金色の螺旋

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第九章 滅びの響

五.逸る心
 麗蘭と再会した後、魁斗は巫覡の姉弟に彼女と蘢を任せ、香鹿から乗って来た馬で近隣の村に赴いた。彼らが動けない間もじっとしていられず、目立たぬように情報を集めていたのだ。
 分かったのは、圭惺で初戦が始まりそうだということだけ。村々に残されていた女子供の顔を見れば、彼女たちの夫や父、息子が戦に取られたのであろうことは問わずとも窺えた。報せが伝わりくるまでに時間が掛かるのを考えると、既に始まっているのかもしれない。
 聖安との国境に程近い此の地域は、先の大戦では多くの男たちが戦場で死した。停戦の間は此処一帯が召集を掛けられることはなかったため、今回が十数年振りに為る。魁斗にとっても今の茗は『敵国』だが、罪のない民が戦に踏み躙られるのを見るのは居た堪れない。
 幾つかの村落を回ったが、欲しい情報を満足に得ることは出来なかった。日が沈む前に珪楽に戻り、未だ起き上がれない麗蘭の様子を見に行きながら時間を持て余す。夜に為ると、蘢の治療にあたっていた天真の許可が出たため、漸く彼の室を訪れることが出来た。
 麗蘭と同様下宮の一室で静養していた蘢は、褥の上で身を起こして座り魁斗を迎えた。意識を取り戻したばかりの今朝方と比べて、随分血色が良く為っている。
 魁斗は香鹿村で『朱雀』と対峙した時のことを、掻い摘んで蘢に話した。とはいえ、彼女が魁斗を倒すために黒神の力を借り、失敗して命を落としたという表面的な話しかしていない。
 色々と考えた末、『紅燐』と自分の関係については暫く明かさないでおくと決めた。仲間に余計な心配をさせたくなかったのと、未だに自分自身の心の整理が出来ていないためで、他意は無い。
 彼の話が終わると、今度は蘢が話し始めた。
「黒巫女『瑠璃』が、玄武に加担していた」
 予想外の発言に対し、魁斗は訝しげに首を傾げた。
「本当に瑠璃だったのか? 此の聖域には入れないはずでは……」
「僕も見た。確かに『黒』巫女だったよ。気を隠していたけれど、光の加護を全く受けていなかった。其れに……」
 薬湯入りの椀を蘢に手渡しながら、天真が二人の会話に割って入る。
「麗蘭さまに負けない位綺麗だけど、怖かった。人間とは思えないくらい冷たかった。あれが『闇龍』に違いないよ」
 天真はあの時のことを思い出し、小さく身震いした。魁斗は難しい顔をして腕を組むと、幾度か頷いた。
「黒巫女が玄武を助けた……つまり、『奴』が玄武を助けたということか」
 僅かだが、魁斗の語気が鋭く為る。
「うん。やはり、狙いが見えないね。只単に、茗に肩入れしているわけではないのかもしれない」
 一方では茗の者を滅ぼし、他方では救う。蘢には黒神の行動の意味が読めなかったが、彼の神と因縁が有り、紅燐が死んだ本当の理由を知る魁斗には、何となく掴めていた。そして其れゆえに、より一層怒りが胸に突き上げてくるのを我慢せねばならなかった。
「けど、玄武が珠帝の許を去った可能性も否めない。そう為るとまた変わってくるね」
 そう言って薬湯を飲み下してしまうと、蘢は天真に椀を返す。受け取った天真は其れを盆に載せて立ち上がり、小さく頭を下げて退室した。
 彼が去ると、魁斗が再び口を開く。
「……『恭月塔』のことか」
 珪楽を去る際、玄武は蘭麗姫の居場所だとして其の塔の名を言い残した。蘢は目覚めた後、彼が国の機密を敵に漏らした理由をずっと考えていた。しかし、確信を持てる答えは見つかりそうにない。
「奴の言葉を安易に信用することは出来ない。だが、時間が無いのは確かだ」
 玄武からの情報とはいえ、今手掛かりと言えるものは此れだけだった。そして其の手掛かりが、蘢を確実に焦らせている。
「……僕は、行くべきだと思う。青竜が戦で不在のうちに動かなければ」
「他に当てが無いのなら、罠である危険が有っても飛び込んでみるしかないか」
 蘢が何時もの判断力を欠いているのに気付きながらも、魁斗は反対しなかった。彼にもまた、其処までの余裕が無かったのだ。
「麗蘭の様子は? 差し支え無さそうなら、会いに行きたいのだけど」
 布団を退けて動こうとした蘢を制止し、魁斗は首を横に振る。
「今は眠ってる。起きたり寝たりを繰り返してるよ」
 眉間に皺を寄せ、溜息をつく。時間を置いて数度見に行っているが、魁斗が彼女と話せたのはあの一度切りだ。
「光龍の宿が重く伸し掛かり、麗蘭を迷わせている。此のままでは神剣を持つことは疎か、戦い続けることも困難かもしれない」
 麗蘭の『開光』への意志の喪失――魁斗が最も恐れているのは、其れだった。葛藤に苦しむ彼女を案じる気持ちも有るが、今の彼が最も気にしているのは黒神への復讐をおいて他には無い。
「神剣が麗蘭に見せたものがそうさせているんだね。何か、僕らが力に為れることはないのだろうか」
 蘭麗姫救出を逸る蘢にも、戦力としての麗蘭を失くすかもしれないという懸念は有った。だがより長く麗蘭といた蘢は、彼女が己の宿と如何向き合ってきたか、魁斗以上に良く知っている。
 そうした蘢の心情を察しつつも、魁斗は静かに頭を振った。
「結局、決めるのは麗蘭だ。『光龍として』今後も茗や黒神と戦ってゆくのか否か、決断しなければ先には進めない」
 先刻、魅那も言っていたことだった。周りの人間が幾ら『開光』を望んでも、選択を迫られている麗蘭本人が心から望まなければ、決して成し得ないのだと。
「神巫女の使命とは、天命とは……もっと抗い難いものだと思っていたけれど。神々は、麗蘭に選ばせてくださるということなのかな」
 蘢が何気なく口にした言葉に、魁斗ははっとさせられた。『決めるのは麗蘭』だと言い切ってみたものの、そんな発想はまるで無かったのだから。
「……あいつは屹度、選ぶだろう。『為すべきこと』を為し遂げる道を」
 魁斗は躊躇せず、厳かに言い放つ。麗蘭という少女の持つ強さに期待を籠めて、己を奮起させるため……そして此れ以上、自分の胸の傷口を広げぬために。
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