金色の螺旋

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第十章 落暉の女王

九.目指すは、旅の終わり
 珪楽出立から五日目、麗蘭と蘢は帝都洛永の在る遼州に入った。
 遼州は都を中心に古来より栄えた州であるが、面積は茗が有する州の中でも小さい部類に分けられる。立ち入ってしまえば、都までは直ぐだ。
 開戦後時が経つと共に、聖安人に対する人々の警戒心は強く為っている。止むを得ず町中を歩く時は、二人共顔を隠して人との接触を避けねばならなかった。
 洛永に近付くにつれ兵の数も増えたが、細心の注意を払ったため発見され交戦する事態には陥らなかった。そして此処においても、珠帝が触れを出すなどして本気で麗蘭を探しているとは思えなかった。
 討伐軍が足りているらしい遼州では、妖の襲撃に遭うことも減った。敵兵に見付かりそうに為る危ない場面もあったが、当初蘢が予想していたよりも早く、彩霞湖を取り囲む広大な森に到着した。
 此処まで順調に思われたが、敵国深くに侵入した今、麗蘭が恐れていた事実が明らかと為った――黒神の気をはっきりと感じられるように為ったのである。
「間違いない、奴だ」
 眉根を寄せて険しい顔をした麗蘭は、隣を歩く蘢に確信を持って言う。蘢も探ってはみたものの、其れらしき気は感じられなかった。一介の神人では読み取れない、微弱な量なのだろうか。
「微々たるものだが隠す気は無いらしい。奴本人なのか瑠璃なのかは、判別出来かねる」
「此の近く?」
 問われると、麗蘭は自信有りげに頷いた。
「ああ。都の方ではなく、私たちが今向かっている方角にな。奴らが姫に接触していないかどうか心配だ」
 黒の勢力が蘭麗に接近する――今までは気にしていなかった事柄を意識させられ、麗蘭は強い不安を抱いていた。彼らに依って蘭麗に危害が加えられるなど、許し難く堪え切れない。
「……とにかく、今は急ぐしかないね」
 当然蘢も憂慮していたが、其れだけの反応に留めるしかなかった。麗蘭が黒の気を追うのに集中している時、彼は周囲の異常を察知していたからだ。
「かなり居るみたいだ」
 蘢が歩みを止めることなく小声で言うと、遅れて気付いた麗蘭が天陽を握り直す。
「暫く走れば撒けるだろうか」
 強い神力を感じた訳でもないが、二人で戦うには決して楽ではない数の敵が方々に潜んでいる。体力を温存するためにも、出来る限り戦いは避けたかった。
「やってみよう」
 言い終わると同時に蘢が走り出し、麗蘭も後に続いた。木々の陰から姿を現した敵兵が彼らを追い、背中に矢を射掛けてくる。敵の数は見えているだけでも二十を超え、未だ身を隠している者も居ると思われた。
「女は狙うな!」
 背後から叫び声がして、蘢の方ばかりに矢が飛んでくる。彼が剣を抜き難なく弾き返していると、やがて距離が離れて狙いが付けにくく為ったのか、射撃がぴたりと止んだ。
 見通しも足場も悪い森の中、麗蘭と蘢は軽々と樹木を避けて走り抜ける。二人共かなり足が速く、追い付いてくる者はいなかったが、其れでも執拗に追って来た。
「あの軍服……茗の禁軍だね」
 再び剣を鞘に納めた蘢は、走りながら麗蘭を横目で見て言った。
「おまえばかり狙うというのは……」
「うん、恭月塔に近付く者を排除しようとしているだけとは思えない」
 蘢は、敵が此方の正体を知った上で動向を掴み、襲ってきていると考えていた。自分を殺して麗蘭は生け捕りにする積もりなのだ――と。 
 同じ景色の続く道を走り抜け、後ろの敵が見えなく為ると前方に低い崖が在った。其の上から突然数人の人影が出現し、またもや蘢を狙って弓を引く。
 咄嗟に呪を唱えた麗蘭は、蘢の四囲を神気で覆って白い壁を築いた。彼が剣を振る必要もなく、幾本もの矢が風の壁に阻まれ、勢いを無くして地に落ちた。
「ありがとう」
 麗蘭に礼を言い、蘢は剣を構えた姿勢のまま彼女と背中合わせに為る。彼は崖上の弓隊と、麗蘭は背後から追って来た弓隊と、それぞれ対峙した。
「悔しいけど、向こうに地の利が有り過ぎる。僕を殺そうとしているのは明らかだし、一緒に居ると君が動きにくい」
 彼は、敵は麗蘭を捕らえようとしても害を及ぼすことは無いと直感していた。攻撃されないとすれば、彼女一人で十分いなせるだろう。敵も二分されて数が減れば猶のこと。
 こんな森の中での攻防で、命を狙われている自分と一緒だと、巻き添えで傷付いたとしてもおかしくない。加えて彼女のことだ。先程のように蘢を庇おうとするに違いない。
「……別行動を取ろうか」
 蘢の申し出に対し、答えに迷う麗蘭。つい先日まで蘢が臥せっていた事実を考えると尚更、共に居て助け合う方が良いのではないかと思う。
「互いを気にするより、めいめい走る方が逃げ易い。僕は君を信じているし、僕自身にも逃げ切る自信がある」
 其の言葉を聞き、麗蘭は気付かされた。彼の提案は、自惚れや虚栄心から出た無謀な賭けではない。麗蘭を対等な仲間として信頼し、任せるという気持ちの表れなのだと。
――私も、蘢を信じねば。
 そう思い至ると、彼女は首を縦に振っていた。
「分かった。蘭麗姫の許で落ち合おう――もし落ち合えなくても、互いに姫を救うことを第一に考えよう」
 麗蘭の言葉にもまた、仲間を心から信ずる決意があった。彼女が己の意図を解し、想いに応えてくれたと確信した蘢は、目を輝かせてしっかりと頷いた。
 二人は正面の崖に突き当たって分かれ、麗蘭が左、蘢が右へと走って行く。敵兵たちは想定外のことに混乱していたが、蘢の読み通り隊を分けて彼らの後を追う。
 目指すは旅の終わり――未来を背負った二人の若者は、敵の潜む危険な森を奥へ奥へと駆けてゆく。
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