金色の螺旋

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第五章 天海の鵬翼

十.新たな仲間
 瑛睡公の指示で駆け付けた援軍に依って、暴れ回っていた妖たちは全て討伐された。死者は軍人、一般人合わせて五十人程度。麗蘭や魁斗が居なければ、もっと増えていただろう。
 街西側の防備の薄さが露呈し、初動の遅さから白林軍の統率力の弱さも明らかと為った。瑛睡は白林軍総督を呼び出し、軍編成の見直しと城壁周辺警備の徹底を命じる。
 妖の餌と為り、無残な屍と為り果てた憐れな者たちの犠牲により、「白林は絶対に崩れない鉄壁や精鋭に守られている」という、街の誰もが心の底に持っていた甘えを思い知らされた。
 失意に沈み悄然とした人々の間を歩き、麗蘭たちは優花が待つ宿の二階の部屋へと帰って来た。其の頃には既に小夜、外は真っ暗に為っていた。彼女たちの帰りを待ち侘びていた優花は、部屋に入るなり麗蘭の許へと走って来る。
「麗蘭! 無事で良かった!」
「優花……」
 麗蘭も、親友の顔を見て漸く息をつくことが出来た。あの混乱を潜り抜けられたことをやっと実感して、肩を撫で下ろす。
「蘢も大事無さそうだね! 城壁が壊れて妖が襲って来たって聞いて……気が気でなかったよ」
 泣きそうな笑顔で喜ぶ優花は、二人の後ろに居る見知らぬ青年に気付く。彼の姿を見ると、可愛らしい目を丸くして思わずじっと見入ってしまう。
「あ……えっと……」
 余りにも美しい風姿の偉丈夫が、優花の方を見て立って居る。思わず目を逸らしてしまった彼女は、心の中で小さく声を上げた。
――な、何なのよ、此の美形は……!
 蘢に出会った時も驚いたものだったが、あの時とはまた次元が違う。同じ空間で息をするのも不思議に思える程の、別世界の住人とでも表現すべきだろうか。何だかは分かりかねるが、とにかく此の青年からは常人とは違う空気を感じるのだ。
「……済まない、魁斗。優花は少しだけ人見知りをするのだ」
 自分の心情をまるで理解していないらしき麗蘭に、優花は気取られぬよう溜め息を吐く。魁斗はそんな優花に近付くと、柔らかく笑み掛けた。
「俺は伸魁斗だ。よろしくな」
「あ……はい、私は伯優花と言います。よろしくお願いします」
 ぎこちなくぺこりと頭を下げた優花は、魁斗という青年は見掛けによらず、案外気安い相手なのだろうかと思い始める。傍らで彼女を観察し、心の動きをほぼ正確に察知していた蘢は、殆ど顔には出さずに微笑ましく見守っていた。
 向かい合い座った麗蘭と蘢、魁斗に、優花が茶を淹れて茶菓子と共に持って来る。魁斗が其れを摘まんで口に入れると、麗蘭が先ず、問い掛ける。
「早速だが、訊いて……良いか?」
「ああ、何なりと」
 麗蘭も優花程ではないが、魁斗に対して言葉が滑らかに出て来ない。名前を呼び捨てにしているのも、何か抵抗感が有る。
 此処に戻って来る途中、麗蘭と蘢は、魁斗に敬語や尊称を使わないで欲しいと頼まれた。歳も近く身分も無いに等しいからというのが理由だが、仮にそうだとしても神の血を引く青年に対し、不遜過ぎるのではないかと心配に為る。
「おまえは先程、魔界とは切れていると言っていた。其のおまえが何故、恵帝陛下の依頼とはいえ私たちに着いてゆく気に為ったのだ? 魔の国と聖安との同盟が関係無いとすれば、何故?」
 最初から鋭い質問をしてくる麗蘭に、魁斗は深く頷いて答える。
「……恵帝陛下には、国を出る時に力を貸していただいた恩が有る。其の陛下が直々に、魔国ではなく俺個人に対し依頼されたんだ」
 其の答えだけでは細かい事情は分からぬが、何となく納得出来る内容ではある。
「加えて、其の力を貸してやって欲しいと頼まれた公主というのが、神巫女だって聞いたからかな。俺自身以前から、天帝の神巫女には興味が有った」
「光龍に興味……?」
 分からないという顔の麗蘭を見たまま、魁斗は続ける。
「……光龍は此の世で唯一、天帝以外に黒神を滅することが出来ると言うが、其れは本当か?」
 予期せぬ問いに、麗蘭は思わず答えに詰まるも、はっきりと首を縦に振る。
「本当だ。昔、一度だけ天帝陛下が降臨された時、此の耳で確かに聞いた」
 忘れもしない、四年前。麗蘭の前に現れたいと高き神の王は、自分と黒神の間には『理』が有ると言っていた。黒神を滅ぼせるのは天帝と麗蘭だけであり、反対に天帝を滅ぼせるのは黒神と闇龍瑠璃だけであるという、絶対の理が。
