」
 礼を言って、麗蘭と優花は其々が出された茶を口に運ぶ。青竜の襲撃から休む間もなかった二人の喉は渇き切り、身体は疲れ切っていた。
「おや、あんたも腕を怪我してるね。全身蘢の血だらけで気付かなかったよ。診せてごらん?」
 麗蘭の着物の右腕部分が裂けていることに気付いた玉英は、指差して声を掛ける。
「大したことはありませぬ。塞がっていますし……」
 腕を差し出しながら言う麗蘭に、玉英は首を横に振った。
「自分の術を過信するもんじゃないよ。自惚れていいのは神々だけだ」
 そう言って立ち上がり麗蘭の右手を取ると、ぼうっと見ていた號睡を睨み付ける。
「何見てんの! あっち向いてなさいよ」
「お、おう」
 気圧された號睡は湯飲みを手にしたまま、急いで椅子ごと身体の向きを変える。玉英は麗蘭の着物の短い袖をゆっくりと上げ、肩下辺りの上腕に入った切り傷を診る。麗蘭の神力によって綺麗に閉じていたが、横向きの傷が残っている。
「ああ、ああ。女の子の腕に傷なんてねぇ、薬だけは塗っておこうね」
 痛ましげな顔で言うと、玉英は麗蘭の右腕を静かに下ろす。
「……本当に(かたじけな)い」
 恐縮する麗蘭に再び頭を振って、彼女は背を向けて歩き出す。部屋の角に在った百味箪笥の中から小さな陶製の容器を取り出し、麗蘭の前に座って蓋を空けた。
「玉英さんはお医者さまなのですか?」
 優花の問い掛けに、玉英は白い軟膏を傷口へと丁寧に塗り込みながら答える。
「いいや、違うよ。医官に為りたくて多少齧ったんだけどねぇ。先生も亡くなったし、旅籠の切り盛りの方が面白そうだったから、目指すのを止めたのさ」
 薬を塗布し終えた彼女は器に栓をして横の卓に置き、先程其れを取り出した百味箪笥を親指の先で指した。
「あの箪笥や薬剤は先生のだったもの。先生は州候に仕える名の知れた医官でね」 
 聖安国内は七つの州に分かれており、幾つかの街や村で成っている。其々の州を恵帝の許しを得て治めているのが貴族階級の州候であり、上から公・候・伯・子・男の候。身分で言えばかなり上位に位置している。其の州候に仕える医官となると、医師の中でも相当の地位に属していることが分かる。
「州候の医官とは、さぞやご立派な先生だったのでしょうね」
 袖を戻しながら麗蘭が言うと、彼女たちに背を向けていた號睡が向き直る。
「ああ、維渓先生と言ってな。医官として勤める傍ら孤校をお開きになり、俺も玉英も、其れと蘢も其処で育ったんだ」
 號睡の一言で、麗蘭も優花も目を見開いて驚く。最後の方の言葉が実に意外であったからだ。
「蘢は……孤校の出身なのですか?」
 都で初めて会った時から、麗蘭は蘢が何処ぞの名家の公子であろうと勝手に思い込んでいた。まさか孤児である等とは、これっぽっちも考えなかった。
「てっきり貴族の生まれなのかと思っていたけれど……」
 そう言う優花も麗蘭同様、蘢の生まれを勘違いしていた。彼女たちの様子を見て、號睡は大きく笑い出す。
「あいつが? 確かに見掛けはそう見えるがなあ」
「あんたよりはあの子の方がずうっとお貴族さまに見えるよ、號睡」
 再び坐した玉英が楽しそうに言うと、號睡が面白くないという顔をする。
「玉英、おまえだって覚えてるだろ? あいつは俺と並んで、色々と馬鹿なことをやったもんだ。悪戯したり街の不良と喧嘩したり……其れが貴族なもんかい」
「何言ってんだか、悪戯なんかするのはあんただけで、あの子はあんたのしたことの尻拭いをしてただろ? 喧嘩だって、あんたと違って誰彼構わずって訳じゃない。孤校の仲間を虐める奴を懲らしめてた位さ」
「……そうだっけか?」
 號睡は一瞬惚けてから、決まり悪そうな顔をして笑みをこぼす。彼が何も言い返さないのを見ると、どうやら玉英の言うことの方が事実らしい。
「まぁ、確かにあいつは凄いやつだよ。学問をやらせりゃあ孤校一……いや、街一番だったし、剣を握らせりゃあ州一番……いや、剣は俺の方が強かったかな?」
「まったく、調子のいい奴だよ」 
 二人のやり取りを見ながら、麗蘭と優花が微笑む。出自は意外であったが、こうして聞いていると実に蘢らしい子供時代だったようだ。
