金色の螺旋

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第六章 妖霧立つ森

八.森の果て
「蘢、魁斗!」
 彼らの気を頼りに走り続けた麗蘭は、霧の中で漸く其の姿を見付けることが出来た。
「やっぱり麗蘭だ……!」
 魁斗と共に走って来た蘢は、麗蘭の前まで来ると胸を撫で下ろす。急いでいた麗蘭は隠神術を用いていなかっため、二人も彼女の神気に気付いていたようだ。
「麗蘭、黒神の力が突然引いたが、何があったか知っているか?」
 麗蘭と合流し安堵した面持ちの中に、ほんの少しだけ険しい色を覗かせた魁斗が尋ねた。
「……ああ。力の源であった黒神の神剣を抜き、神術が解けたのだ」
「黒神の神剣……? まさか、淵霧のことか? あの剣が此処に……」
 何故か過剰な反応を示す魁斗を不思議に思いながら、麗蘭は頷く。
「其れで、おまえが淵霧を抜いたのか? あんな物を抜いて大事は無いのか?」
 口振りから、魁斗は淵霧を見知っているようだ。麗蘭を案じつつも、普段の彼からは余り感じられない激情を含んだ様子がはっきりと表れている。隣の蘢も、麗蘭に向けて心配そうな視線を送っている。
「いや、私が抜いたのではない。あれを抜き、持ち去ったのは……妖王だ」
 麗蘭の想定していた通り、魁斗も蘢も驚きの余り耳を疑った。
「『領土を侵された』からだと言っていた。奴らは兄弟であり、同じく非天ではあるが、ある程度は離れた関係らしい」
「……では細かい理由は如何あれ、今回は僕らと最終目的が一致したわけだね」
 腕を組み、難しい顔をする蘢。
「君は何年か前に妖王と剣を交えたと言っていたけれど、今回は戦わなかったの?」
「ああ、奴に其の気が無かったようだ。戦うどころか、私に『開光の条件』を伝えてきた」
 妖王の真意が『退屈凌ぎ』や『黒神への嫌がらせ』だと考えても、やはり解せなかった。麗蘭が開光するということは、其の力で妖王をも討伐せんとする脅威に為りかねないというのに。
「珪楽に在る神剣『天陽』を手に入れることが、条件の一つらしい。正直信用して良いか分からぬが、いずれは『神を殺せる剣』を手に入れなければならないからな」
 妖王が明かしたもう一つの『条件』について、麗蘭は一端話さないでおこうと決めていた。具体的ではないし、曖昧なままで言わぬ方が良い内容だと思っていた。
「五百年前の光龍を祀る地、珪楽か……茗の都洛栄へ向かう途中に在るし、行ってみる価値は有るか」
 黒神の剣の話題で気を昇ぶらせていた魁斗は、何時の間にか冷静さを取り戻して彼らしい笑みを見せている。
「一先ず此処での用は済んだな。先を急ごう」
 歩き出した三人は、恐らく西であると思われる方向へと進んで行く。再び隠神術を用い、妖に出会さぬよう細心の注意を払う。
「麗蘭、此れは伝えておいた方が良いことだと思うんだけど……僕たち、さっき闇龍と会ったんだ」
「瑠璃と……?」
 麗蘭が自分の直ぐ横を歩いていた蘢を見やると、やや先を歩く魁斗が口を開いた。
「黒衣で顔を見せず気も完璧に隠していたが、黒神に仕える大妖を手懐けていた。ほぼ間違いないだろうな……奴のことを主だと言っていたし」
「……直接戦う前に消えてしまったけどね」
 其れを聞いた麗蘭は目を細め、暫し沈思した後にぽつりと尋ねる。
「幻影の類ではなく……実体だったか?」
「あの感じは生身だろうな。気を消していたから確証は無いが」
 質問の意図を疑問に思いつつ、魁斗が答えた。歩みを止めること無く俯いた麗蘭は、先刻幻の瑠璃と見えたことを話し始める。
「只の夢なのか、誰かの幻術なのかは分からぬが……私も瑠璃に会ったのだ」
――四年前と変わらず、私を『敵』として見ていた……それに、瑠璃だけではない。
「瑠璃が消えた後は……蘭麗姫と会った。恐らく、夢郷で……」
 改めて声に出してみると、単なる夢ではないかと思えてくる。しかし実際は余りに辛く、胸が痛く為る残酷な出会いだった。夢にしては妙に鮮やかで、細部までしっかりと記憶に残っているのだ。
「……黒神の力が及んだんじゃないか? 奴の力と気は人を惑わせ、容易く奈落に突き落とす」
 自分も経験したことが有るかのような魁斗の言葉に、麗蘭は小さく首を傾げる。
「瑠璃の方はそうかもしれない……だが、姫の方は何かが違った。人の夢に現れるという彼女自身の力だと……言っていた」
「夢に現れる力……」
 繰り返した魁斗には、少なからず思い当たるものが有るように見えた。
「確かに、蘭麗にはそういう力が有ると……昔本人から聞いた気がする」
「そうか……では、やはり」
 彼の発言で、夢の中で会った蘭麗が本人だと益々確信を深める麗蘭。直接ではないにしても、彼女と会えたことは本当に嬉しい。しかし麗蘭の表情に出ているのは喜びではなく、悲痛に溢れた苦しみの心。其れを感じとったのか、蘢も魁斗も詳しい話を聞こうとはしなかった。
「……瑠璃は如何だった? 強く美しかっただろう?」
 不意に尋ねられ、青年二人はぎくりとする。顔を見たわけでもないのに、妖艶な身体に魅了され目を奪われたなどと、麗蘭に言えるはずもない。
「うん……顔を隠していて良く見えなかったんだよね」
「隠神術や防御の術を使いこなしていたところを見るに、強そうだということは分かったけどな」
 自然に返した蘢に、魁斗も巧みに合わせる。決して……嘘は言っていない。彼らの返答を素直に受け止めた麗蘭は、何の疑いも抱かずに「そうか」とだけ言ってまた前を見る。
 時折言葉を交わしながら、三人は妖気が弱まっていく方へと進んで行く。山を越えた先は、敵国茗。炎の女傑、珠帝が統治する大帝国の、浩浩たる領地が横たわっている。
「此の森……相変わらず妖気は凄いけど、何だか雰囲気が変わったね。静かで……穏やかだ」
 そう言って、蘢は空へと伸びている黒い香木を見上げる。
「……そうだな、太古より生きてきた山だ。人の智を越えたものが棲んでいて、元来の姿を取り戻したんだろう。何か、言葉にし難いものが有る」
 蘢と共に妖たちに散々邪魔された魁斗も、此の地に対して悪い印象は持っていないらしい。麗蘭もまた、同じだった。
「森を抜けたら、茗人から隠れつつ蘭麗を探さねばならぬのだな。妖相手よりも厄介かもしれぬ」
「だが、楽しみじゃあないか? 何時見付かって捕まるか、何時強敵と鉢合わせして戦いに為るか、はらはらしながら異国の地を旅するんだぞ」
 幾らか不安そうにしている麗蘭を勇気づけるためなのか、心から状況を愉しんでいるのか分からぬが、魁斗は快活に笑って話している。
「僕も其の点は楽しみだな。今の時世、茗の国情を此の目で見られる機会なんてそうは無いことだし」
「蘢もか……」
 軽く溜め息をつき笑みを零した麗蘭は、そんな彼らを改めて頼もしく思うと同時に、感謝する。
――どうしてだろう、とても辛いことが有ったはずなのに……少しだけ、苦しみが和らいだ気がする。
 迷霧の森の出口は、直ぐ其処まで近付いていた。
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