金色の螺旋

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第五章 天海の鵬翼

十一.別れの朝
 非天――人ならざる力に依って破壊された、西の城壁や家々の跡地には、千千に裂かれた人々の骸が腐臭と瘴気を漂わせながら残っている。
 此の惨禍を愉しみつつ、生まれ出た人々の悲しみや憎悪、怨嗟を糧として、更なる闇を膨れ上がらせながら力とする……其れが、黒巫女であり、黒神。
 無限なる邪穢な力は、琅華山を覆い尽くして山中の妖たちを呑み込んでいる。白林を襲った妖は其の一部に過ぎず、妖山には心を失い飢えと乾きにのたうつ者たちで溢れ返っている。
 壊れた西の城壁は依然、崩れ落ちたまま。瑛睡公が防衛の強化を図っているとはいえ、何時また狂った妖が押し寄せて来るか分からない。
 麗蘭と魁斗は優れた感知の力で、山を包み込む黒の神気と、根源たる何かの存在を感じ取っていた。つまり、其の『何か』を取り除きさえすれば、琅華山と妖は黒の神力から解放されるということだ。
 其れが分かった今、麗蘭たちの取り得る道は一つしかない。琅華山に蔓延る神気を消滅させた上で山を越え、茗に入国する。妖を放っておけないという麗蘭の提案に魁斗も蘢も賛同し、優花はやや憂慮しつつも頷いた。山越えか茗の両虎関突破か、どちらかを選択しなければならなかったのが、自然と一つに定まったというわけだ。


 惨事から一夜明け、麗蘭と蘢、優花は宿を発った。道すがら違う宿に泊まっていた魁斗と合流し、西門で優花と別れて出立する。白鶯大路を西へ行き、少し路地に入った所に在る小さな旅籠の前で、魁斗が待っていた。
「お早う。悪いな、寄ってもらって」
 角を曲がって来る麗蘭たちの姿を見付け、魁斗は清々しい笑みを見せている。
「お早う。いいや、私たちこそ支度に手間取ってしまい、遅れて済まない」
 麗蘭は言いながら、彼が背にしている建物を見て目を疑ってしまう。優花も同様の反応を示し、蘢もまた、面に出さず驚いている。昨日魁斗自身が言っていた通り、彼が滞在していた此の旅籠は、白林で見た他のどの宿屋よりも小さくて古めかしい。良く言えば小ぢんまりとした趣の有る宿だが、魁斗のような生まれも外見も輝かしい青年が泊まるには、余りにそぐわない。
「おまえら、何を驚いてるんだ?」
 きょとんとして麗蘭たちを見る魁斗だが、彼女たちの心情に直ぐ気付いたらしい。
「なかなか良い宿だったぞ。主人は気が利くし飯も上手い。宿代も安価で財布に優しかったしな」
 満足げに言う魁斗を、麗蘭と優花は不思議そうに見詰めている。自分たちが彼よりも贅沢な宿に泊まっていたことに対し、何処か罪の意識めいたものを覚えていた。
――麗蘭は、自分も皇族だということを忘れているんじゃないかな。
 彼女たちを横目で見つつ微笑する蘢は、言葉にせず心の中で思っていた。そして益々、魁斗への好奇心を募らせている。
「じゃあ、行こうか。瑛睡殿も見送りで来て下さると仰っていたし、急ごう」
 蘢の言葉で、一行は西門へと歩き出す。昨日あれ程の騒ぎに為っていた大通りも、今は人も少なく静まり返っている。新たなる門出に相応の晴晴とした秋麗に恵まれ、白林らしい乾いた風が吹き抜けて来る。
「魁斗は、もう何年も人界を旅しているのか?」
 魁斗の横を歩く麗蘭が尋ねる。昨夜聞いた話だと、彼は恵帝の助けで魔界を出て、その後数年間独りで各地を回っているということだった。
「何年も……と言っても、三、四年だけどな。聖安と其の属国を中心に、放浪の旅さ」
 今朝蘢から少し聞いた話に依ると、先代魔王の息子の中で飛び抜けて強い魁斗は、当然のように次期魔王に為ると目されていた。しかし何故か其の座を継がず、半ば逃げるようにして魔界を出て来たという。
「茗にも行ったことが有るの?」
 優花の問いに、彼は首を横に振る。
「いや、茗は避けて来た。世話になった聖安の敵国ということも有るし……余り好きじゃない国だからな」
 其の言葉には、深い事情を思わせる何かが内包されている。訊くことを拒否されたのではないが、何となく立ち入ってはいけないという気を起こさせる、何かを。


