金色の螺旋

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第一章 真実の名

五.旅籠にて
「暫くの間宿泊したいのだが」
 中に入り、入り口で出迎えた主人にそう告げる。
「かしこまりました。部屋を用意いたしましょう」
 中年の主人は、愛想よく答えて奥に居る女中を呼ぶ。
 主人は麗蘭を見てたいそう不思議に思っていた。今まで見たことのない位の美しい少女が弓を背負い、腰に刀を差しゆがけまで付けて、何処か武人風の出で立ちでいるのが珍しかったのだ。
 しかし主人はそんな素振りを一切見せず、やって来た女中に後を任せて自分は外に出て行く。麗蘭の馬を馬小屋に繋ぐためだ。主人が隠すのが上手いのか当の本人が鈍いのか、麗蘭は自分が不思議がられていることには全く気付いていなかった。


「此方へどうぞ、お食事の用意が出来ています」
 女中……と言っても麗蘭よりも少し幼い少女は、恭しく客を食堂に案内した。
 湯あみをしてさっぱりしたからか、幾分疲れが取れた気がする。借り物である紅色の着物を着た麗蘭は、少女に引いてもらった椅子に腰掛けた。
 食卓に料理を運んでくる少女の手付きは未だ手慣れておらず、お客を前にして少し緊張気味なのが先程から見て取れる。麗蘭はそんな彼女を微笑ましいと思いながら、笑顔で礼を言った。
「ありがとう。朝から駆けっ放しだったから、お腹がすいて仕方なかったのだ」
 初めてまともに声を掛けられ、少女は僅かに肩を跳ねさせ嬉しそうに笑む。
「……あの、お客さまは軍の方ですか? 其れとも……討伐士とか?」
 麗蘭の格好を見て、何となくそう判断したのだろう。
「いや……只幼い頃から武術を身に付けていてな、此の様な装備が私にとっては自然なのだ」
 自分が光龍という特殊な存在であり、妖に狙われ易いため常に武装している……という事情もあったのだが、ややこしくなるので其の辺りのことは人に明かさないようにしている。
「平和でないご時世ですし……女性の一人旅は危ないですものね」
 少女は麗蘭の答えに納得し感心したように何度も頷き、急須を手に取ってお茶を注いだ。
「訳有って、初めて都に来たのだ。未だ着いたばかりだが……やはり、大きな街だな」
 初めは麗蘭の余りの美しさと隙のない雰囲気に緊張していた少女だったが、思いの外気安い相手だと分かり、幾らか安心したようだ。微笑んで話を続けようとする。
「はい、此処数年で随分活気を取戻し、戦前の豊かだった頃に戻って来たという話です。勿論私は、其の豊かだった頃のことを知りませんが……」
 未だ時間が早いためか、麗蘭以外に客は居ないようだった。手が空いていた少女は、麗蘭の勧めで椅子に腰掛け都のことについて話し聞かせることになった。
「其れにしても……よく城門の検問を抜けて来られましたね。今は紫瑤の民であるか、特別な通行証がなければ通してくれないでしょうに」
 不意を突かれる言葉に、ぎくりとする。
「やはり検問が厳しくなっているのだな。通りで不審そうな顔をされたわけだ……昨今の国情のためか?」
 上手く話を掏り替え、逸らそうとする。
「はい。此処数年、茗に奪われなかった属国や少数民族が反乱を起こしています。数週間前にも、辰国軍が王に造反し我が国からの独立を迫ったというので……女帝陛下が辰王を助けるために禁軍を出しました」
 此れ以上、支配下の属国を減らすわけにはいかない。茗に対抗するためにはより団結を強めねばならない。属州の離反を防ぐため、恵帝は骨を折っているという。
「其れだけじゃありません」
 少女は麗蘭の方に身を乗り出すようにして続ける。
「実はですね……最近皆が噂していることなのですが」