 ところが天帝と黒神には、双神であるがゆえの『絆』もまた、存在する。千五百年前に黒神が天を破壊し掛けた時、其の絆の為に天帝は黒神を殺せなかったのだという。
――ゆえに陛下は、私に命を下された。黒神を討ち滅ぼせと。
「そうか……其れなら、俺もおまえの力が必要だ。俺は黒神を何としてでも殺したい」
 するりと口に出された言葉だが、魁斗の目を見れば本気であることが窺える。相変わらず涼しげな顔をしているが、瞳には燃え盛る青い炎が立ち昇っている。
「……其れは、何故? おまえが闘神の血を引いているからか?」
 半神と言われるのを嫌がる魁斗にとっては、気分を悪くさせる質問かもしれぬ。だが麗蘭は知りたかった。此の青年が何故、黒神を嫌悪するのか。
 彼女や蘢の予想に反し、魁斗には気を悪くした様子など微塵にも無い。只其の目元を僅かに鋭くすると、静かに答える。
「いや、私怨だよ。奴には恨みが有る」
 言い切る彼に対し、此れ以上深掘することは未だ、出来なかった。黒神を敵として戦わなければならない麗蘭にとって、黒神を憎んでいるという答えだけ有れば今は十分だ。
「其れに……蘭麗のことも助けてやりたいからな」
「蘭麗姫のことを知っているのか?」
 何気なく出た魁斗の言葉に、麗蘭が透かさず反応を示す。蘢は何も言わぬまま、変わらぬ調子で魁斗に視線を送っている。
「ああ。子供の頃紫瑤に行った際、何回か会っただけだが」
 懐かしそうな目をする魁斗に、其れまで静かだった優花が突然尋ねた。
「ねえ、前から気になってたんだけど、蘭麗姫って……どんな人なの?」
 優花をはじめとする聖安の少女たちにとって、蘭麗姫は国を救ったという事実と其の麗しさで憧れの存在と為っている。姫本人を知っているという者に会えたのだから、訊きたくなるのは当然かもしれなかった。
「子供の頃のあいつしか知らないが、優しくて可愛いやつだったよ。顔立ちも雰囲気も、恵帝陛下に良く似ている……勿論、おまえにも」
 魁斗にそう言われてちらりと見られると、麗蘭は急に気恥ずかしくなって下を向く。
「……ところで魁斗、おまえはあの妖共をどう見た?」
「どう……とは?」
「奴等の血に、黒神の気が混ざっていなかったか?」
 麗蘭の言葉に、其れと感じるものが有ったらしい。魁斗は問いの意図を直ぐに解した。
「……ああ。間違いなく、裏で糸を引いているだろうな」
「黒神が妖たちを操っていたということ?」
 蘢が尋ねると、魁斗が腕を組んで頷いた。
「確かに黒神の力だったが……実際にあの場にやって来て動いたのは、奴本人ではないな」
 すると彼は、懐から布に包んだ何かを取り出して三人に示す。其れは、あの場で麗蘭に向かって射られた矢の一部分。魁斗が何時の間に、矢尻から指程の長さで折って持っていた物だ。
「麗蘭を狙った此の矢。僅かだが、未だ黒の神気が残っている……此れは神ではなく、人のものだ」
 矢先を手に取り、宿った力を感知しようとする蘢。殆どが消失し残っているのは幾ばくかであったが、其の気に触れた瞬間、体がぞわりとして凍り付く。此のまま触れていれば気がおかしくなりそうな、得体の知れぬ恐怖を呼び起こさせる。
――魁斗はこんなものをずっと持っていて……平気だったのだろうか。
 蘢から矢尻を受け取った魁斗は、再び包み直して懐にしまう。同時に、何かを黙考していた麗蘭が重い口を開いた。
「黒巫女……闇龍、瑠璃。其の矢を放ったのは、間違いなく奴だろう」
 厳しい表情で、断言する麗蘭。其のたった一言で、事情を知らない蘢と魁斗にも、麗蘭と『瑠璃』の間に並々ならぬ因縁が有ることが分かる。
「君は闇龍と対峙したことが有るんだね?」
 麗蘭の様子を窺いながら、蘢が問い掛けた。以前麗蘭から瑠璃の話を聞いていた優花は、不安げな眼差しで親友を見詰めている。
「……ああ。四年程前、孤校で……」
 彼女を居竦ませる苦い過去が、あの一矢に宿った禍々しい力のために呼び起こされ、瞼にまざまざと浮かんでくる。
「あの時、瑠璃は既に開闇を為していた。天帝陛下に助けていただかねば、私は恐らく……死んでいた」
 次に戦う時までに必ず、自分も開光し神巫女として真の力を得なければならない。さもなくば、待ち受けるのは死のみ。
――なのに、私は……!
 何故、開光出来ないのだろうか。予兆すら無いのだろうか。それとも既に、自分で気付かぬうちに……兆しは有ったのだろうか?