「では蘢は、平民出身なのにも拘わらず……士官学校を出てそのまま禁軍に入ったのですか?」 
 麗蘭は不思議そうに尋ねる。以前聞いた話だと、蘢は学校を卒業してから直ぐに禁軍属となったということだった。平民出の者が、殆どが貴族の子弟で占められている禁軍に入るには、普通先ず地方軍等に属してそれなりの経験を積む必要が有るのだ。
「そうさ。あの子は街のお役人のお目に止まって、延いては州候のご推挙で紫瑤の軍学校に入ったからね。維渓先生の口利きがあったとはいえ」
「州候の推薦で、都の学校に……?」
 さらりと放たれた玉英の言葉に、驚きの余り目を丸くする麗蘭。自分の生まれを知らぬ幼い頃、心から禁軍に憧れ士官学校に入りたいと願っていた麗蘭は、其れがどれ程稀なことか知っていた。庶民階級の軍人には良く有るような、街の有力者の推挙で州の運営する軍学校に入るという、一般的な経歴とは次元が違う。然るべき実力と天運とを兼ね備えた選ばれた者だけが辿れる道筋である。
「孤校を出て軍学校に入り、そのまま首席卒業したそうだよ。其れで禁軍に入って、あっちこっち戦に出て行くようになって……最近じゃあ、滅多に顔も見せなくなってたねえ」
 玉英が號睡の方へ目をやると、彼もうんうんと頷いている。
「首席って……凄いのね、やっぱり」
 優花が感心して溜息をつく。隣に居る麗蘭の感嘆は其れ以上で、泉栄で二年前の蘢の活躍を聞いた時と同じ位の、言葉には表せられぬ衝撃を受けていた。
――紫瑤の士官学校を首席で、だと? 卒業早々禁軍に入るわけだ……風友さまや瑛睡上将軍も通った栄誉有る道なのだから。
 但し、風友も瑛睡も孤児ではない。彼女達はどちらも代々将軍を輩出する名門の家柄であり、歴とした貴族に列せられる門地である。二人とも、幼少の頃より所謂英才教育を受けて育った幸運な者たちだ。
「……かっこ付けた言い方になるが、あいつは俺たちの誇りだよ。一年前に先生が亡くなって、孤校出身の者で此の旅籠を開こうってなった時も、物入りで困ってたとこを助けてくれた」
「先生が遺してくれた物は、薬やら医者の道具やらの他は皆、孤校の小さい子供たちが他へ移って行く時に持たせてやったからねえ」
 感慨深い様子で話す號睡たちを前に麗蘭は、申し訳なく居た堪れない気持ちに為ってゆく。遂には突然、皆の前で頭を下げて驚かせた。
「申し訳ない。蘢があのような……酷い怪我を負ったのは……私の所為なのです」
 同じ孤校出身の二人にとって、蘢は本当の家族のように大切な存在に違いない。自分も孤校の出である麗蘭には、其のことが分かり過ぎる程分かるゆえの謝罪だった。もし、傍らに居る優花が誰かの所為で傷付いたならと考えると、自分は嫌われても憎まれても、怒られても罵られても仕方が無いだろうと思ったのだ。
「蘢と出会い共に旅に出てから、未だ日は浅いのですが……此れまで幾度も、数え切れぬ程彼に助けられて来た。いずれ私も彼の力に、と思っていた矢先、私が至らぬ所為で……彼の命を危険に晒した。何もかも、私の所為なのです」
 咎を告白する罪人が如く、麗蘭の声は震えている。全く彼女らしくない弱々しい声で、何度か途中でつっかえそうになっていた。蘢への罪悪感だけでなく、己の力不足による焦燥や不安、青竜という巨大な敵への恐怖、様々な負の感情が込み上げて、一気に放出されているのだった。
 素直に吐き出して謝意を示し、二人に許してもらうことで自分の気持ちを軽くする……そんな気は毛頭無い。逆に、どんな糾弾も辞さぬ覚悟で打ち明けたのだ。
 麗蘭としては並々ならぬ決意を込めたつもりだったが、はらはらしている優花が見守る中で少しの沈黙が流れた後、玉瑛がゆっくりと発したのは意外な言葉だった。
「あんた……あの子に、蘢に似てるのねえ」
「え……?」
 思わず頭を上げる麗蘭に、號睡もまた、息を吐いて静かに言う。
「ほんとだな、莫迦みたいに真面目だ」
「ちょっと、莫迦は言い過ぎよ。この子に失敬だろ?」
 玉英に肘で小突かれた號睡は軽く舌打ちすると、後ろ頭を掻きながら話し出す。
「あのな、あんたが……蘢をどう思ってるかは良くわかんねぇが、あいつは多分、あんたが思うほどお人好しじゃあないんだ。ああ見えて結構冷静過ぎるところもあるし、中々に厳しい」
