金色の螺旋

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第三章 竜の化身

七.揺らめく邪眼
 翌朝朝餉を取って直ぐ、麗蘭たちは紀佑と啓雲に暇を告げて出立した。
 すっかり蘢に懐いていた啓雲は大層寂しがったが、彼は幼くとも聡い少年らしく、駄々を()ねるようなことはしなかった。
 三人が居なくなった屋敷は、また此れまで通り閑散としている。啓雲は長い木の棒を持ち、広々とした居間で独り剣劇ごっこをしていた。
「あらあら、昨夜の続き? 蘢さんに遊んでもらったのでしょう?」
 くすりと笑んで、紀佑は叩きを掛けながら息子の遊びを見守っている。
 両足を程良く開き、両膝はぴんと伸ばしてやや前に傾けてしっかりと立つ。教わった通りの姿勢を作り、正しい持ち方で『剣』を握って前方を直視する。中々様になっているので、紀佑は感心していた。
「……母上、僕、やっぱり軍人に為りたい」
 決して気まぐれ等ではない。何かを決意した静かで落ち着きの有る声で、彼はそう言った。其の言葉が以外だったようで、紀佑は僅かばかり驚いた顔をする。
「如何いう風の吹き回し? あんなに嫌がっていたのに」
 啓雲の表情が真剣だったので、紀佑は手を止めて彼の側に腰掛ける。
 彼女はそろそろ息子を何処かの学校に通わせなければと思っていた。そうなると、普通に学問のみを学ぶ学校か、士官の養成学校である軍学校という選択肢が有る。啓雲は前々から軍人には為りたくないと言って、母や親戚が勧めても頭を縦に振らなかった。
 紀佑は其の理由を、啓雲の言動の端々から何となく分かっているつもりだった。母と自分を置いて戦で逝った……武官である父が、赦せなかったのであろうと。
「もしかして、蘢さんみたいに為りたいと思ったとか?」
 自分の中で、動機の半分を占めていることをずばり言い当てられ、啓雲は気恥ずかしくなって俯く。解りやすい、子供らしい子供だ。
「……蘢さんが教えてくれた。父上が、凄く立派な上官だったって。自分が危険を冒してまで父上たちを救ったのは、皆が素晴らしい人たちだったからだって」
 蘢という青年を知らない者が聞けば、英雄たちを救った者として自らを良く見せる為の、業とらし過ぎる理由である。しかし啓雲も紀佑も蘢の人となりに触れて、其れが蘢の心からの言葉であることが解っている。
――あんなに立派な……蘢さんみたいな人が、助けたいって思ったんだ。やっぱり父上は武人として、強くて頼もしかったに違いない。
 母の手前、余りに恥ずかしくて照れるので口には出さないが、其れが啓雲の本心である。だが紀佑は息子の様子を見て彼の心を悟り、大きく幾度も頷いた。
……調度其の時、誰かが戸口を叩く音が聞こえて来た。
「僕、出るよ」
「そう? じゃあお願い。直ぐに追いかけるから」
 啓雲は棒を壁際に立てかけ、ぱたぱたと走って行く。ふうと息を吐いてから、紀佑も叩きを置いて両手を濡れた手拭いで拭き、早歩きで啓雲を追う。
 すると突然、がたんという何かが倒れる音と、息子の大声が耳に入って来た。
「わあっ!」
「……啓雲!?」
 何事かと思い門口へ急ぐと、紀佑の目に信じたくない光景が飛び込んで来た。戸の外側に見知らぬ大きな黒尽くめの男がおり、啓雲が動けぬよう彼の首の後ろを掴んで立っていたのだ。
「母親か」 
 黒い覆面の男、青竜は、啓雲を放さぬまま紀佑の方に向き直る。左手で彼の口を覆って声を出せぬようにし、更に匕首(あいくち)の刃を首筋に当てる。
「大人しくしていれば危害は加えぬ。只一つ、質問に答さえすれば良い」
 自分を脅かす刃の冷たさを感じ、泣き出しそうな目で母を見詰める啓雲。紀佑は恐怖で竦みながらも、強い目できっと男を睨んだ。
「少女と……もう二人が此処に居たのだろう? その者たちの名を教えろ。其れだけで良い」
「……何のことか分かりませんわね」
 彼女は首を傾け、自然に知らぬ振りをしてみせる。だが不幸なことに、此の男には通用しなかった。
「惚けるな。私は確かに、三人の気を感じた。今も其の残滓が僅かに残っている」
 鋭い目元を緩めることなく、啓雲に向けている匕首をより強く押し当てる。紀佑は其れを見て、男を誤魔化すことは不可能だと悟る。強い神人というのは神気を読み取り、相手が其の場に居なくても、残り香で存在を知ることが出来るのだと聞いたことがあったのだ。
――其れでも、話す訳にはいかない。
 麗蘭と蘢は、何か事情が有って旅をしているようだった。会話の中から何となく、自分たちのことを詳しく話したがらない様子が窺えたし、紀佑も敢えて訊こうとは思わなかった。更に優花には、重大な軍事機密である文書を託している。
 男の狙いは果たしてどちらなのか、紀佑には分からない。
――どちらにせよ、こんな危険そうな男に……何も知られてはならない。
 昔から何かと世話になっている風友の弟子である、麗蘭と優花。そして夫の危機を救った、恩人である蘢。彼らはたとえ自分や啓雲の命が危なくなっても、義理を尽くさねばならぬ者たち。
「……如何しても話さぬと言うか?」
 青竜は右目を細め、紀佑を一層威圧する。彼女は啓雲を一瞥すると、拳にぐっと力を入れた。
 啓雲の方は当然怯えながらも、母が絶対に男の要求を呑まないことを知っていた。誰かから受けた恩は決して忘れず、いつか必ず報いよと、紀佑は息子に常々言い聞かせている。恩を仇で返すこと等人に悖る品の無い行為であり、亡き父の名誉にも傷が付くと口を酸っぱくして言っている。
 やがて、青竜は小さく溜息をつく。左の手で啓雲を捕らえたまま匕首をしまうと、自分の左目を覆っている面を取る。
「……致し方ない」
 男がそう言ったかと思えば、次の瞬間、現れた左目が紀佑を直視し捉えた。
――黄金の……眼?
