金色の螺旋

前に戻る目次次へ

終章

一.真相
 人界と魔界の狭間――天の光が届かぬ昏く深い窪みの底。人が立ち入れぬ此の地は、永の封印より解かれた黒の邪神が好んで訪れる異境である。
 広大な土地には山や森、湖や川が在るが、生有るものは一つとして存在しない。黒神や黒巫女に従う非天たちが時折訪ねて来るとはいえ、其の他の者たちは畏怖して寄り付きもしない。
 樹々や水も、空も土も、凡ゆるものが鉛色の世界。ある者は此処を『狭界』と呼び、またある者は様々な別の名で呼んだ。
 描いていた凶事全てをやり終え、黒神は闇の森へと帰って来た。色彩を欠いた樹木たちの間を数歩進むと、気配を感じて歩みを止める。振り返ってみれば、想像した通り異母弟が独りで立っていた。
 相対した妖王は、外套の下に持っていた一本の剣を黒神に差し出す。泰明平原で態態拾って来たのだろうか――黒神が瑠璃を通じて珠帝に貸し与えた、神剣淵霧だった。
「『今回は』此れで終いか。大方思い通りに運んだと見えるが」
 兄に剣を返しつつ、妖王が問い掛ける。受け取った黒神は、珍しく好奇心の表れた瞳で弟を見た。
「君の考えを聞かせてもらえる? 君は強過ぎて、内側が見えないんだよ」
 何気ない一言に、妖王は驚きの色を示す。
「そんな制約が有るとはな。俺の他にも見えない相手が居るのか」
 返答は無かったが、妖王にも予想することは出来た。答えないということは屹度『是』なのだろうと。
「元々は千五百年前の土竜討伐で得た力だからね。神に成り損ねた獣の力なんて、高が知れているのさ」
 かつて黒神は、土竜を滅さず己に同化させたと聞いていたが、読心術が其の際手に入れた能力だとは初耳だった。今回金竜を取り込んだのも、似たような目的があったのかもしれぬ。
 異母兄の命通り、妖王は自分の推量を抑揚無く話し始めた。
「青竜が望んだのは、珠帝の命を守れる力。あんたが其れを与える代わりに青竜から奪ったのは、真の王であった珠帝――茗を守る砦だった青竜をあの女の欲望のため自ら殺させ、王徳を捨てるように仕向けた」
 妖王は、珠帝とも青竜とも面識が無い。飽くまでも、一歩引いたところから眺め見ていたうえでの推測に過ぎない。
「あんたに金竜を滅してもらうよう願った珠帝は、青竜も救ってもらえると信じていた。だがあんたは『其の時』に出て行かず、珠帝は止む無く己の手で青竜を殺す羽目に為った。金竜や昊天君からは守ったつもりが、結果的にあんたに掠め取られることに為ったわけだ」
「……驚いた。君は本当に良く見ているんだね」
 黒神は当たっているともいないとも言わなかったが、当たらずと雖も遠からずというところなのだろう。
「珠帝が最後に求めたのは青竜という一人の男の命。結局あの女も只の人間に過ぎなかったのだろうが、青竜はさぞや狂喜したことだろう」
 そう分析した妖王の声には、微かな落胆が表れていた。史上稀に見る女傑であった珠玉も、人としての性や業には勝てなかったと見たからだ。
「だが一つ、解せぬことが有る。あんたが珠帝をも殺したのは、何故だ?」
 詰まるところ、妖王が最も興味を持っていたのは其処だった。金竜を屠り糧にしたのは解るが、王の徳を失くしていた珠帝など、黒神にとって何の足しにも為らない。むしろ普段の異母兄ならば、珠帝を殺さず生かしておくだろう。王ではなくなった彼女が如何なる道を辿るのか、興が湧かぬとは思えない。
 理由として考えられるのは只一つであり、其れは『今の』黒神からは生まれるはずの無いものだった。
「さあ……何故だろうね。何となくそんな気分だったものだから」
 期待してはいなかったが、やはり曖昧な答えだった。惚けているのか自分でも分からないのかすら、教えてくれる気は無いらしい。
「人界を巻き込んで興じながら、金竜の力まで手にいれた。何時ものことながらあんたのやり口には恐れ入った」
 出した声は平坦なものだが、妖王は感服していた。但し、異母兄の残虐さを真似したいというわけではない。
「天帝はさぞや怒っているだろうな。だが、麗蘭を開光させてやったことには感謝するのではないか?」
「兄上に感謝してもらうことなんて、一つも無いよ。彼女を目醒めさせたのは、僕の目的を遂げるためなんだから」
 皮肉を籠めた妖王の言葉に、黒神は口元を緩めた。
「もう行くよ。瑠璃が待っているだろうし」
 森の奥には、主を待つ健気な黒巫女が待っている。黒神が彼女の許へ急ぐのは、忠実な配下を思い遣ってのことなのか否か、妖王の探れるところではない。しかしいずれにせよ、当の瑠璃にとっては酷な仕打ちであろう。
「また……ね。『紗柄』の魂を見守る積もりなら、そう遠くないうちに会えるよ」
 麗蘭の名を出さず、敢えて紗柄と言う辺りに、妖王は黒神の意地の悪さを垣間見る。自分の心は読めないと言うものの、本当なのか如何にも怪しい。
 近い未来、麗蘭に齎す新たなる災いと試練を予感させ、黒神は立ち去った。妖王は彼女の不運を憐れむが、同情以外には何もしてやれない。
「次は、奪われぬようにすることだ」
 紗柄と麗蘭――どちらに向けた忠告なのか自身でも分からぬまま、妖王は独り言ちた。踵を返し外套を翻すと、何処へともなく掻き消えた。
前に戻る目次次へ
Copyright (c) 2012 ami All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system