「麗蘭、おまえは未だ開光出来ていないんだろう?」
 そう尋ねた魁斗の声は、容赦が無い。
「光龍と闇龍の力は対極。もしおまえが開光していれば、黒神の気を浄化し犠牲を抑えられていたんじゃないか? 今回のことで、実力差がはっきりしてしまったな」
 反論しようの無い事実を突き付けられ、麗蘭は思わず目を伏せてしまう。黒神の力を浄化するという発想すらも、妖と戦っている時の自分には無かったが、実際にそんな力を有していたならば……思い付いていたのかもしれぬ。
「ちょっと……そういう言い方は……!」
 震えた声で抗議の言葉を発し掛けた優花の肩に、蘢が軽く手を置いて静止する。魁斗の身分を考慮したからではない。此処で麗蘭を庇う方が、却って良くないと考えたからだ。優花はそうした蘢の考えが読めず、納得出来ていない顔のまま仕方なく口を閉じた。
「……まあ、『もし』なんていう話はしても仕方が無いからな。開光なんて、本人の儘ならない部分も大きいだろうし」
 其の言葉は、麗蘭を慰めるためのものではない。同情でもなければ諦めでもなく、彼女を試そうとする意図が見え隠れしている。
「いや……瑠璃は為していて、私は為していない。対峙すれば私の敗北は目に見えている。此れは動かしようのない現実だ」
 再び話し始めた麗蘭は、顔を上げる。開き直っているのとも、強がっているのとも違う、力有る瞳。其の光で直視された魁斗は数瞬引き込まれて、息を止めた。
「魁斗、おまえは恵帝陛下から『神巫女』と聞いて、もっと完成された神巫女を想像していたのかもしれぬ。だが、此れが私なのだ。如何しようもなく……至らない人間だ」
 強く為らねばと焦る余り、独りで青竜に立ち向かった結果、蘢に深い傷を負わせた。相手との実力差を測れなかった訳ではない。力を併せた方が勝機は有ると、ちゃんと分かってはいた。其れなのに判断を見誤り、結局は優花に窮地を救われた。
――そもそも如何して、独りで戦わねば強く為れぬと思っていたのだろうか? 未だ未だだと言いながら、自分の力を過信していたのではないか……?
 愚かで、何処までも卑小な自分。だが蘢も、そして優花も、そんな自分を許して支え続けてくれている。
 蘢については心の奥で、自分が皇女だから……光龍だから、助けてくれるものだと思っていた。ところが彼のことを良く知る號錐と玉瑛が、蘢が其れだけの理由で命を賭ける人間ではないと教えてくれた。そう聞いてから、少しは自分に自信を持てるようになった。
……麗蘭は悟り始めている。弱い自分を認めることは罪ではない。焦燥するのではなく受け入れて、仲間に助けを求めることは、間違いではないということを。
「こんな私でも……許してくれると言うのなら、助けて欲しい。力を貸して欲しい」
 暫し無言のまま、麗蘭の瞳を見詰めていた魁斗は、頬を緩めて形良い笑みを浮かべる。其れは何処か満ち足りた表情で、先程までの険しさは綺麗に無くなっていた。麗蘭だけでなく蘢、優花にも、其の反応が了承の意を示していると分かる。
「蘢も、そして優花も。今まで当たり前のように助けてもらっていたな……どうか此れからも、よろしく頼む」
 二人の方へも向き直り、畏まって頭を下げる。蘢と優花は少々驚いた様子ではあったが、どちらもしっかりと頷いた。
「私の方が、もう何度も何度も助けてもらってるよ」
 何を今更、とでも言いたげな優花は、魁斗に手厳しく指摘されても気落ちしていない麗蘭を見て、幾らか安堵の色を見せている。
「自分の宿に独りで向かおうとする……君の並外れた勇敢さに、僕は敬服している。でも、そう言ってもらえるとやっぱり嬉しいね」
 何時もと同じく物柔らかに笑む蘢。麗蘭は、面映ゆい顔を隠して下を向いた。
「なかなか人に頼れないっていうことは、意地張りなのか、真面目過ぎるのか、どっちだ?」
「真面目で責任感が強くて、優しいんだよ」
 悪戯っぽく言う魁斗に、優花は自信を持って答える。俯いたままの麗蘭を、蘢が穏やかで優しげな目付きで見ている。
 妖に踏み入られ、惨劇の舞台と化した街で戦っていた先刻からすれば、嘘のように静かな時間が流れてゆく。
 魁斗という新たな仲間を得て、此の後進む先は、敵国茗。巨大な敵を前に聖安で過ごす最後の夜、麗蘭は仲間と共に、改めて想いを一つにする。
 竜の化身青竜と、其の主である茗の女帝、珠玉。そして此の白林で垣間見た、最大の宿敵である黒神と、瑠璃の影……底知れぬ脅威への恐れを、奮い起こした決然たる勇気で退けて、麗蘭は走り出す。
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