金色の螺旋

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第七章 光焔の剣

四.神巫女の村
 清光輝き渡る地、珪楽。神霊が棲むと言われる森に囲まれて小さな村が在り、敬虔な人々が慎み深く暮らしている。彼の地に宿る神気は強力で、非天に属する者を決して寄せ付けない。
 少しでも『気』を感じ取れる者ならば、一歩踏み入れば其処が外と隔絶された別世界であると分かる。圧倒的な量の神力のためなのか、木々を揺する快い風も、其の風に運ばれて来る小鳥たちの晴れやかな囀りも、森を彩る色さえも、五感で感じるものの全てが特別であるように思える。
「凄いな、神域に入ったのが直ぐに分かった。確かにこんなに澄んだ空気なら、妖たちは入れないね」
 持っていた地図をしまうと、蘢は溜息を漏らした。隣を歩いている麗蘭は彼の言葉に何も応えず、周囲をぐるりと見回す。
「来たことが有る気が……何故だろう? 茗に来たのは初めてなのに」
 自分でも此の既視感が良く分からないらしく、戸惑う麗蘭。記憶を辿り、思い出そうとしてみるが、やはり訪れたことはないはずだ。
「……何か理由が有るのだろうね。此処は光龍にとって特別な処だから」
 かく言う蘢も、聖地に入ってからというもの言い表せぬ感覚を抱いていた。来たような気がする、とまではいかないまでも、此の地に漂う聖性に懐かしいものを感じるのだ。
「とりあえず、人を探そうか。森を抜けた先に巫覡たちの住む村が在るんだったね?」
「ああ、確かそういう話だ」
 珪楽は人界中に名を知られた聖地。敵国の民である麗蘭や蘢にも僅かな知識は有る。五百年前に神剣天陽を封じて以来、力の有る巫覡の一族が、剣を守りながらひっそりと生き続けてきたという。
「光龍に仕える一族……か。失望されることが無いと良いのだが」
 自信なさげに苦く笑う麗蘭に、蘢が首を横に振った。
「君は其のままで、君らしくしていれば良いよ。無理に光龍として振る舞う必要は無い」
「……ありがとう」
 麗蘭が募らせている不安を見抜き、振り払おうとしてくれる蘢。彼の優しさと気遣いには、何時も助けられている。
 其処でふと、近付いて来る人の気配に気付く。二人が進行方向へと目をやると、一人の少年が走って来た。
「村の子……かな?」
 息急き切って駆けて来る少年を見詰めて言う蘢に、麗蘭も頷く。
「そうかもしれぬ。神人のようだ」
 見知らぬ少年は麗蘭の前まで来ると、苦しそうに身を屈めて膝に手を付き、弾んだ息を整えた。走るのは苦手なのか、然程速度を出している訳ではないのに酷く疲れているように見える。
「おまえ、大丈夫か?」
 やや不自然な呼吸をしている少年を案じ、麗蘭はしゃがんで彼の肩に手を置く。すると突然のことで驚いたのか、少年は思わず身を竦ませて退いた。
「み……みみ巫女さま!?」
 頭を上げて麗蘭の顔を一目見ると、彼は余りの驚きに後ろへ倒れ、勢い良く尻餅を付く。あんぐりと口を開けたまま麗蘭を見上げ、目を丸くして身体を硬直させていた。
 其の少年は、年の頃は十を過ぎた程。泉栄で出会った紀佑の息子、啓雲よりは歳上であろう。淡い萌黄色という珍しい髪色で、澄み切った大きな瞳は桔梗色。雪の如く白い肌が特徴的で、細い身体と相俟って健康的には見えない。
「どうしよう、本当に巫女さまだ……!」
 少年の様子を見て、麗蘭は反応に困ってしまう。やがて彼女の横から蘢が両手を差し出して、少年の腰を掴んで立たせてやった。
「どうして此の人が巫女だって思ったんだ?」
 蘢と一緒に旅をしてきた麗蘭には、分かる。子供相手と思って優しそうに問い掛けてはいるが、彼が少年に対して疑いを抱いていることを。
 しかし、そんな蘢の心の内に全く気付いていないであろう少年は、彼と麗蘭の顔を交互に見てから素直に答えた。
「えっと……紗柄さまと同じ『感じ』がしたから……其れに、見たことないくらい綺麗だし。巫女さまってすごく綺麗な方なんだもの」
「……正直だなあ」
 瞳を輝かせながら、思ったことを其のまま口に出している少年に、蘢はくすりと微笑を零す。不意打ちを掛けられた麗蘭は、態とらしい小さな咳払いで照れを隠した。
「おまえは珪楽の子か?」
 麗蘭が尋ねると、少年はこくんと頷いた。背をぴんと伸ばすと姿勢を正して彼女に向かい、深々と礼をする。
「はじめまして、僕は天真といいます。巫女さまをお迎えするために来ました」
 辿々しい言葉で、精一杯礼儀正しく振舞おうとしている天真。懸命な姿を前に、麗蘭も真面目な顔付きで彼を見た。
「はじめまして、私は清麗蘭という」
 挨拶をすると、麗蘭は蘢の方へ視線をやり、無言で頷いた。此の少年は信用出来る、という意思表示である。
 彼女自身でも不思議であったが、天魔が纏う神気には何処か覚えが有る。同じ性質の気を持つ者に会ったことが有るような、朧げな記憶が呼び起こされたのだ。
――そして、此の気を持っていた者は……敵ではなかったはず。
 根拠の無い、直感。しかし、己の魂と繋がりが有るという此の珪楽では、そのような勘こそが正しく導いてくれる気がしてならない。
「此方は蒼稀蘢、私の仲間だ」
「えっと……よろしくお願いします」
 蘢を紹介されると、彼の方にも丁寧に頭を下げる天真。恥ずかしそうな様子を見るに、啓雲と同じく人見知りする性格らしい。
「こちらこそ、よろしく」
 麗蘭の意を解した蘢は、天真の乱れた着物を直してやりながら頷き答えた。
「麗蘭を迎えに来た、と言ったね。もしかして、天真は珪楽の覡なの?」
「あ、はい。姉さまと一緒に、紗柄さま……光龍にお仕えしています」
 覡とは、巫女と同じく神意を求めて神々に仕える男を指す。珪楽の巫覡たちは特殊であり、神でなく人である『光龍』を神とほぼ同格と見なして仕えているという。
「では、神剣天陽を知っているか? 私は彼の剣を受け継ぎに来たのだ」
 麗蘭が尋ねると、天真の顔に煌めきが溢れてゆく。
「やっぱり、あれを取りに来たんだね! 僕等はずっと待ってたんだよ!」
 突然振り返ると、彼は元来た方向へと走り出す。少し行った所で再び麗蘭たちを見て、興奮を抑えきれぬ様子で声を上げる。
「付いて来て!」
 つい先程までは疲れ切っていた天真の表情が、すっかり明るく為っている。麗蘭が蘢へと目を向けると、彼は深く頷いた。
「行ってみよう。屹度大丈夫だよ」
「……ああ。そんな気がする」
 森の奥へと消えて行く天真を追って、二人も歩み出す。幼い覡と、此の地に流れる懐かしき風に導かれ、急ぎ足で歩を進めるのだった。