 周りに誰もいないのにも拘らず、警戒するかのように大げさに、顔を近付けて声を潜める。
「女帝陛下が内密に……何か大きな策をお考えのようなのです」
「策……? 茗に対抗するための……か?」
 少女は頷き、続ける。
「今は未だ、少なくとも形上は、聖安が茗に属していることにはなっていません。九年前の停戦協定が有りますから。でも、此処数年で茗の珠帝が開戦を望んでいると……専らの噂でしょう?」
 女傑珠帝の野望は大陸を統一し、人界を手中に収めることだと言われている。遥か昔神々が人界を創造して以来、誰も為し得なかった大業だ。
「珠帝は公主を人質に捕らえ、事実上聖安を手に入れたも同然……其れだけでは飽き足らず、我が国を属国とするつもりなのだな」
 先の大戦では聖安側が想定以上に強く抵抗したため、流石の軍事大国茗も一旦停戦を持ち掛けたという。
「人質として九年間、茗に囚えられているという姫は確か……」
「女帝陛下と先帝陛下の唯一の御子にして、第一皇女の蘭麗姫です」
 麗蘭自身も、偶然公主と似た名前だったためか良く覚えていた。蘭麗は九年もの間、茗の捕虜として常に命の危険に晒されている。
「私たちと同じような年頃の姫君だと聞く。九年もの間囚われの身とは……何と不憫な」
 聖安の民で、蘭麗姫に同情しない者は居ない。苦しく辛い戦争が中断し仮初でも平和が訪れたのは、ひとえに彼女の犠牲が在ってこそなのだ。
「せめて……姫を助け出すことが出来れば、状況は良くなるかもしれません」
「しかし、仮に助け出せたとすると開戦に為り兼ねないであろう? そうなったら、我らに勝てる見込みは有るのか?」
 麗蘭はそう口に出してみたものの、一聖安人として弱気な発言だっただろうかとは思う。只、至極自然な疑問だとも思う。
「六ツ国の中でも未だ茗に侵略されておらず、聖安と同盟を組もうとする国も有るには有るようです。それに、以前から親交の深い魔の国からの援軍も望めるかと」
 かつて風友から聞いたことが有る。聖安は人界の国の中でも唯一魔族の国と友好関係にあり、彼らが強力な後ろ盾となっていることを。先の戦では魔界も調度内戦の混乱に陥っており、援助を頼むことが出来なかったという。
「とは言っても……」
 頼もしい援軍の話を聞いても、麗蘭は不安を拭うことが出来なかった。
――国中、妖が跋扈(ばっこ)し、国の討伐軍の手も回っていない。そんな状態で再び……開戦など出来るのだろうか? 
 人間と妖は住処を分け合い、互いに牽制し合いながらも長き時を生きて来た。
 時に妖は糧として、あるいは己の悦楽のために人を襲い、傷付け殺す。人間は妖に対抗するために国の軍を作るとき、人間同士の争いに備えるのと同時に妖討伐の軍も編成した。武術に長けた者、そして神に近い力を備えた“神人”によって構成され、国を脅かす異形を滅ぼした。つまり、通常妖と戦うのは国の軍の役割だったのだ。
 国同士の戦争等で国が荒れると、妖討伐軍を動かす余力が無くなる。即ち、妖に対する戦力が激減することになる。
 言ってしまえば、妖が人々を脅かしているという状況こそが、其のまま国力の低下を意味しているのだ。
 麗蘭は此の数年妖討伐に何度も駆り出されたため、そうした事情は良く解っていた。


 其の後も、一刻程話していただろうか。
 麗蘭は少女に礼を言い部屋に引き取った。風通しの良い二階の和室で、窓際に腰掛ければ皇宮が見える。
 何時の間にか陽が沈みかけていた。
――明日は、朝から城に向かおう。
 落ち行く日の橙色の光に照らされて、麗蘭は静かに目を閉じた。
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