 西門に近付くにつれ兵の数は増え、防備のため集められた神人の神気も強く為ってゆく。城塞跡地に着いた麗蘭たちは、指揮官たちに指示を出していた瑛睡公の姿を見付けた。
「公主殿下、お久し振りでございます」
 些かやつれ気味の将軍が、麗蘭の前に片膝を付いて跪く。
「お久し振りです。またお会い出来て……嬉しい」
 幼い頃からずっと尊敬してきた、帝国一の名将瑛睡。皇女と為り、彼に傅かれる立場と為った今も、其の畏敬は変わらない。
「此の度は私の非力さゆえに、姫君の御手を煩わせることとなりました。弁解のしようもございませぬ」
 白林軍の主導権と全責任を負うのは総督である采州候だが、自分が視察で訪れている時の不始末を、瑛睡は酷く恥じていた。
「お顔をお上げください、公。貴公が出して下さった禁軍の御蔭で、街は救われたのです」
 敬愛してやまぬ将軍に謝られ、麗蘭は思わずたじろいでしまう。公主らしからぬ態度に他ならないが、彼女本人は其れに気付いていない。
「昊天君にも、申し訳が立ちませぬ。御自らお出でになるとは……」
「礼には及ばないぞ。あの忌々しい黒神の気を感じたから、行ってみただけだ」
 魁斗に促されて立ち上がると、瑛睡は畏まった所作を崩さずに麗蘭を見て、話し出す。
「琅華山を行かれるのですね……妖共を操る邪の元凶を断たれるとのこと」
「……はい。そして、其のまま茗へ参ります」
 将軍は、麗蘭の強い眼差しを見据える。数か月前紫瑤で会った時と比べ、目の前の少女が確かに変化していることを……彼は見逃さなかった。
――元より強い御方であったが、更に成長なされたな。
 麗蘭公主を初めて目にしたのは、彼女が生まれたばかりの赤子の時。そして次に見えたのが、数か月前の燈凰宮。どちらの時も、やはり恵帝に良く似ているという感想を抱いた。だが今は、彼の女帝とは異なる種の強さを感じる。戦うための力がと言うより、人としての成長……なのだろうか。
「貴女さまお一人に、重い任を負っていただくのは心苦しい……されど、私はこうして見送るしか出来ない。後出来ることは、貴女さまがご不在の間、此の命を懸けて祖国を死守すること」
 抑揚の無い低い声だが、彼の言葉には熱い激情が隠されている。聖安と其の皇家への忠誠、そして禁軍を統帥する帝国最上位の将としての誇りが生み出す、想いの奔流が滲み出ている。
「……蒼稀上校。此れまで通り、公主殿下を力の限りお守りしろ」
 瑛睡は麗蘭の後ろに立って居る蘢を見やり、声を掛ける。
「御意にございます」
 自信を孕んだ瞳で静かに首肯する蘢から、麗蘭の横に居る魁斗へと、再び視線を移す。
「どうか、我が国の姫にお力をお貸しください」
「無論だ。案ずるな」
 自分よりもずっと年上の上将軍に対しても、魁斗は堂々とした物腰を保っている。余裕に満ち満ちた笑顔がとても涼しい。
「其れと……」
 将軍は、蘢よりも更に後ろに居た優花へと目をやる。
「そなたが璋元上将軍の御弟子にして、公主殿下のご親友の優花殿か。お初にお目に掛かる」
 思いも掛けず話し掛けられ、優花は驚いて身を竦める。厳しい威厳有る顔付きだが、人当りの柔らかさを持つ瑛睡に対し、彼女は大きく息を吐いて頭を下げる。
「初めまして、伯優花と申します」
 初対面の上将軍が、如何して自分の名まで知っているのだろうと疑問に思っていると、蘢が口を開いた。
「君が紀佑さんから機密を預かっていることを、お伝えしたんだ。瑛睡殿が紫瑤まで持ち帰って下さるそうだよ」
「え……?」
 もう一度優花が瑛睡を見ると、彼は無言で頷いている。
「良かったな、優花。其の方がずっと安全に為る」
「うん、そうだね……!」
 麗蘭が明るい声で言うと、優花もほっとしている。阿宋山に持って行っても、いずれ風友から禁軍に渡る。どうせなら、禁軍の上将軍に直接渡す方が良いに決まっている。
「……だが優花、機密のことが無くなっても、おまえは阿宋山に帰るのだぞ」
 念押すように麗蘭が言うと、優花はこくんと首を縦に振る。
「分かってるって。体力も回復したし、皆を見送ったら一っ飛びで帰るよ……だから」
 其処まで言うと、優花は突然麗蘭の片腕を掴んで引っ張り始める。
「どうしたのだ?」
「……言いたいことがあるの。一寸、こっちに来て」
 他の者に聞かれるのは恥ずかしいが、別れの前に必ず伝えておきたいことがあった。昨日、宿で二人きりで話している時、落雷に邪魔をされて言えなかった言葉だ。
 男たちに声が届かない辺りまで麗蘭を連れて行くと、優花は親友の耳元ではっきりと口に出す。
「麗蘭、何が有っても……此れからもずっとずっと、私は麗蘭の味方だからね」
「優花……?」
 独りで背負うには、余りにも重く辛い宿命を持たされた、親友に掛けてやれる……心からの真実の言葉。
「麗蘭は、私の一番の友達。其のままのあんたが……ううん、どんなあんたでも、大好き。どんなに離れていても、何時でもあんたを想ってる。約束する」
 きらきらとした瞳で、ほんの少しだけ頬を染めながら、麗蘭を真っ直ぐに見詰めてくる優花。じわりじわりと生まれ出て、やがて横溢しそうになる喜びを感じながら、麗蘭も白桃色の頬を赤らめる。
「優花……ありがとう、ありがとう……! 私も……」
――おまえが、大好きだ。
 込み上げてくる嬉しさに涙が出そうに為る。気付けば麗蘭は、優花をきつく強く抱き締めていた。此れまで、こんなに温かな気持ちに為ったことがあろうか? 優花を友として、こんなに愛おしく感じたことが有っただろうか?
「行ってらっしゃい、麗蘭」
「ああ、優花……」
 今度こそ本当に、暫しの別れ――
 互いの立場は違えど、歩むべき道は異なれど、心は何時も側に在る。何時の日にかまた、必ず会える。
 固く信じて、麗蘭は優花と別れの道をゆく。
……向かうは妖山。そして目指すは、茗。
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