 神の森を過ぎて眼前に現れたのは、何の変哲も無い集落だった。合掌の形を取った茅葺き屋根の家々が、十にも満たない数だけ集まって立っている。一棟一棟が小さく造りは古く、閑散としていて人が住んでいる気配を感じない。
「此処が珪楽の村です」
 先頭に居た天真が、手で指し示しながら案内する。麗蘭の前だからか緊張しており、歩き方がぎこちなかったり、時々声を詰まらせそうになったりして落ち着きがない。
「天真は此の村に住んでいるのか?」
 少年を微笑ましく見守っていた麗蘭は、少しでも彼の気分を和らげるために打ち解けようと、優しい口調で話し掛けた。
「あ、えっと、いいえ。僕は姉さまと一緒に、此の先に有る『神坐(かみざ)』の中、神宮(かみみや)に住んでいます」
 天真の言う『神坐』とは、一般的に聖地の中心を指す。天より神が降臨する際は、人界の何処かに存在するという『(さかい)の門』を通って自分を祀る神域に赴き、『神坐』に留まると伝えられている。
「珪楽の場合、神坐というのは神巫女の魂が眠る場所と言われているね」
「う、うん。其の通り。えっと……蘢さん、詳しいんだね」
「神宮にはおまえと姉上の他に、巫女や覡が居るのか?」
 麗蘭の質問に、天真は首を横に振った。
「いいえ、今は僕たちだけなんです。僕と姉さまが、珪楽を守る最後の巫覡です」
 彼の意外な返答に、麗蘭も蘢も驚いた。
「此の村も……一年前まではもっと大きくて人も多くて、賑やかだったんだ。けど……」
 静閑とした村落を見て溜め息をつく天真は、言い掛けて止める。彼の声は弱まり、顔には悲愴が表れている。何も言わずとも、此の場所で『事件』が起きたことは明白であった。
 口を閉じ俯いてしまった天真を心配げに覗き込み、そっと頭を撫でてやる麗蘭。
「済まぬ、何やら思い出したくないことを……思い出させてしまったようだな」
 頭を上げた天真は、麗蘭が自分をじっと見詰めていることに気付き、見る見るうちに顔を赤くしていく。そしてさっと目を逸らし、ぶんぶんと首を横に振った。
「い、いいえ……いいえっ! えと、ごめんなさい! 行きましょう!」
 慌てて麗蘭から離れ、歩き始める天真。彼女は僅かだが不思議そうな表情をしてから、また彼の後を追って進んでゆく。
――麗蘭は、あんな分かりやすい子供相手でも鈍いんだなあ。
 二人の背中を見て、蘢は堪えきれずに笑い出す。
「蘢、どうした?」
「いや……何でもないよ」
 突然麗蘭が振り返ったので困ったものの、彼は何とか笑みを隠し、真顔を自然に作ってみせた。
――其れにしても……此の村……
 村を通る一本道を歩きつつ家々を横目で見てゆくと、所々焼け落ちた家屋の一部らしきものが残っていた。四角い形に並んでいる石は、家の基礎部分だったものと思われる。今も建っている家は昔から在る古いものと見受けられるが、どの家にも最近修復した跡が在った。
 こうした状況や先程の天真の様子から、蘢の脳裏に浮かんだ映像は、余りに陰惨な場面のもの。彼自身遠い昔に体感した、残酷極まりないあの無慈悲な『殺戮』が、此の聖地をも襲ったとは……とても信じ難い。
――黒神の手も妖の手も届かない珪楽の地で、少しは安心出来るかと思っていたけれど……気を付けなければ。
 身も凍るような暗い予感が、胸の中に生まれ出て膨らんでゆくのを止められぬまま、村落を過ぎ再び森へと入って行く。彼らが去った後、清らかで穏やかな風が、ひっそりと静まり返った珪楽村を包み込むようにして吹き抜けていた。
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