 號睡の言わんとすることが未だ良く分からず、麗蘭は彼の言葉にじっと耳を傾ける。
「あいつは戦で親を亡くして、みなしごに為った口だ。自分からは話そうとしないが、ちょっと普通じゃねぇ程の努力をして、やれ天才だ、やれ若き救国の士だなんて呼ばれるまでにのし上がった。餓鬼の頃から腹を決めた何かがあいつには有って、其の為に必死にやって来たんだろう」
 蘢が恵帝や瑛睡公に一目置かれ、敵国の将軍にまで其の名を知られて危険視される程に為った理由は、天賦の才が全てという訳では無いであろう。それゆえ、今の號睡の言葉は麗蘭にも良く分かる。 
「その……つまりだ、あいつの持ってる覚悟ってのは、並大抵のもんじゃねぇ。幾らお偉いさんの命令だったとしても、そうするに値しない奴相手に……命を投げ出したりしないだろうさ。恵帝陛下のことだって、名君と認めているからこそ全力で仕えてる」
 言葉を選びながらたどたどしく続ける號睡は、不器用ながらも人情に厚い青年であることが見えてくる。そして蘢を良く理解し、大事に思っているということも。
「あー、要するに……だな」
 麗蘭程の美少女が真剣な眼差しで自分を見詰めていることに気付いた號睡は、急に気恥ずかしくなったようで思わず視線を落とす。言葉に詰まった彼の横から、玉英が交代する。
「つまり、詳しい事情は知らないけど、蘢が命に関わるような傷を負ったってことは、もし其れで自分が死んでも後悔しないと決めてたってこと。そうじゃなけりゃあ、死ぬような危険に飛び込んで行くことはしない。其れ位、良く考えて行動する子なんだ」
「そうそう、そういうこと」
 顔を上げ、號睡は再度麗蘭の目を見る。彼の表情には麗蘭に対する同情や憐れみ、慰めの色は無く、玉英の瞳に表れた心中もまた同様である。
「あいつが傷付いたのはあいつの覚悟の上。そりゃあ、俺は神さまみたく心が広い訳じゃねえから、ほんとに死んじまったりしてたら怒る……と思うが、あんたはちゃんとあいつを助けようとしてくれたし、実際此処まで連れて来てくれて、助けてくれた。だから何も文句はねぇよ」
 其処まで言ってから、號錘はやや冷め始めた茶を口へと運び一気に飲み干す。彼に倣い玉英も静かに茶をすすると、横目で麗蘭をちらりと見やった。
「……ありがとうございます」
 麗蘭は堅い表情をほんの少しだけ綻ばせるが、ぎこちない微笑は他の三人にも見抜かれている。號錘や玉英の言葉は確かに蘢の本質を捉えているのであろうが、麗蘭への心遣いも含まれているのだろうと思うと、真面目過ぎる彼女には罪悪感めいたものが上乗せされて感じられていた。
「……さあさあ!」
 暫しの間沈黙が流れた後突然、玉英が力強く声を張る。
「小難しいことは後で考えることにしなさいよ。どうせ蘢は暫く動けないし、あんたたちもゆっくりしていくといい。蘢の恩人だから、宿代は負けておくよ」
 そう言いながらすっと立ち上がり、其々の前に置かれた湯飲みを盆の上へ片付け始める。
「そうだな、譲葉の向こう側の部屋が空いてるからそっちに泊まりな。案内する」
 號錘も立ち上がり、玉英の横を通って部屋の外へ向かおうとする。
「ありがとうございます……麗蘭、お言葉に甘えて、行こう?」
「……ああ」
 優花に促され、麗蘭も席を立つ。すると、蘢の血や埃で汚れ、ところどころ切れ目が入ってぼろぼろになっている麗蘭の着物を見やり、玉英が再び声を掛けた。
「あんたの着物、もうだめだね……部屋に荷物を置いたらとりあえず湯浴みをしておいで。替えのものを用意しておくから」
「……何から何まで、忝い」
 恐縮した表情で軽く一礼すると、麗蘭は優花とともに部屋を出る。一人残された玉英は、湯飲みが四つ載った盆を持ち上げて小さく溜め息をついた。
「本当に真面目な子だねえ……」
 麗蘭達が出て行った戸の方を見詰めて呟く彼女の表情には、感心しているというよりも微笑ましいものを見ているというような、どこか温かな気持ちが表れていた。
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