 右目とは色の異なる、底光りする金色の瞳。決して人の物ではないであろう妖光を纏わせ、魅入られた者を引き込み縛り付ける邪眼である。
「あ……!」
 認識した時には、紀佑の身体が固まっていた。頭の上から爪先までが硬直し、石化したように動けない。声が出せないどころか、呼吸すらもままならない。
 紀佑から一時も目を逸らすことなく、瞬きすることなく只じっと見据える青竜の眼。彼女が覚えているのは、身体の内も心の奥も、全て其の邪光の前に晒され広げられて、隈無く見られているような感覚だった。 
「んん!」
 啓雲は母の様子がおかしいことに気付き、何とか抵抗を試みる。手足をじたばたと動かし、もがきながら男の腕を振り解こうとするが、男の力は余りに強く、また余りに固くびくともしない。
――蒼い髪の青年が見える。名は……やはり、蒼稀蘢か。
 相対する者の記憶を探り、欲する情報を映像として覗く。其れが、蒼竜の左目に宿った力の一。彼が垣間見たのは、紀佑に向かい蘢が名乗った場面であった。
 蘢の名を確認すると、男は小さく頷く。しかし紀佑を縛す邪視は弱めない。再び彼女の心を覗き、記憶に刻まれた映像を凝視する。
――娘が二人……そう……間違いない、あの太陽色の娘だ。
 男には、解る。自分が探し求めている娘、神に仕えし娘がどちらであるかを。
――太陽色の髪を束ねた、あの娘の名は?
『私は清麗蘭と申します』
 凛とした清く涼やかな声が、響く。
「……麗蘭」
 其の名を心の底に落とし込むかの如く、深く頷いて繰り返す。
――其れが今生での名か、神巫女よ。
 求めていた情報を得られたためか、青竜は漸く紀佑から目を離し、解放する。糸を切られた()り人形のように力を無くした紀佑は、かくんと膝を折り倒れゆく。啓雲を抱えたままの青竜が、空いている右腕で彼女の身体を支えた。
「母上!」
 青竜の腕から放たれた啓雲は、ぐったりとして項垂れている母を見る。顔を伏せているので良くは見えないが、目を閉じ意識を失くしているようだ。
「……気を失っているだけだ。直に目を覚ます」
 左目に再び面を付け覆い隠しながら、淡々とした声で言う。
 啓雲は其の言葉にほっとするが、身体の震えは止まらない。男は母に何をしたのか、そして此れから自分たちを如何するつもりなのか解らずに、恐れている。
――怖い、けど、母上を助けなきゃ。
 恐怖と不安に支配されながらも自分を見上げ、強い眼差しを向ける啓雲を暫し見詰めると、青竜は無言のまま歩き出す。紀佑を軽々と抱きかかえて邸の戸口前まで来てから、身を屈めそっと彼女を下ろした。 
「目が覚めた時、母は私のことを何も覚えておらぬはずだ。母を思うのなら、何も言わないでやれ。二度と思い出さずとも良い恐れだ」
 男の意外な言葉に、啓雲は首を傾げる。
――母上を気遣っているのだろうか?
 紀佑を壁にもたれ掛けさせて座らせると、青竜は立ち上がって再び啓雲を見下ろす。
「劉少将の息子か……手荒なことをしたな」
「え……?」
 男が何故父の名を知っているのか、問い掛ける間も与えずに、啓雲と紀佑に背を向けて去って行く。
 啓雲は男があっという間に遠ざかり、その姿が小さくなってゆくのを見届けてから、正体を失った母を抱き起こした。
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